これまでとこれからのエビストについて -三周年イベントの感想ついでに色々考えた話-

 

まあ今回はそんな話です

 正直、そろそろエビストに関する長文お気持ち部の活動は引退しようと思っていたんですけども(今更書くようなこともないほどコンテンツは立派に成長したので)。
 まあまあ、前回の4thライブについて書いた時点でそう思っていたんですけども、それから一年、エビストというコンテンツには色々なことがあって……本当に色々なことがあって、8 beat Story♪は新しい体制で、8/pLanet!!はこれまでと違う新しいメンバーで、今一度新しいスタートを切らざるを得なくなってしまいました。
 そして、そのお披露目的な催しがちょうど先月に3rd Anniversary Special Event――三周年記念イベントという形で行われ、自分もそれに実際参加して、新しいエビスト、これからのエビストというものをこの目で見てきました。
 そうして見てきた上で、改めてこのコンテンツについて思うこと、考えさせられたことがたくさん出来てしまいました。まあ、恐らくいい意味で。
 なので、結果そんなことになってしまったこの一年の色々に対する自分の気持ちの整理を一度つけておく上でも、またそんな門出を前にこれまでのエビストを今一度振り返ってみるためにも、そしてこれからのエビストの始まりを見て自分が思ったことをまとめるためにも、もう一度くらいお気持ち長文を書き残しておこうかなと思い、今これを書いている次第です。
 それにまあ、何より三周年ですから! 基本的にはおめでたいことですから!
 そのお祝いも兼ねてと言いますか、エビストと出会ってから今までどうせ自分に出来たことなんてこうやってアホみたいに長いお気持ちをしたためて物好きな人達に届いてくれと願いながらネットの海に流すことくらいですし。
 まあそんなわけで、単なるクソポエムになりすぎないように気をつけつつも、自分の目で見てきた8 beat Story♪のこれまでの軌跡と、そして新たに見たこれからの出発とを、イベントの感想と絡ませつつ言葉にしていけたらなぁと思いますので、以下からまた長々と*1ではありますが、もしも読んでくれる人がいるのならば、お付き合いいただけたら幸いでございます。

 

 


 さて、4thから色々なことがあり、同じコンテンツ内では2_wEiという新しい形のライブへの試みも行われている今、それに比した8/pLanet!!の独自性と強さ、そして今後取っていく進路というものを考えてみる上で此度の三周年イベントは結果的にはいい指標となれていたように思います。
 トークバラエティー、朗読劇、ライブ――今回行われたイベントはその三つを全部詰め込んだものでした。
 そしてそれらはやはりそれぞれが今のエビストとハニプラの強い部分、特色、あるいはコンテンツとしてのセールスポイントであり、そのことを今回、そんな全部乗せを一気に見させられたことで再確認というか、再定義出来たようなところがあったと感じました。
 この三周年イベント、一見すると何も考えずにやりたいことを取り敢えず全部ぶち込んでみたような豪快過ぎる内容に思えるかもしれませんが――いや実際本当に深く考えずにそうなった可能性も否定しきれないところはあるんですが……しかしまあ、現状のコンテンツにおいて見せたい部分、ハッキリ強さと言えるもの――キャスト、キャラクター、ストーリー、楽曲、それら全てを一斉に知ってもらう、その良さを感じてもらう場合において非常に効果的な構成になっていたのではないかなと思います。
 特に今回は新メンバー加入から初めてのユニット全員参加イベントであり、そんな新メンバーお披露目の場でもあるという関係上、ご新規さんも結構多く来られていたことでしょう。
 あるいはこの次の何らかの展開に繋げられる力を持ったスポンサーが、試金石として見に来ているような可能性も否定しきれません。

 なので、まずそういった層に向けて8 beat Story♪というコンテンツは一体どんなものなのかというプレゼンテーション的な役割をイベントが果たさなければならなかったところがあったのだろうとも考えられます。
 そして、実の所それはそういった新規層ばかりのためではなく、むしろこれまで追いかけてきた既存のファン達にとっても同様にそうでなくてはならなかったのではないでしょうか。
 4thライブから丸々一年間、コンテンツは随分と実験的な動きを続けてきたわけですが、果たしてそこから一体どういうものが得られて、どう今後の動きに活かされるものなのか。
 また、その一方で得るものばかりだった一年というわけではなく、むしろ大きなものを失ってしまった一年でもあり、その喪失を経てなお今後どうしていくのか。
 初期メンバーから二人が抜けてもまだコンテンツとユニットを続けるという選択をしたけれども、本当に新体制としてやっていけるのか、旧体制と比べても納得のいくものを出すことが出来るのか。
 三年も続けてはきたが、正直未だ安泰とはいえないコンテンツの人気や勢いという現実の中で、この先どんなことをしていくつもりで、どんな場所を目指しているのか。
 それらのことを一番知りたかったのは、他ならぬ既存のファン層であったことは間違いないでしょう。
 だからこそ、今回のイベントは三周年の記念と銘打ってはおりつつも、これまでの積み重ねを振り返るというよりもむしろそれを踏まえた上でのこれからの未来の展望を示すことこそが求められているイベントであったと思います。
 そして、その点に於いて今回のトークバラエティーパート、朗読劇パート、ライブパートという三本の柱で構成されたイベントの形は見事に、納得のいく今後のビジョンを提示してくれたように個人的には感じ取ることが出来ました。
 エビストというコンテンツの現在、その一体何が同ジャンルの他作品と比べての特色であり強さであるのか。
 そしてコンテンツの未来、今後どういう方向性でこの作品を進めていくつもりなのか。
 その辺りについての運営側の回答を今回のイベント、そしてそれを構成するそれぞれ三つのパートから、個人的感覚かつ何となくという曖昧さではありますが、受け取ることは出来たように思います。
 まあ、三周年イベントはそんなイベントでしたよ。という。
 結局イベントの感想として言いたいことというか、結論はそれで全てではありますが、以下からはそんなイベントを構成していた三つのパートそれぞれを見たことで今回個人的に感じた事柄やそこから得られたものが具体的にどういうものなのかというのを考えつつ、わかりやすい何かにまとめていけたらと思います。

 

 

 


トークパートについて

 ではまず、イベントで実際行われた順に、最初はユニットメンバーによるトークバラエティーパートについて感じたこと、考えたことを書いていこうかと思います。
 さて、先にこのパートもエビスト三本の柱の内の一つであるとは言いましたが、実のところそれは別段、その内容を他のコンテンツのそれと比べた場合に取り立てて優れたところがあるからというわけではなかったりします。
 そして、じゃあそれはエビストのそれが他と比べて劣っているということなのかというと別にそういうわけでもありません。
 ただ、こういったアイドルバラエティー的なことは大半の同ジャンルコンテンツでも行われているものですが、個人的にはその分野においては一律どこも大した差はないと思っていたりします。
 全部、平等に同じような面白さを持っており、同時に同じようなレベルのつまらなさがあるかな、と。まあ、そういうものです。
 逆に、そこにこそ一番力を入れています!みたいな二次元アイドルコンテンツも見たことはないですし(もしかすると近年ではVtuberがそれに当たるのかもしれませんが)。
 なので、そこに関しては一定の基準さえ満たせていればそれでいいと思っていますし、エビストのそれもそこら辺は問題なくクリア出来ていると思います。
 ユニットメンバー全員が程々に喋ることが出来て、程々にボケることも出来て、程々に見ていて面白ければこれに関してはそれでいいのです。
 ……というと話が全部終わってしまうわけですが、それでは何故エビストにおいて、そんな特段優れたところのないどこのモノとも同じ程度のクオリティであるトークバラエティー部分が柱の一つになっているのか。
 その理由は、先程までの前提をいきなり全部引っ繰り返すようで何ではありますが、実はエビストのそれには一つだけ、他と比べてその分野で突出している部分が存在しているからなのです。
 ではそれは一体何なのかというと、率直に言って『顔の良さ』ということになるかと思います。
 ……まあまあ、本っ当に身も蓋もない話ですけども、ハニプラのメンバーは全員とにかく顔がいい。
 今、数ある二次元アイドルユニットのその中でハニプラが間違いなく一番になれる要素があるとするならば、それは確実にメンバーの『顔の良さ』になるかと思います。
 割かしら外見よりも実力の方が重要視されることが多い女性アイドル声優界であったりするのですが、そんなアイドル声優を集めてユニットを作るという延長線上にある以上、二次元アイドルコンテンツ界においてもその傾向は顕著であり、例外ではありません。
 しかし、そんな流れに真っ向反逆するかの如く、恐らくハニプラはメンバーを選ぶ際明確にその外見こそが重要な判断基準に組み込まれているかと思われます。
 けれどまあ、見た目なんてものは人それぞれ千差万別に好みはありますし、自分のそれが推しユニットに対する贔屓目である可能性もかなり多分にはありますが、それでも尚、限りなく客観的に見た上でも相当に顔の造作の整ったメンバーがハニプラでは意図的に集められていることは明白と言ってもいいと思います。
 なので、その一つだけ圧倒的に強い要素を十全に活かす。
 そういった意味では、そんな整った顔を持つメンバーによるトーク&バラエティーというものは他と比べて一つの突出した強みのある分野と言えるかもしれません。
 まあ、まとめてしまうとそんな、ちょっとどうかと思う結論に行き着いてしまったりするわけですが、そうなってくると今度はコンテンツに対してある一つの疑念も生じてきたりします。
 疑念、すなわち「じゃあ、それだけの綺麗どころをわざわざ寄り集めてユニットを作っているのならば、二次元内の作品世界を軸にするというよりはどちらかというと三次元のリアルユニットの展開の方に比重を置いている作品なのではないか?」と思えてくるかもしれません。
 どれか一つでも勝っている部分があるのならば、そこに狙いを絞った展開をしているものではないのか。確かに理に適っています。
 しかし、自分の見る限りではどうもこの8 beat Story♪というコンテンツはそういうわけでもなかったりするのです。
 拘りを持って作った強いポイントがあるのに、そこだけをメインとしているわけではない。
 そこには非常に興味深い、エビスト特有の奇妙なバランス感覚としか言いようのないものが存在していたりするのですが、これまでの活動や今回のイベントでそれも改めて浮き彫りとなってきたように思いますので、そのことについても少しばかりここで自分の考えを書き残しておきたく思います。
 確かに、先にも書いてきたようにエビストはリアルのユニットでの活動にも、企画の柱の一つとしてかなり力を入れてはいます。
 その証左として、基本的に参加はフリーで、人によっては何枚でもCDを購入することでお渡し券を積み、延々とメンバーとの接近戦をループ可能な地下アイドル的リリースイベント等も頻繁に行っていたりもしますし、実はこの形式のリリースイベントを行うのは二次元アイドルとしてはかなり珍しかったりもします(大抵はあっても抽選方式による選別がなされ、接近戦も原則一回限り)。
 「あくまでキャラクターこそが第一であり、その中の人である声優を売り物として前面に出すような展開は二次元アイドルというジャンルのコンセプトに反しているのではないか?」
 そんな議論も噴き出ているようなメジャー作品が存在する昨今において、そういう批判もこれを見れば裸足で逃げ出すのではないかという程に開き直った数々の声優最前面押し出し企画もエビストには存在していたりもします。
 しかし、かといって本当の地下アイドルのように金を積めば積むほど、特典が豪華になりメンバーとの距離が縮まるようなシステムが実装されているわけではありません。
 イベントの物販等においても、別に担当声優を使ったチェキやブロマイドのような直接的なものが作成されて売られているわけでも、特典としてついてくるわけでもありません。
 そういった感じで、リアルでの声優ユニットを軸とした商売を目論んでいないわけではないのですが、かといってそれに振り切ってしまっているわけでもないという、何とも言い難いバランスの上にエビストのそれはあったりするのです。
 そして、そうやってリアルでの展開にも力を入れているからといって、ではエビストにおける作品世界とキャラクターは比較して扱いが軽いのかというと、それがまたそういうわけでもないのです。
 というかむしろ近年は明確に作品内のストーリー展開に力を入れていて、キャラクターの設定や物語を他作品以上に現実へ反映させるようなことにも挑戦していたりするのです。
 ハニプラとは別のユニットとして展開している2_wEiでは特にそれが顕著で、そのライブにおいてはあくまでキャラクター自身がステージに立っているものとして、演じている個人としての言動は剥奪されているほどの拘りぶりと徹底ぶりであったりもします。
 普通そこまで徹底した拘りをもって現実よりも物語の世界観に重きを置く作品は、リアルでの声優ユニットとしての展開等はむしろ控えたがるものであるように思えます。
 そういった例としてはナナシスなどがまさにそうで、かの作品においてはライブ以外でのキャストの売り出しというのは極々最小限に抑えられているように見受けられます。
 キャストよりもまず第一に作品を見て欲しい、物語にこそ一番に触れて欲しい。それはそれで十分に理解の出来る一つの在り方でしょう。
 一つの味にこだわり抜いて、その味しかメニューに置いていない職人気質なラーメン屋に通ずるようなものかと思われます。
 そうなるとエビストも、昨今の作品内世界観に対する拘りぶりを見ているとむしろリアルでのキャスト押し商売なんかは「そういうのじゃないんで」と突っぱねたがりそうなものだと考えられます。
 考えられますが、しかしこれまで散々書いてきたようにそんなことも全くないというのが驚くべき実情であったりするのです。
 一番そういうことに拘って運営しているだろう2_wEiにしても、とりあえず作品世界には全く関係ないけどもそれはそれとして顔のいい女性声優に何かしらをさせたい!みたいな、何とも言えない欲望がそのまま形になったような商品展開が同時に存在していたりもするのです。
 いや、それならば……それならば、そんな現実におけるキャスト押しの売り方が何かしら作品世界に対して影響を及ぼすものになっているか、あるいは作品世界の現実への反映がそういう活動においても為されているものなのかと思うかもしれません。
 もしそうだとしたらその作り込みには恐れすら抱いてしまいますが、安心してください、そこら辺の連動も実に全く存在していないのです。
 言うなれば完全に「それはそれ、これはこれ」という、一種異様な程の割り切りぶりで作品そのものと現実の声優ユニットは同時に、同じくらいの力を込めて売り出されているのです。
 これこそが、前述したようにエビストの奇妙なバランス感覚というものになります。
 その二つを何とか理由をつけて混ぜ合わせることに苦心している作品や、あるいは最初からどちらか一方をバッサリと切り捨てているような作品もある中で、別にそこは交わってる必要なくない?と開き直って混ざらないまま一緒にやるという選択は豪快といえば豪快にも程がありますし、特異といえば相当特異な形態であると思われます。
 かといって、それもどちらかが独走を始めてしまった途端に一気に破綻してしまいそうな危険性があるように思いますが、そこら辺にしても「まずは8 beat Story♪という作品がありき」という態度はしっかりと一貫していたりして、本当にそういう部分のバランスの取り方が何とも独特なのです。
 8/pLanet!!はあくまで8 beat Story♪という作品の楽曲を歌うためのユニットであり、担当する作品内のキャラクターも一緒にあってこそのメンバーである。
 そこだけは本当にしっかりしていて崩れたりしたことはありません。作品と離れた一つのユニットとして楽曲を歌うようなこともなく、ユニット内にある限りはキャラクターを担当していないメンバーもいません。
 だけどまあ、それはそれとして普通のアイドルバラエティー的な企画やリリイベなんかも積極的にやっていくよ、と。
 こうして文字にしてみるとハチャメチャにも程がある言い分ではありますが、しかしそうする理由も、ある程度こちらから勝手にという形ではありますが、推察することが出来なくはないのです。
 あくまで個人的な推測ではありますが、恐らくエビスト運営はコンテンツの間口を広げるという目的の方をこそ重視して、現実でのアイドル的な売り出し方を作品世界とは全く別のものとして展開しているのではないでしょうか。
 コンテンツを追いかけるにあたって、その全部を楽しもうとする層は実際多数派ではあるかもしれなくても100%というわけではありません。
 楽曲だけは聴いている、あるいは好きな女性声優がいるから気にしている、作品にはそんなに興味はないけど美味しいところはつまみたい。
 そういう層も少なくない数存在していることは確かでしょうし、自分自身もそういった関わり方を否定するつもりもありません。
 そして恐らくエビスト運営もそのつもりで、そういう層がいるのなら否定することなく、その層に向けたメニューもある程度維持していこうと思っているのではないでしょうか。
 キャストが可愛いからという理由で作品に興味を持つ層は、これ程の顔面的逸材を揃えている以上確実に一定数存在するでしょうし、あるいはそういう層の取り込みも狙ってのユニットメンバーの選考基準でもあったのかもしれません。
 そういう人達に「ウチのラーメンはこのこだわり抜いた一杯しかねえぞ!」と言うよりも、むしろ「何でもあるから好きなの食べていってよ」というのが運営の目的としているところなのではないかと考えることでも出来るのではないでしょうか。……買い被りの可能性大ですが。
 しかし何より実際、今回からユニットに加入した新メンバーは元々別のところでアイドル声優としての支持基盤を持っているので、もう「エビストって何? 食べ物?」くらいの意識でとりあえず推しが出演しているらしいからと、その新メンバーだけを目当てに今回のイベントに来ていた人達も少なくない数存在したと思われます。
 そういう人達のためにも、今回のイベントでは作品の内容を全く知っていなくとも楽しめるようなアイドルバラエティー的なパートを入れることが必要不可欠ではあったのでしょう。
 作品世界の再現に拘っていた昨今の体制にありながら、それでもそんな拘りと交わることのないパートをわざわざ組み込んでいたこと。
 そこに、この別物として割り切ったリアルアイドル的な売り出しは、運営の欲目というよりもむしろあらゆる人に楽しんでもらうためという推察の根拠を見出すことが出来るのではないでしょうか。苦しいか……まあ若干苦しいですね……。
 しかし、何かに対する拘りはあっても決して頑固というわけではない。そのことだけは間違いないかと思います。
 その柔軟さは悪く言えば中途半端ということになるかもしれませんが、個人的には好ましく思えますし、少なくともここ一年力を入れて取り組んできたであろう作品世界の構築という点では決して中途半端な仕事はしていませんでした。
 そういう意味で中途半端なのはむしろ今まで論じてきたアイドル売り路線の方だけです。
 しかし、それはたとえ中途半端であったとしても、あくまでコンテンツのバランスを崩さないための調整の結果でもあるのでしょう。
 さて、まあ長々とそんな風に考えてきた結論としては、そういうハニプラの現実におけるアイドル声優ユニットとしての側面は、コンテンツへの入り口を広げること、また作品自体に興味がなくても他の部分が気になるから追ってはみたいという層を繋ぎ止めるという目的でも、やはり欠かすことの出来ないエビストの柱の一つなのではないかということです。
 けれども、それはあくまで柱の一つであり、コンテンツのメインとするところではない。故にある程度のレベルまで制限したものを出しているのではないでしょうか。
 そして、やっぱり何より顔がいいから。それはそれとして顔がいいからそういうこともやりたいじゃん!、と。
 みんなも好きでしょ!? 見たいでしょ、顔のいい女性声優がわちゃわちゃしてるとこ!!
 ……見たい!! ごちゃごちゃした理屈は投げ捨ててそれは見たい!!
 だったら見たいものを見せてやる!! 何故なら自分達も見たいから!!
 ……と、最後に思わず本音を書き殴ってしまいましたが、まあ実際突き詰めるとそういうことかとも思いますし、それは今のところ間違っていないのだと、正解だと信じます。
 コンテンツにそれを望む人がいて、それを切り捨てない結果として、そして自分達もそれを見たいものとして、エビストのアイドル売りやトークパートは作品を支えるものの一つとして成り立っているのだ、と。
 まあ、そういうことを今回のイベントのトーク&バラエティーパートを見ていて、改めて感じたり、考えたりしていました。

 

 

 

 

リーディングパートについて

 さて、今や立派にエビストの売りの一つとなった作品ストーリーであるのですが、そのことを改めて強く再認識したのが順番的にもトークの次にあたるこのパートでした。
 個人的にも今回のイベントで一番注目していた部分でして、それというのもエビストがその作品内ストーリーの面白さをコンテンツにおける主軸の一つとする現在のような体制へと変化してきた過程で、かなり大きなターニングポイントとなったのが前回、二年前に行われた同様のリーディングイベントだからです。
 そして今回はあの時行われたものから更に色々とイベントにおける作品ストーリーの扱いについて実験的な試みを経てきた上での再度の朗読劇ということになれば、否が応にも期待は高まります。
 前回観覧した時にもいたく衝撃を受けたものの、その理由が一体何なのか上手く言葉にはしきれなかったエビストのリーディングイベント。
 ここではそんな同種コンテンツにおいてもあまり類を見ないエビストにおける朗読劇というものの特異性や、あるいは現実においても展開するストーリーという近年エビストで実験的に行われている形式について改めて、今回のイベントでのそれを見た上で感じたこと、わかったことなども含めて考察し、まとめていきたいと思います。

 


 ではまず、今回再び二年前のものと近い形の朗読劇が見られたことで、個人的な感覚ではありますが改めて確認出来たエビストにおけるそれの独自性というか、面白さの理由について考えていきます。
 まあ、そもそもこういう二次元アイドルものというジャンルにおいて朗読劇という形のイベントを行うこと自体がかなり珍しかったりもするのですが、それに近いモノ自体は昔から存在していたりもします。
 その手のもので恐らく一番メジャーなのはラブライブにおけるライブ中のボイスドラマパートがそれにあたるでしょう。
 それはライブでの間を繋ぐために、行われている最中のそのライブに関連したサイドストーリーをボイスドラマとして会場内で流すというものでしたが、その内容は基本的にテレビアニメ等の作品本編と呼べるストーリーとは全く関係の無い番外編であり、なおかつ全編コメディタッチの展開であるというのが主流でした。
 故に、そういった大勢が参加することで各々の集中に不向きな雰囲気が生まれやすく、なおかつ物語の再現性のない現実でのイベントにおいては、真面目に聴いていてもいなくても特に問題の無い当たり障りのない内容のドラマを流すものであるというある種の不文律、共通認識のようなものがこのジャンル内には存在していたように思います。
 エビストにおいても二年前にリーディングイベントを行うことが発表された当初は、誰もが本編とは特に関係の無い番外編的なコメディ調のストーリーを目の前でキャストが演じて読み上げてくれる姿を見ることを主な目的として楽しむイベントだろうと思っていました。……誰もがは言い過ぎたかもしれません、まあ自分個人としてはです。
 ですが、実際蓋を開けてみるとそんな当たり障りのない内容の物語というものでは全くなくて、終始真面目な雰囲気かつゲーム本編で展開されているメインストーリーから完全に地続きの、本編の一部と言ってしまってもいいような一つの物語を朗読劇として行うイベントだったことが判明し、当時実際に参加したファンは大きな衝撃を受けることとなりました。
 といった感じで、まずエビストにおける現実での朗読劇の独特かつ面白い部分の一つが、そこで展開される物語の内容が作品のメインストーリーと繋がっているシリアスなものとなっているところにあったりします。
 それは二年前でもそうでしたし、今回の三周年イベントのシナリオも変わらずにそうなっており、そうなるとエビストの朗読劇というのはやはり意図的に行われている現実のイベントにおける物語展開の一環なのだなということを改めて感じました(現実での物語展開とは一体なんぞやということは長くなるので説明を省きます*2 )。
 まあ、自分自身同ジャンルの全ての作品のイベントに足を運んでいるというわけではないので同じくシリアスな朗読劇を行っている作品の存在を取りこぼしている可能性もありますが、少なくとも『ゲーム内ストーリー→そこから続くイベント朗読劇の内容→それがまたゲーム内ストーリーへ繋がる』というシナリオの積層構造の構築を試みている作品は相当稀なのではないでしょうか。
 そんな風に、ある種の独立した舞台劇とも言えるようなことをエビストは行っているわけですが、もしそれだけならばそれこそ本当に単なるどこにでもある舞台劇というだけで終わってしまいます。
 そういうわけでは勿論なくて、この朗読劇にコンテンツ独特の味と面白さを感じさせる部分はまだ存在しており、それら全部を引っくるめることで何やら言葉にし難い新しさのようなものを感じられるようになっているのです。
 そんな独自性のもう一つといえるものが、この朗読劇の直後に今それを演じていたキャスト達がアイドルへと転じて行うライブパートが存在しているというところにあります。
 それは一体どういうことなのか説明すると、つまりこの朗読劇のストーリーはその直後にあるライブパートへと綺麗に接続されるような内容のものになっているということであり、それこそがもう一つの独自性と面白さの重要なポイントとなっているのです。
 朗読劇のストーリーは、かなり噛み砕いてしまうと二年前のものも今回のイベントのものも共通して「色々あった末に最終的にユニットがライブを行う」という結末に向かって進行していく物語でした。
 つまり朗読劇はそれ単体で完結しているわけではなく、その後に待っているライブパートも内容の一部に含めて完成する形になっているのです。
 さて、ではそれの一体何が面白いのかというと、簡単に言えば「普通ならばキャストが歌って踊っているだけというはずのライブに、それを行う理由や背景といったフィクション的なストーリーが乗ってくる」ということにその面白さがあるかと思います。
 今更書くまでもないほど当たり前のことでありますが、元来、二次元アイドルコンテンツにおけるライブというものは作品のストーリーからは完全に独立した別個のものでした。
 あるいは作品における一つの完結したストーリーやライブシーンが存在している上で、その一種のリプレイ集的なものをキャラクターではなくキャストがライブで行うというのが主流かと思われます。
 故にそこにはフィクションドラマ的なストーリーは殆ど存在しておらず、物語とは隔絶されたお祭り行事のようなものであり、そこから各人が汲み取るエモーショナルさというものはコンテンツそのものが積み重ねてきた総合的な歩みへの感傷を背景とするものが大半であるように思います。
 しかし、このエビストの朗読劇からライブパートへ繋げるという方式では、そのフィクション的なドラマ、人工的に作り出した物語のエモーショナルさを本来それらのものから隔絶されているはずのライブに直接付与することが出来るのです。
 またそれにより、たとえ声だけとはいえども目の前で物語中のキャラクターを演じている人間がそのままシームレスに現実的なアイドルへとスライドしてライブパフォーマンスを行うことで、架空のキャラクターと現実にいるキャストに奇妙な同一性の錯覚が生じているように感じられ、二次元アイドルコンテンツがライブにおける究極目標としているキャラクターとキャストのシンクロをある程度実現することも出来ているのです。
 改めて言葉にしてみると、これこそが二年前にリーディングイベントへ参加した時に感じたその可能性と面白さであり、二年を経て再び今見たとしてもまだ変わらずにそこに感じられたものであるのかなと思います。
 しかし、実の所これ自体は別に全く新しい手法であるとは言い切れないもので、一歩間違えれば普通に単なる既存のミュージカルでしかないですし、それとの厳密な差がどこにあるのかと言われると正直自分自身答えが出せないものでもあります。
 けれど、実際に見てみると確かに何かが違うと思える奇妙なバランスの上にこの朗読劇とライブパートの繋がりは成り立っており、それこそが上手く言語化出来ない原因となってもいるのです。
 それでも敢えて無理矢理その違いを定義してみるならば、その言葉に出来ない不思議さは『観客の見る映像が二次元イメージに頼る部分と実写で行う部分とで分かれているようなものを、強引に繋げて混ぜ合わせること』で生まれているのかなと思います。
 キャラクターの動きや表情の表現全てを現実で行うのならば単なる実写化あるいは舞台化でしかありませんが、朗読劇としてそこで展開されている物語は実際目の前に映像として現出しているわけでもないので各々が補正した二次元イメージを何もない向こう側に見るしかなく、そうしながら同時に現実で行われる歌やダンスにもその残像を重ねるという、何とも言えない、本当に何とも言い難い奇妙なゴーグルを通して空想とも現実ともいえないものを見ている。
 そんな独特さと、面白さと、何より奇妙さがエビストにおける朗読劇の魅力であるのかなと、今回それを再び見られたことで何とか自分の中には落とし込めたかなという感じです。
 そして、そこら辺をより音楽ライブという要素に比重を置いてブラッシュアップしたのが同コンテンツ内で行われている2_wEiの公演ということになるのかなとも思いますが、そこら辺のことまで考え始めると本当にキリがないのでとにかくもうここで一旦これについてはやめにします。
 しかし、まあもう一つだけ最後に、今更の上に何回目といった感じではありますが、やはりエビストのストーリーは面白いし良く出来ているなぁということを改めて、今回のリーディングパートを見ていて思いましたよ……ということを書かせてください。
 いや、最初期からゲームをやってる者としてはそれが未だに信じがたくて何度も疑心暗鬼に陥ってしまうという病気にかかっていたりするのですが、そうは言ってもコンテンツ三年間の歴史から考えると実はストーリーが良くなった時期の方がストーリーがヘンテコだった時期よりもずっと長くなっているので、これはもう自信を持ってエビストのストーリーはいいものだと言い切ってしまっても、何だったら最初からストーリーをコンテンツの大きなセールスポイントの一つとしてやってきてたしと、歴史改変すらしてしまってもいいんじゃないかと思います。
 まあそれくらい、今回のリーディングのシナリオは素晴らしかったです。手放しで褒めてしまいますが。
 長すぎず、かといって短すぎもしない絶妙な尺の中に、ハニプラがこれまで積み重ねてきた物語を振り返って、その要素をしっかり落とし込む構成。
 後に詳しく後述しますが新曲の歌詞を軸にして8/pLanet!!というユニットのスタンスや物語全体のテーマを改めて定義してみせる辺りや、この直後のライブパートに向けて物語のボルテージとそれを見ている人達のテンションをしっかり盛り上げて綺麗に締めるクライマックスなど、本当に良く出来ていて感心することしきりでした。
 そして何よりこれほど真面目な内容で、かつ本編と地続きのものとしてこういうシナリオの朗読劇が出来るということに、改めてこの三年間で積み重ねてきた物語や構築してきた世界観の重みや強さ、独特の面白さ、エビストの味というものを感じられたように思います。
 しかしそうはいっても、今回のリーディングで描かれているのは、結局穿った見方をすればありがちとも取れる主人公ユニットの真っ直ぐな心根の描写や彼女達の辿り着いた結論ではあったりします。そこに他のコンテンツのそれとの大きな差はないとも言えるかもしれません。
 けれど、そんな綺麗事をそれでも特別なものだと思い、そして尊いものだと信じたくなってしまう。
 そう思ってしまう、感じてしまう裏にはきっと2_wEiの徹底して8/pLanet!!の対極を行くような悲惨な境遇とねじ曲がった運命の物語が存在しているからでしょう。
 こうしてハニプラの綺麗な物語を眺めては同時にその影にいる2_wEiを思い出すと、それと向き合うためには決してその場限りのありきたりな理想論だけでは済まされないだろう、彼女達の想いを貫くことの重さを感じてしまいます。
 そういう立場も信念も理想も違う二つのユニットが存在することで発生するシナジーが、本当に今とても良い感じの深みのようなものをこの物語に与えているのだなということにも今回思い至ったりしました。
 他にも、メインストーリーの更新予定という新情報に湧く会場を見てファンの物語に対する期待もかなり大きくなっていることを思い知ったり、重要なメンバーのソロ曲をストーリーの更新に合わせて実装する予定ということで物語と音楽を結びつかせることによる更なる相乗効果を予感させたりと、今後もストーリー面に関してエビストは相当力を入れていくであろうことが今回のイベントでは存分に伝わってきました。
 そんな風に、やはり作品内ストーリーというのは今やエビストを支える大きな柱の一つであること、故にそれを示すためにも今回のリーディングパートがあったのだということを、改めて三周年イベントを通して強く認識させられた次第でした。

 

 

 


ライブパートについて

 トークバラエティ、朗読劇ときて、最後に残ったエビスト三本柱の一つであり今回のイベントでも順番的に最後に行われたライブパートについても、何とか長くなりすぎないように三周年イベントで新体制になったそれを実際に見た上での感想やら考えたことなどを書いておきたいと思います。
 とはいえ、あまり長くなりすぎないようになどと心配することもないかもしれません。
 何故ならエビスト、ひいてはハニプラのライブパフォーマンスについてはもういい加減書きたいネタも尽きたわというくらいの長文をこれまで散々書いてきましたし、今回のイベントでもそれはいい意味で、今まで書き殴ってきた感動と変わらぬものであったからです。

 ですが、正直なところイベントを見る前はメンバーが二人も抜けて、そこに新メンバー二人を加えてというユニットとしては相当しっちゃかめっちゃかになってしまっている状況にあり、そこでいきなり新体制に変わってから大して日も置かぬ内にぶっつけで、しかもこういった大きなイベントを初お披露目の場として新しい8人でのライブを行うということで、果たしてどうなることかとずっと不安にも思っていました。
 しかし実際ステージを見てみると、以前のものと比べても全く遜色のない、変わらずにレベルの高いパフォーマンスを維持出来ていて、こちらも大いに安心することが出来ました。
 というわけで、上でも書いたようにそういったダンスや歌などの総合的なパフォーマンスのレベルの高さに関して以前のものと現在のものに差がないのであれば今更何か言うべきこともないわけですが、それでも一つだけ何らかの変化を感じたとするならば、残っている六人の意識というものを挙げることが出来るかなと思いました。
 意識……まあ別に大した意味があって使っている表現でもなくて、どんどんとパフォーマンスのブレが少なくなり、どんなステージにも、状況にも動じずに堂々とこなせるようになってきたんじゃないかなと感じ、それを何となく覚悟とか、意識が固まったという言い方に置き換えられるかな、と。そんな話なのですが。
 そういう点では以前と比べてやはり確かな成長を感じるし、円熟といった感じの今回のステージでした。
 言いたいこと終わっちゃった……。まあ本当に、ライブパートそれ自体に関して言えることもそれくらいです、良い意味で。
 元々三年という歴史の中で一番早くに出来が良くて強い部分として成り立った柱なので、本当に何回目かくらいの改めてでそれを再確認する感じでしたね。
 とはいえ、ライブを見て思ったことで他に書きたいことが何もないかというとそういうわけでもありません。
 ここから少しだけ長くなるかもしれませんがまだ書いておきたいことは一つ……まあ二つくらいあって、まずその一つこそが新曲である『Precious Notes』の素晴らしさについてということになります。
 ライブパートは元々全体的に今回も素晴らしいものであったことは先にも書きましたが、その中でも一番何が素晴らしかったかというとこの『Precious Notes』周りの扱い――楽曲自体の良さとそれを更に後押しするような実際のパフォーマンス、そしてこの楽曲を今回のライブで送り出すにあたっての背景の作り出し方になるかと思います。
 さてこの『Precious Notes』、恐らく以前までの体制におけるテーマ曲である『ファンタジア』に代わって、色々な区切りや更なるスタートという意味も込めて作品に新しいテーマ曲をということで用意された曲だと思われるのですが、実際今回のライブで歌われたのを聴いて改めて特筆すべき出来の楽曲であることを感じました。
 まず作品の顔となる新しいテーマ曲ということで、そういった曲の立ち位置を受けてのライブにおける8人でのダンスパフォーマンスが文句のつけようがないレベルで素晴らしかったです。
 これまでも一番8人でしっかりフォーメーションダンスをする楽曲はテーマ曲であるファンタジアだったのですが、やはりそれに代わるというか、そこから更に進化しようという意図を感じる振り付けだったと思います。最高でした。
 そして楽曲のメロディー自体の出来も勿論言わずもがな良いんですが、それより何よりも今回ハッとさせられたのは今までにないタイプの歌詞の作り込み具合についてでした。
 どういうことかというと、これまでのハニプラ楽曲において明確にストーリーの内容が反映されているだろう歌詞の曲というのは実は『BLUE MOON』くらいだったのですが、『Precious Notes』はそれよりも更に深いレベルで本編ストーリーのこれまでとこれから、そして作品自体に込められた根幹のテーマ性のようなものが歌詞に組み込まれているように感じたのです。
 ライブの前のリーディングパートにこの曲の歌詞の一部から拾い上げたような台詞があることなどからも、それは明らかであるかと思います。
 そして今回ライブパートで新曲が歌われるにあたって、その歌詞の内容を一部反映したそんなストーリーの朗読劇からライブに繋がるという構成がこの楽曲の本来持っている実力以上にその強さを押し上げていたようにも感じます。
 ハニプラとは違う2_wEi独自の強さの一つが楽曲の歌詞に一貫して込められている二人の境遇や情念についての描写であると思うのですが、そういう強さを今後はハニプラでも使っていくのかなという印象をそこから受けられるように思いました。
 無論、物語のテーマが込められた楽曲だけが増えていくというのもそれはそれで食傷気味の事態に陥る場合もあるので、バランスを見極めていって欲しいところではあります。
 が、そうは言ってもとにかく強いものは強い。その強さが、2_wEiで積んできたものをフィードバックして遺憾なく発揮されている曲であると思います。
 8/pLanet!!の新しくて強い武器だなぁと、改めてそういういう印象の新テーマ曲でした。
 そして、そういった2_wEiからの積み重ね方面からもう一つ拾ってみると、やはり直前のリーディングパートのストーリー的な盛り上がりをバトンリレーしてのライブパートはそれのみで始まるものよりも感情のブーストがかかるということにも、散々上の朗読劇についての部分で書いてはきましたが改めてライブパート方面からの視点でも言及しておこうかと思います。
 実のところ2_wEiとは違ってハニプラのライブでは今までも、そして今回のイベントにおいても、メンバーは特にライブの最中においてキャラクターを演じるようなことを注文されてもいないし実際に行ってもいないのですが、今回のようにやはり直前にああいった形の朗読劇を通すとキャストとキャラクターとの間に不思議なシンクロを感じられるようになっているなとライブを見ていて思いました。
 そして、それは新曲を歌う前のMCから特に強く感じられて、その部分は一部では社本さん、二部では山下さんが担当し、それぞれが作中と現実でも同じユニット内での重要な役割(センターとリーダー)を果たしながら語りかけてくるというもので、そこでは果たして語っているのが本人なのかキャラクターなのか境界の曖昧な、非常にいい塩梅の重なりを見られたように思います。
 また朗読劇の内容が一部と二部で完全に別のものであることから、そこから続くライブそれ自体も一部と二部でセットリストが別であるという以上に毛色や背景すらも違うように感じられて、そういうライブの持つ意味や理由を自在に作り替えられるという点でも、今回のこのイベントの流れを受けて見ることになったライブパートは非常に興味深いものがあったかなと思った次第です。
 さて、結局普通に長くなってしまいましたが、最後に今回のライブパートにおいてこういった形のものが出されたことについて色々と腑に落ちた言葉があるので、そのことに関しても思ったことを書いた上で締めたいと思います。
 これは二部のリーディングパートのストーリーや、ライブ終わり際の社本さんのMCでも共通して言葉にされていたのですが、これからのハニプラのライブにおいては『観に来てくれる人、みんなに楽しんで笑顔になってもらいたい』というのがテーマであり、目標であるとのことでした。
 そしてそんな言葉の通りの、観てくれる人達に楽しんでもらおうという目的意識が今回のパフォーマンスにはハッキリ表れていたように感じられました。
 ライブパフォーマンスというもののクオリティーは年々、同ジャンル内のどのコンテンツにおいても上昇しており、どこを見ても明確な差はそれほど感じられないという今の二次元アイドル界隈であるのが現状です。
 しかし、その中に在ってなおしっかりと自分達のやりたいこと、進むべき方向がハッキリしているモノはやはり一段違って見える気がします。個人的には。贔屓目かもですけど。
 そして何より、今まで積み重ねてきた基礎的なパフォーマンスのレベルの高さがあるからこそ、この一年2_wEiでやってきたことや、今回のイベントや二年前のように朗読劇を利用することによるライブの盛り上がりのような新しい形の見せ方など、面白いと思わせられる何かというものを実現出来たし、まだまだ作っていくことも出来るのではないでしょうか。
 そういったことを、今回のライブパートそれ自体や、そこに目標として込められたテーマや想いというものから感じられたように思います。

 

 

 


新メンバーについて

 さて、イベント内の三つのパートについては全て感じたことや考えたことについて書きたいものは書けたかと思うのでそれらのまとめに入りたかったのですが、ここから更にもう少しだけイベントを通して思ったことを書こうかと思います、新メンバーのお二方について。
 やはり今回のイベントで一番目新しい部分でしたし、またある意味一番試されていた部分であった以上、お二方を実際にハニプラのメンバーとして初めてステージの上で見たことで思ったこと、気づいたこと、考えたことなどはたくさんあります。それは悪い意味でなくて。
 それに、こんな難しい状況の中で新メンバーとして加わってくれたお二人への感謝や、書き残しておきたい想いなども多々ありますので、この場を借りて少しでもそれを言葉にしておけたらと思います。

 

 

 まずは天野さんについて。
 彼女については、前任者である吉井彩実さんの声質や演技との間にそれほどの差や違和感がないことに最初かなり驚きました。
 多少の差異はあるにはありますが、水瀬鈴音の声としてはほぼ違和感を覚えないレベルと言ってしまってもいいかもしれません。
 元々の声質がある程度似通っているのもあるのでしょうが、前任者の記録を参考にして大分寄せた演技をしてくれてもいるのだろうなと思います。
 そこについては本当に感謝しかないですし、むしろよくここまで寄せられる人を見つけてきたな運営……という多少の恐ろしさすら感じます。
 また御本人の外見についてもですが、緩いウェーブのかかったロングヘアは吉井さんとも鈴音とも共通しているヘアスタイルですし、遠目から見る背格好まで本当にそっくりで驚きました。
 しかし、まだまだキャリアも浅く年齢も相当若いであろう新人であることからか、あらゆることにあたふたしつつ縮こまってしまっている感じは、落ち着いて成熟していた女性という印象だった吉井さんと対照的で、そうしてみるとまるで吉井さんの妹であるかのようにすら感じられてきます。
 いや、そんなことある? 声質も外見も似通っている妹みたいな存在がいて、その役割を引き継ぐとか。ディランディ兄弟かよという感じですが。
 とはいえ、全部が全部そんな風にそのまま先代からスムーズに移行出来ているわけでもないことも、正直感じたところはあります。
 特に歌声などは、まだまだ鈴音の演技のままで歌い続けるのは難しいのかなという印象をライブを見ていて受けたりしました。
 とはいえ、新曲の『Precious Notes』の収録盤音源ではある程度寄せた歌声を出せているので、そこは経験を積んでいけば向こうも我々も徐々に慣れてくるのかなという感じでもあります。
 またダンスパフォーマンスなどは同ジャンル内で比較してもかなり激しく動く方である8/pLanet!!ですが、天野さんはその辺りについては別の場所でキャリアを積んでいる様子も見受けられないにも関わらずしっかり他の継続メンバーに遅れることもなくついていけていて、相当頑張って練習してくれたのかなぁとか、はたまたダンスの素質もしっかりあるのかなと思っては、改めて感謝とその才能への驚きを感じるばかりです。
 逸材、いや、本当に逸材ですよ。大型新人ですとも。
 あとは御本人の性格としてはまだまだキャリアがまっさらな新人であることやチームに馴染みきれていないところも関係しているのか、かなり引っ込み思案かつすぐにおどおどしてしまう小動物的なキャラクターであるのかなという印象ですが、それがむしろこれまでユニットになかった新しいポジションとして上手くハマっているのではというのも感じました。
 メンバーが先輩として甲斐甲斐しくフォローに回るのも、彼女が現場に慣れていない新人である以上に本人の性格や言動等に支えてあげたいと思わせるものがあるおかげなのでしょうか。
 そこには変な遠慮や気まずさのようなものが一切感じられなくて、これからユニットの中ではみんなの妹的な立ち位置として活躍していけそうだし、トーク的な部分でもそこを活かした幅が拡がりそうだなと思いました。
 そしてそんなところも関連してということかと思われますが、リーディングパートでは彼女の担当である水瀬鈴音のキャラクターも、鈴音自身が元々持ち合わせていた性質ではありますが、臆病かつ引っ込み思案で心配性な部分がこれまでよりも強調されているような路線へ若干変更されているように感じました。
 前任者である吉井さんは元々一歩引いた立ち位置で全員を支えて包み混む母性のようなものが性格にも言動にも声にも滲み出ており、それを受けて前・鈴音も臆病な性質よりはそういうゆったりと後ろから全員を支えるお母さんのような部分の方がより強く出ていたキャラクターでした。
 しかし後任である天野さん自身のそういう性格やユニット内で収まりつつあるポジションを思うと、そのキャラを修正するのもある程度仕方の無いことなのかなと感じますし、臆病かつ引っ込み思案な部分も元々鈴音自身が持ち合わせていた性質ではあるので、そこにも然程違和感はなかったかなと思います。
 そういう辺りでも本当に奇跡のような噛み合い方ですが、とにかくそんな風に新しい水瀬鈴音の滑り出しとしてはこれ以上無いくらいにスムーズなものではあったと思います。
 いや、奇跡ですよ、割合マジで……。
 実際ある種唯一無二なのではと思えるほどに吉井さん自身と水瀬鈴音のキャラクターは繋がってしまっていた感覚が個人的には大きすぎて、そんな人が抜けてしまった今後に不安しかなかったのですが、それがこの程度の立ち位置や印象の修正で済んだ上で継続していけるというのは本当に奇跡的でありがたいことだと思いました。
 いや本当に……本当にありがとう、ありがとう天野聡美さん……。

 


 次に、山下さんについて。
 彼女については新しく担当することが発表された時にも思いましたが、橘彩芽という作品内でも年長にしてユニットのリーダーを務めるというかなり責任の重いキャラクターにまさか新人をあてがうわけにもいかないでしょうし、元々このジャンル内でかなりのキャリアを積んでいる人を後任として呼んでくる判断については十分納得のいくものがありました。
 それでも一つだけ、山下さんにはこれまで声を担当してきたキャラクターの中に彩芽と近いタイプが全くおらずそこがかなりの不安材料ではありましたが、既にゲーム内で実装されているボイスを聴き慣れた今では演技の面でも十分彩芽としての雰囲気を引き出せているように思います。
 しかし吉井さんと天野さんの場合と違い、やはり前任の青野さんと後任の山下さんの声質は正直全くと言っていい程別物であるというのも事実ではあります。
 演技はまだしも、今回のイベントのライブパートで既存曲を歌われるのを初めて聴いてみて、歌声が全く違うというのにはやはりまだかなりの違和感を覚えざるを得なかったというのを否定は出来ません。
 ただ、ライブにおけるそれ以外の面、ダンスパフォーマンスなどは以前の所属グループでバキバキに鍛えていたこともあって追加メンバーとは思えないレベルでぶっちぎりに上手かったですし、他にも御本人のスラッとした長身のスタイルやサラサラのロングヘア、キュッと釣り上がった細い目などの容貌は見た目からして相当に彩芽先輩レベルが高かったです。
 トークパートにおいてもキャリアの長さを感じさせる堂に入った振る舞いをしており安定感がありましたし、ライブで締めのMCを担当するのもユニット内では新顔であるはずなのに違和感を覚えさせることなく、みんなを引っ張る立場を担当するキャラクターとして立派に勤め上げておりました。
 これらのことから思うに、後任キャストを選ぶ際に似た声質や歌声と、ユニット内で果たせる役割と、キャラクターと比較した容貌、総合的なパフォーマンス力などを秤にかけた結果として、たとえ声質が全く違ったとしても、それ以外の面を重視して山下さんが選ばれたのではないかなということを改めて感じました。
 そして、やはり結果的にその判断は正しかったのではないかなとも思います。
 橘彩芽というキャラクターの立場上、声が似ていることよりも与えられる役割を果たせるかの方が重要であるのだろうというのは今回のイベントを見ていて、また上に書いたような天野さんと鈴音のそれと比較してみても感じたことですし、それだけ難しくプレッシャーも大きい役割なのだということを改めて思い知りました。
 特に前体制ではそういう年長者やリーダー的な役割を比較的年上でありしっかりしたところのあった青野さんと吉井さんの二人で分担して担っていたこともあり、そんな二人が一気に抜けてしまった今、キャリアのおかげでガッシリとした安定感があり他のメンバーを引っ張れる実力もある山下さんの存在は、実際今回のステージを見たところやはりなくてはならないものであるように思えました。
 その代わり声質や歌声などに関してはもう別物として割り切るより他ありませんが、それにしたって決して山下さんが下手というわけではないですし、むしろこれまでとは違う新たな橘彩芽としての魅力と可能性を感じさせるだけのものを十分にライブで見せてくれたと思います。
 そして今回何より驚いたのが、遠目から見た時の山下さんの容姿や佇まいの橘彩芽度の高さでした。
 メンバーが並んでいる時に誰が彩芽先輩なのか一目でわかるといいますか、それくらいまず雰囲気が完全に橘彩芽なのです。
 こうしてみると、エビストがメンバーを選ぶ際に考慮されるのは顔の良さばかりというわけではなく、顔の造作や全体的な佇まい、普段の自然な言動からしてもキャラクターとある程度以上のレベルで合致している人物を吟味しているのかなと推測出来るわけですが(というよりも初期メンバーは恐らく当て書きの可能性が高い)。
 そういうキャストの容姿の面からもキャラクターとのシンクロを狙っていることについて掘り下げてみるのも面白そうではあるんですが、また長くなりそうなので今はきっぱりやめておきます。
 とにかく、それくらいキャラクターと演者の重なりを意識しているコンテンツが選ぶのならば、山下さんも、そして天野さんも、今後間違いのない選択となっていくのだろうと安心して見ていられるというものかと思います。
 また、こうして立場も難しく責任の重いキャラクターについて、しかも途中から引き継ぐというのを承諾し、実際頑張ってくれている山下七海さんには本当に感謝の念しかありません。
 ありがとう、ありがとう山下さん……。

 

 とりあえず、新メンバーについてはそんなことを感じたり考えてみたりした上で、今回のイベントを通じて完全に受け入れられた、飲み込めたかなと思います。
 お二方には重ねての感謝と、今後の更なる活躍への応援をこれからも送り続けたいと思う次第です。

 

 

 


まとめ

 三周年イベントについての感想はこれでひとまず全部書き尽くせたかと思うので、ここからは最後にまあぐっちゃぐちゃのそれを何とか綺麗にわかりやすい結論にまとめて終わりにしたい感じです。
 さて、最初の方でも言ったように、やはり今回のイベントは自分も含めてあらゆるファンが8 beat Story♪の何かを見極めたいと願って足を運んだイベントだったと思います。
 8/pLanet!!の前回のナンバリングライブから一年の間に詮方ない事情でメンバーが二人も卒業してしまい……普通なら再起不能に近いダメージですよ、メンバー二人も抜けたら……その補充に新メンバーを二人加入させたけれども、果たしてそこまでして続けることで何をしていきたいのか。
 また、その一年間で2_wEiがメインのライブを代わりにやってきて、そこでは新たにイベントの中で、あるいはライブの中で物語を見せるという実験的な手法を行ってきたわけでありますが、今後はハニプラもそういった路線でやっていくのかどうか。
 本当に、新体制に移り変わって、それまでに色々と実験的なことも積み重ねてきて、その上でエビストとハニプラが一体どういう風なことをここからの四年目以降でやっていきたいのか、またやれるものなのか。
 そういうものを一度ハッキリと示さないといけないだろうし、示して欲しいと思って見に行ったイベントだったでしょう。
 果たしてこれまでみたいにやれるのか、そしてこれまで以上を目指せるのか。やるのならばどういう形で、どういうことをしていくつもりなのか。
 以上はまあ最初に書いたことの繰り返しではありますが、そこのところを見極めたいという気持ちが誰しもにあったわけです。
 ……というのを踏まえた上で、今回の三周年イベントでの内容の一つ一つは果たしてどうだったのかというのは上で散々書いてきたわけですが、ここからは最後にまあそれらを総合すると一体どのような今後のビジョンが見えてくるのかということについて、あくまで個人的な考えではありますが推察してみたものを書いていきたいと思います。
 まず今回のイベントについてはエビストについての"全部"をやるものだったということは既に書いた通りです。
 今までやってきたこと、積み重ねてきたものをそのまま全部、余すことなく注ぎ込んだこの三周年イベント。
 それを見た上で感じたこと、考えついたことは、結局『それこそが8/pLanet!!のスタイルになっていく』のかなというものでした。
 全部やる。何でもやる。
 何か一つのことを突き詰めたり、それに固執するのではなくて、柔軟に、何でもやれるということ。
 それこそがハニプラの強さなのかもしれない、と。
 例えばこの一年でエビストは現実での物語展開についての実験的な試みを繰り返してはきましたが、結局それをメインにしていく2_wEiと違ってハニプラサイドはそこまでイベントやライブで徹底した世界観を構築しようという意図はないのかもしれないと、今回のイベントを見て個人的には思いました。
 リーディングパートはそういう手法の目新しい面白さがふんだんに詰まっている部分ではありましたが、かといって他の二つのパートとそこまで連動しているわけでもなく、明確に切り離して行われているようにも見えました。
 あくまで色々出来る内の一つでしかないと言いますか、そういうことも程々にはやるけれど、そこに拘り抜いて他を切り捨てるようなことはしないというか。
 ハニプラにおいては上に書いてきたような三つのこと、トークバラエティーも、ストーリー路線も、ライブも、どれか一つに行き過ぎずに全部を楽しめるバランスでやりたいというようなビジョンを示すものが今回のイベントにはあったように思います。
 それはともすれば全部が全部中途半端ということになりかねない危険性もあるかと思いますが、それでもその全てを精一杯やる、どれも一生懸命、自分達のやれるだけのことをやっていくという意気込みというか、気迫みたいなものを同時にそこからは感じました。
 そして、そうしようとする根底には、単なる自分の勝手な妄想が多分に混じっている憶測ではありますが、今回のリーディングパートのシナリオ内でも描かれていたようなハニプラの信念であり、同時に社本さんがライブのMCでも現実での自分達の方針としても語り、恐らく作品のテーマの一つでもある『自分達のステージを見て笑顔になって欲しい、楽しんで欲しい』という想いがあるのかなと思います。
 だからこそ、トークバラエティーも、ストーリーも、楽曲も、ライブも、そのそれぞれにそれぞれを楽しんでいる人がいるのならば全部を拾いたい、それぞれに期待をしている人がいるのならそれに応えたい、だからこそ全部やるというのが、結局8/pLanet!!の運営におけるスタンスなのかな、と。まあ好意的解釈に過ぎる気もしますが。
 ともあれ、様々な人が楽しめるものを提供したい、とにかくコンテンツに参加してくれている人には何よりもまず楽しんで欲しいと真剣に思っているだろうことは、運営側からのイベント後メッセージなどを見る限りでも恐らく間違いがないかと思います。
 だからこそ、今回のイベントでは何か一つにガチガチに凝り固まらずにやりたいことを全部入れてみて、そのそれぞれのパートがほぼ独立しつつも緩い連帯をしている程度の構成になっていたのかなと思います。
 食べたいところだけをつまんでもいいし、全部をしっかりたいらげてもいい。今後どこに惹かれてついてくるかはその人次第のチョイスでいい、と。
 良いように捉えすぎな側面もあるかと思いますが、コンテンツのこれまでを踏まえた上で更にこれからを見せなければいけないという場でこんな全部乗せイベントをお出ししてきたのはそういうことなのかなと自分は受け取りました。
 それを果たしてどう思うかは賛否両論あるかと思いますし、手を拡げすぎることで疎かになる部分、ファンにとってもコンテンツにおいて合う部分と合わない部分での意識の乖離も今後出てくるかもしれません(特に現実的なアイドル売りパートと作品世界の重視派は水と油のように思われるし)。
 また2_wEiのように、ハニプラにおいても世界観の構築を一本貫いていく方がいいのではと思っている人も少なからずいるでしょう。
 しかし、そうやって一つのことに凝り固まらず柔軟に何でもやるということは、今後も作品が面白くなる、あるいは面白くなりそうだと思ったことなら躊躇なく何でも実行出来る、そうして作品が更に進化していく可能性の方も大きいのではないかと自分は思います。
 そもそも2_wEiのスタイルにしてもそういった面白そうなことを何でもやってみるというエビストの挑戦的な気質から生まれてきたものですし、最初期の何がしたいのかよくわからない状態からどんどんと面白くなるための様々な試みを繰り返して自己進化を続けてきたのがこのコンテンツでした。
 なので今回それがようやく完成した何かに達することが出来ましたという形を出すよりも、まだまだ色々なこと何でもやれるようにしていくよという形を見せてくれたことは、個人的には今が完成形であるという強さよりも未来でまだまだ先に行けるというポテンシャルを示してくれていたようで非常に安心するところがありました。
 それに、ある意味では節操がないとも言えるそんなスタイルですが、しかしそこに同じく信念もないというわけではありません。
 その根底には先に挙げたようにまず何よりも『楽しんで欲しい』という想いがあるからこそ、何となく大丈夫だという気がするのです。
 イベントを、ライブを、ステージを見に来る人達に楽しんで欲しい。ゲームをプレイしてくれる人達に、物語を読んでくれる人達に、コンテンツを追いかけてきてくれる人達に、楽しんで欲しい。
 そういう想いがあって、そのために今後もやれることを何でも、精一杯やっていくんだという決意を、何となくですが自分はこのイベントを通じて感じることが、信じることが出来たように思います。買い被りすぎかもしれませんが。
 まあ、いずれにせよ"そういう想い"を届けたいというのを節々から感じられるイベントであったことは間違いないと思います。
 それはリーディングのシナリオやライブMCから直接的にであったり、あるいはここまでそれぞれのパートから感じたことをまとめてみた内容のように間接的にであったりと様々な形ではありますが、確かに存在していたと思います。
 そして何より、そういう想いをこうやってしっかりと形にして届けられるようになったということには、三年間頑張って積み上げてきた強さと、四年目からもその強さで歩いて行ける希望を感じられました。
 それと同時に、まあ本当に色々なことがあってしまった一年でしたが、それでもまだ大丈夫なんだ、背負ったものと一緒に変わらずに前を向くんだというのを立派に示してくれたようにも思えて、満足ですね……本当に満足でしたし、救われた気分になりましたよ。
 勿論、この先もう辛いことはないというような保証は全くありません。
 エビストの人気も、というか人気だけが本当に三年経ってもまだまだ全然盤石とも言えません。
 いずれまた試される時は幾度となく訪れるでしょうし、いつになるかはわかりませんが終わりを迎える時も来るでしょう。
 その終わりを迎える場所が、果たしてどういう風景なのかも今はまだ、まるでわからないと言ってもいいでしょう。
 しかし、少なくともそこに後悔というものはもうないのではないかなと、今回のイベントに参加し終えた後の自分は思うことが出来ています。
 まあ時が戻せるならば戻したいくらいの後悔を既に経験してしまったというのもあるかもしれませんが、そうでなくともこのコンテンツはいつだって全力で、みんなが楽しめる、ワクワクすることのために何かをしてきたし、これからもやっていくんだというのが今回明確になったことは大きな安心を生んでくれました。
 そして、そうやってコンテンツも、自分達も、一緒にワクワクすることをずっと追いかけていけたならば、どこが終わりの場所であったとしても、後悔することなく最後まで楽しめるのではないかと思うし、そう信じたくなってしまうのです。綺麗事ですし、理想論ですけど。
 だから、なんでしょうね、正直言うとこれまではずっと心の片隅に不安が常にありました。
 エビストは、ハニプラは本当にやれるのか? 人気は出るのか、出ないのか? いつ終わるのか、終わらないのか? そして自分は追いかけた結果に後悔するのか、しないのか?
 そんなことを考えてはライブやイベントの度に精神を不安定にしたり、布教のための怪文書を自分でもどうかしてんじゃないかと思うくらいの長さでしたためて結果何の役にも立ってなかったりということを繰り返してきたわけですが。三周年イベントの直前までそれも例外ではなかったわけですが。
 しかし今回のイベントに参加し終わってからは、ふっと、自分でも信じられないくらいにそういう類いの不安が雲散霧消してしまっていました。
 まあ、正直ちょっとばかりは悲しみというものに慣れてしまったところもあるかもしれませんが、それでも何か今はまあ妙なくらいに晴れやかですね。
 次の5thライブめっちゃ普通に、純粋に楽しみですし。どんなものを見せてくれるにせよ、楽しくてワクワクするだろうことはきっと間違いないはずですし。
 そして、それは別に人気が出て欲しいとか、規模が大きくなって欲しい、売れて欲しいとかいう向上心が完全に消滅してしまったというわけでもありません。
 今だって喉から手が出そうなくらいには人気と安定した地位と売り上げは獲得して欲しいと思い続けています。
 けれどまあ、結局本当の目的はそういうことじゃないし、人気も規模もその時に合わせた、その時にしか出来ないことを全力でやってくれるんだということに、三年付き合ってきてようやく気づくことが出来たし、今はそういうことをちゃんと信じられる姿になってくれたからこそ、そんな思いに囚われすぎないようになったんじゃないかなと思います。
 なので、こういうお気持ち文書をしたためる時に毎回必ず末尾に据えていた「8 beat Story♪ want you!(エビストは君を求めている)」という布教文言も今回は書いておくつもりはありません。
 何故かって、まあ……来るでしょ、みんな。その内、ほっといても。これだけ面白くて、ワクワク出来るコンテンツになったのだったら。
 同じドキドキを感じて、心が一つになる。そういう楽しさを知っているなら、求めているなら、まあ誰かに言われなくても辿り着くんじゃないでしょうか。
 だって今一番そういうものがここにある二次元アイドルコンテンツは、間違いなくこの8 beat Story♪なんですから。

 


 ……何でこう結びの文章書いてると気づかない内にこんな風にクソポエミーな文章になっちゃうかな!
 まあ今も昔もこれから先もまだまだエビストは楽しいねって、結局そういうことが言いたかっただけですよ。
 そして、これからもそういうことを忘れずに進んでいけるコンテンツであることを願っておりますよ、と。
 三周年、本当におめでとうございました。

 

*1:全部書き終わってみたら本当にアホかと思う程長くなっていたので自分でドン引きしつつ心から申し訳なく思っております……

*2:詳しく知りたい人は本ブログの前回の記事を読んでね(クソ長いけど)http://m-kichi.hatenablog.com/entry/2018/06/03/222600

中日本地区のラジオ抗争へ今すぐ参加せよ -独断と偏見で語ったり紹介したりするガルラジ-

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むこうぶち-高レート裏麻雀列伝-より引用


まあまあ、ある一時期から自分のTwitter上におけるタイムラインではこういう人でなし達が爆増したりしていたわけなのですが。
その原因はまあともかくとして、そんな人でなし達が年明けてからいきなり、毎日延々と『ガールズラジオデイズ』略してガルラジなる謎のプロジェクトについて興奮して語り始めたんですよ。

 

 

そりゃ気になるでしょうよ。気になりますよ。
何せそういう人達と相互フォローということは自分自身そういう人でなしの一人であるわけで、毎日流れてくるプロジェクトについての情報を眺めていると何かしらの"匂い"を感じてしまわざるを得ないですよね。
匂い……かな……ここ(ガルラジ)の匂いにつられて……。

で、まあ、調べてみるとガールズラジオデイズ、読んで字の如く二次元世界に住まうガールズがあたかもこちらの世界に存在するかのようにラジオ番組をお届けするという新たな形の2.5次元プロジェクトだったわけですが。
元々ラジオ番組を聴くのが結構好きなのもあって、実際に飛びついてみるのに然程時間はかからなかったですよね。
そしたらものの見事にハマってしまった……と言うほどでも今のところはないけども、「刺さっちゃったな~……結構深いとこ……」という感じにはなってしまっていて、まんまとしてやられたと言いますか。
人でなし達のガールズラジオマーケティング
略してガルマにしてやられたと。
そういうのはともかく、2.5次元はアイドル、バンドと来て次はラジオかよというのは一見すると安直に思えますが、実際触れてみるとかなり面白い構造をしていて、こういうジャンルが今後どこまでいってどうなるのかということを考えるための一つのサンプルとしても非常に興味深いし、まあ何よりチーム徳光が最高なので、ガルラジ全体というより主にチーム徳光がどうなっていくのか見届けたいみたいなところもあり。
それら引っくるめてより多くの自分と同じような人でなし達に勧めてみたいなと自
分自身思わされてしまいました。まんまと。病原菌のキャリアーみたくなってますが。
まあ、なので、ガルラジという企画全体と各チーム(ガルラジは五つのチームがラジオで争う世界観なのだ)それぞれ聴いてみた上での印象とか感想とか、以下から自分のそれをまとめることで他者に対する勧誘のような、そうでなくとも単純に自分の意見を勝手に書き残しておくだけのような、まあ何らかのものになればいいなと思いながら適当書いていこうかなと思います。

 

 

 


各チームそれぞれの印象とか


まあまあ、いきなりチームとか言われても知らない人には何がなんなのかサッパリわからないと思うので、最初に軽く説明しておきたく思います
ガルラジは中日本地区に点在する五つの高速道路上のSA・PAから、その名前を冠したそれぞれ五つのチームがラジオ番組を発信しており、そのチーム同士、ラジオ番組同士がランキング形式の戦いを行っていて、中日本の覇権を競い合っていた……りするわけでは全然なくて、成績が悪いチームの番組は打ち切りというシビアな設定のプロジェクトとなっております。
中日本地区で!? 五つのチームが!? という辺りに悪い意味で惹かれるところはあったりするんですが、別に今のところはそれほど各チームがお互いバチバチにやり合っているわけでもなく、各チームも悪い方に尖っているわけでもない(しかし一部はビンビンに尖っている)ので、そこら辺の何かを彷彿とさせる設定が面白いというわけでもなくて。
じゃあ何が面白いのかというと、まあやはり五つのチームがそれぞれ全く毛色の違うラジオ番組な辺りだったりもするので、そのそれぞれのチームの番組を実際聴いてみての印象なんかを個人的な好み交えつつここにまとめていきたいなと。
そうすることで知らない人にも各チームの簡単なイメージを掴ませつつ、興味を惹かれたチームから聴き始めてみて欲しいなどと画策していたりするわけですよ。はい。
まあ、以下からそんな感じで読んでみてください。

 

 

 


チーム岡崎

 

ガールズラジオデイズという名前から最初にどんなラジオ番組を想像するでしょうか。
恐らくその想像まんまの番組をやっている
のがこのチーム岡崎の番組なんですが。
現役女子高生かつ放送部員の仲良し三人組が繰り広げる青春系ガールズトーク
格闘ゲームでいうところのリュウみたいなポジションですよ。プレーンというか、クセのない操作性のやつ。
まあ良く言えば王道なんですけども、悪く言えば真っ直ぐすぎるというか。
本当にどこまでも女子高生の部活レベルの番組なんで、高校の頃に放送部がお昼に流してる校内放送を「クソつまんねーな……」と思いながら誰もいない日陰で弁当を食っていた暗黒の記憶が蘇ってくるような味というか。まあそんな記憶はウソなんですけども。
で、トークもいわゆるそんなですから、聴いてて耳が滑りまくるというか、背中が痒い!痒いよぉ!ってなっちゃうところも多くて。
個人的にはそういうところがあんまり好みじゃないし、ガルラジという字面から知って、そこにこの番組しか存在しなかったらダメっぽいなこの企画……と思ってしまいそうなというか。
なのでガルラジどれから聴こうかなと迷ってる人にもあまり個人的にはオススメしがたいかな、と。いやまあ、今の時点でガルラジに"匂い"を感じるようなケダモノ達にはという意味ですけども。
人生真っ当な道を歩む女子高生達の輝かしい青春を覗き見ることでしか性的興奮を得られないタイプの倒錯者とかには一も二もなくオススメ出来るんですけども。
そうでなくとも、ガールズラジオデイズという言葉から想像出来る感じのやつこそが聴きたいって人にも最初ならこれなのかなとは思います
まあ良くも悪くも看板としての綺麗さを持ってるので、これが後々大多数の人の入り口になるのならばこうあるべきだなとも思います。
番組本編自体も回を重ねる毎に真っ直ぐ青春の悩みやガルラジのランキング制度にぶつかりつつ、それを乗り越えていく様子などが描かれていて、結構そういう青春モノとしての真っ当な良さみたいなのもあるなと感じられたりしてきておりますので。
そんな感じで毎回色々と成長していく、単品のラジオ番組というより物語として楽しむべきなのかなとか思います。
それこそこの記事の最後に言っているように実はガルラジのコンセプト的には一番描きたいところかもしれませんし、まあやはり良くも悪くもガルラジというなら岡崎なのかもしれません。
けれどまあ、捻くれた人にはやはりコンテンツに慣れてきてから聴いていくのをオススメしますけども。

 

 

 

 


チーム富士川


五つのチームの中でのトップを目指す意識の高いチームという公式設定の通りに、非常に良く出来た番組を放送するチームが富士川です
実際聴いていても、「あー、良く出来てんなー」と感じます。
掛け合いとか、番組構成とか、コーナーとか、三人チームのそれ
ぞれのキャラクターとかがしっかり計算されていて、一番人気が出るように作られていそうというか。
番組自体も良く出来てるガールズラジオだなという感じ。オタクが好きそうだなー、と言いますか。
全体的な雰囲気も今のトレンドっぽいオシャレさとスタイリッシュさを持っていて、キャラデザなんかもそんな感じで。
今後このプロジェクトがよりハネるとして、入るならここからってオタク多そうだなぁ、と。で、ここが一推しのままと。
まあ、そんなチーム富士川なんですけども、良いところを散々並べ立てましたが悪いところはというと実は今まで挙げたところ全部だったりもします。
まあ何か、そういう"上手くやってる感"が個人的には鼻につくチームだなぁというか。単にお前の好き嫌いじゃねえかみたいな話にはなってしまうんですけども。
設定にもあるような意識高いところというか、こういうのがウケそうという計算の下で作られていて実際ウケちゃうんだろうなみたいなところが、捻くれ者の自分的にはあんまり受け入れにくいなぁという感じで。
番組自体も本当に良く出来ているんですけども、良く出来すぎているが故に面白味に欠ける印象があると言いますか。
ガールズラジオが好きという人にはいいんですけど、単純にラジオが好きという人にはキツい部分もあるなぁと(白糸結の演技とか)。
キャラクターも良く出来てる分、作り物感が出てしまっている感じがあって、うーんと言いますか。
年魚市さんとか、如何にもオタクにウケそうとい
う感じが何か現実感なくてなぁ、と。
まあ実際全部作り物ではあるんですけども、後述する個人的に考えているガルラジの面白さ
とは合わないように感じてしまったりして。
でも合う人には凄く合うんだろうというか、大多数の人には合いそうなんですけども、極少数の合わない人はとことん合わない感じのチームだと思いました。
良くも悪くも一番人気であるが故の宿命といいますか、最大公約数を求めた強さと弱さを併せ持ったチームだと個人的には思っています。
まあそんな富士川の最新回では年魚市さんが人間としての心を獲得してしまったせいで番組のバランスが崩れ始めるというドラマが展開されていたりするので、今まで挙げた全部の印象引っくるめて公式の計算かもしれなかったりするのですが。
そういうところで先が気になったりはするので、まあそれも引っくるめてやはり一番上手いチームなのかなと。
要約しちゃうとナナシスとか好きなオタクが好きな感じなんじゃないですかね(物凄く失礼な偏見)。……いや、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

チーム徳光


さて、やって来ましたよ。ガルラジ最強(個人的意見)にして最大の問題児、それがチーム徳光こと手取川海瑠である。
まあまあ、自分がガルラジで一番最初に聴き始めたのもチーム徳光からで、何故かと言うと元々自分がラジオは一人喋りの番組の方が好みだからでして、それでガルラジの中では唯一孤軍奮闘一人喋りのチーム徳光を最初のポケモンに選んだわけなのです
そして、この選択がいやー、大正解でしたね。今のところ全ての回が怪作の雰囲気を纏った凄まじいチームなんですよ。
パーソナリティーは思春期真っ只中、反抗期真っ只中、中二病真っ只中で、石川県のド田舎在住な超等身大現役女子中学生の手取川海瑠ただ一人。
そんな、パッとしない地元や周りの大人全てに噛みつきたがりながら、都会への無知で無邪気な憧れを振りまく、どこにでもいる女子中学生手取川がラジオを通じて痛々しいまでに全国へと自分を曝け出し、思春期の痛みと苦しみに七転八倒のたうち回る様を包み隠さずお届けするのがこのチーム徳光の番組なのです。
いやー、もうこれが本当に凄い。凄いとしか言い様がない。
完全に冒頭に書いたような人でなし達のストライクゾーンど真ん中なラジオ番組なわけなんですよ、これが。
根拠のない自信と行き場のない反抗心を抱え肥大化した自尊心を持て余す、そんな!
そんなこっち側に一番近いような女子中学生が、周
囲の環境や思い通りにならない立場や正しいとも間違っているとも言い切れない時期の自分の精神との葛藤に藻掻き苦しむ様をラジオを通して眺めることに得も言われぬ快感を覚えるタイプの人でなし達が群がる番組、それがチーム徳光なんですよ。
そして、その行為は別にそこから愉悦を得ているだけというわけでもなく、手取川がそうして世に叫びながら当て所なく彷徨う姿にかつての自分のそんな時期を重ねて、懐かしい痛みと己にも昔はあったような純真さへの喪失感を覚えながら自分自身をも虐めつつ、それらのドロドロに澱んだ精神ヘドロの底に微かに存在する(頑張れ……! 頑張れ手取川海瑠……!!)という純粋な応援の気持ちと共に見守ってもいるような、そんな複雑に捻れきったド変態行為なんですよ。
ここまで熱く、そして恐ろしく気持ち悪い情念で述べてきたチーム徳光という概念に対する個人的な解釈に何かビビっとくるものを覚えたド変態達よ、いいから今すぐチーム徳光のラジオを聴いてくれ!!
とまあ、そんな歪んだ魅力とは別にしても、一ラジオ好きの観点から見ると実はラジオとしてもチーム徳光が一番面白いという真っ当な強さも存在していると個人的には思ってもおります。
ガールズラジオ、ガールズトークというテーマを標榜している企画でありながら何故かこの番組だけノリが深夜ラジオっぽかったりとか。
徐々に確立されてきた他者や地元を腐しながらも回り回って自虐トークに戻ってくる独特のスタイルや、中学二年生とは思えぬレベルに不自然な間を空けることなく一人で喋り続けながらも小ヒットを連発していく卓越したトークスキル、出し入れ自由になった元主人格にして今は別人格ことプリンセス・ミルミル、ブースの外から援護射撃に見せかけたデッドボールを放ってくるマネージャー吉田などの幅広い要素を軸にキラキラなガールズトークからはかけ離れたシュールな一人喋りラジオと化しつつあったりとか。
それらを全部合わせて、痛々しい中学生なだけじゃない、天才、いやマジで歳考えると本当に天才としか言えない天才ラジオDJ手取川海瑠の普通に笑える面白トークもチーム徳光の大きな強みと魅力であると個人的には思っています。「波よ聞いてくれ」が好きな人なら絶対好き。そんな感じ。
そして、そんなユーモラスな番組の皮の中に包まれて上手い具合に時折顔を見せる真っ直ぐで純真な少女としての手取川海瑠の主張や信念、恐らくラジオの形で展開するドラマとしての側面も持つこのプロジェクトにおけるチーム徳光のドラマ「今は大嫌いな地元や大人達とどう折り合いをつけて自身も大人になっていくのか」という問題の今後の進展、そこら辺も全部引っくるめて、徳光と手取川は非常に面白い番組であり物語になっていると思います。
まあ、何だかんだガルラジに今ちょっとハマっている切欠であり、一推しなチームなだけにかなり説明と感想に熱が入ってしまいましたが、それでもプリンセス・ミルミル時代を通して聴くのが中々最初の試練だったりとか、普通に放送事故多目だったりとか、青臭すぎる感じは人によっては好みもわかれそうとか、色々と欠点もあったりするとも思います。
しかしそういう欠点も全部引っくるめて自分はチーム徳光の魅力かなと、思ってしまうくらいには盲目的に好きになっちゃっているので、ここまでのことは話半分に聞いておいてもらいつつ、もしそれでも貴方が何かここから"匂い"を嗅ぎ取ったド変態の一人であるならば、是非ともチーム徳光からガルラジに入門してみてください。ていうか徳光だけでもいい。
そんなド変態向けのチームです。

 

 

 

 

 

チーム双葉


山梨最強の三姉妹が地元からアットホームでドメスティックでゴキゲンなラジオ番組をお届けするぜ!
そんな仲良し姉妹がキャピキャピしながらお送りする番組という設定だけ読むとなんだかなぁと思いがちな印象とは裏腹に、実はこの番組、個人的には全チームの中で一番、圧倒的に耳に優しくて聴きやすい番組だと思っていたりします。
その理由を、番組を紹介しつつも自分の中でまとめるために考えていきたかったりもするので、まあ以下からそんな感じで。
まず三姉妹と言っても年の近い三人というわけではなく、結構変則的な姉妹構成だったりしています。
メインとなるのは山梨県は甲斐最強の双子姉妹(自分が勝手につけたキャッチフレーズ)こと、19歳の玉笹姉妹。
この二人の関係というか雰囲気がここで安易な例えに出すのもどうかなぁと思いつつ、個人的にはとにかく雨宮兄弟に非常に近しいものがあると勝手に感じていたりするのです。
なので、あの兄弟を知っている人はまずこの双子が雨宮兄弟だと思って聴いてみていただきた
い。
明るく陽気で若干三枚目かついい加減な性格で妹には軽んじられ気味の姉、玉笹彩美。
冷静かつ現実主義で姉のことは軽く見つ
つも放っておけない真面目な妹、玉笹彩乃。
基本的にはこの二人が普段はいがみ合いつつも、肝心なところでは息が合っているような合っていないようなやっぱり合っていないかもしれない、そんなトークを繰り広げるのが番組の骨子となっています。
そして、その双子の間に挟まる形で存在するのが、そんな二人と結構歳が離れた末の妹、玉笹花菜。
普段は互いに反発しつつ息も全く合っていない双子が、この末の妹を溺愛することにかけてはピッタリと息が合っており、そんな姉に溺愛される末の妹も姉二人よりも余程しっかり者の出来た妹で、無邪気に姉二人の手綱を握って番組をコントロールしています
つまり雨宮兄弟に二人が溺愛する末の妹がいるような感じを想像して欲しいんですが…………うん、良い。いや、本当にめっちゃバランス良いんですよこの関係性。
そんな感じで、このチーム双葉の番組がコンセプトの割にやたら聴きやすくて心地良く感じる理由の一つがまず双子の玉笹姉妹の関係性とか二人の性格にあったりするのですが。
二人共に割とサバサバかつサッパリとした、女の子女の子しているというよりは若干男性寄りの中性的な性格をしていて(その根底は双子で共通している)、姉妹と言うよりは本当に兄弟のような関係性で、それ故に二人の会話もキャピキャピした耳が滑るようなガールズトークにはならずに、軽妙かつテンポ良くボケとツッコミを繰り返していく安定感のある会話となっています。
そのせいなのかなんなのか、何となくこの双子の関係がどんどんと百合……というよりはむしろBL寄りのそれっぽく見えてきてしまうんですよ。
普段から適当で情けなくて姉の威厳も何もない、そんな自分へ小言と嫌味ばかり向けてくる妹に辟易しつつも、何だかんだ姉として妹にいいところは見せたいし大事に思っている彩美。
真面目な自分とは相容れない楽観的かついい加減な性格をした姉を普段は疎んじ皮肉ばかりを投げつつも、本気で嫌ってはいないし心配もしつつ見放せない彩乃。
そんな双子の互いへの複雑な感情がジワジワとゆっくり伝わってくる番組内でのトークがこう……良いんだよね。
本当に、最初に見るビジュアルや印象からは全く想定出来ない角度でぶっ刺さってくるんですよ……。
そして、そんな二人が溺愛する末の妹、花菜の存在。これがまた絶妙に良い。
何故かイケメンBLっぽい雰囲気を醸し出すそんな双子の姉妹が、自分達よりかなり年下でしっかり者の妹を溺愛しているこの構図。
夢だよね……。夢じゃんこんなの……。少女漫画だぜ……別マ連載系のやつね……。
というわけでこの番組が聴きやすい、というかむしろ聴いてて「はぅぁぁ……!?」とたまにドキドキすらしてしまうような理由は主に上記のような部分にあるのではないかと個人的には考える次第ですよ。
まあ、そうでなくとも共に暮らして気心の知れた家族の関係というのは、友人やラジオを通じた仕事仲間とかよりもトークにおける間合いの取り方が絶妙に上手くて心地良いのです。
行き過ぎもせず、かといって不足しているわけでもない、絶妙なバランスで恐らく破綻することのない会話というのは五つのチームの中で一番安心感があって、それ故の番組の聴きやすさというものにも繋がっている気がします。
チーム徳光には一人だけでやるが故の強さがあるなら、チーム双葉には多人数でやるが故の強さが一番存在していると思います。
そんなチーム双葉に欠点があるとするならば、やはり良くも悪くもその圧倒的な安定感が強さと表裏一体の弱さであると言えるかもしれません。
最初からガッチリ完成している関係性は他チームに比べて回を重ねることによる成長と伸び代に欠けると思われるし、家族でゆるっとアットホームにお届けする番組は目的意識に欠けている印象があり、他と比べて最新回までにガルラジのランキング制度に関わったりラジオをやることでどうなっていきたいかのようなドラマらしいものが展開されていないという現実もあります。
まあ、今後そこら辺のことをきっちり織り込んだドラマが展開されていくのかもしれませんが、今のところは一番安定している番組という強さと、波乱が少ないが故の弱さが混在している番組となっています。
とはいえ、チーム双葉のドラマはこれだけいい材料が与えられているならばむしろこちらが勝手に妄想していってしまった方がいいかもしれないし、そういう強さも一番所持しているチームだとも思われますね。
姉妹が大渋滞!の2019年(自分が勝手にそう思っている概念)に恐ろしい勢いで食い込んできた新たなアツい姉妹関係こと玉笹姉妹。
キャラクター同士の奥が深い感じの関係性が欲しいタイプの人にはまず間違いなくぶっ刺さるかと思われますので、そういう自覚があるならチーム双葉から聴き始めることを強くオススメする次第でありますよ。

 

 

 

 

 

チーム御在所


古今東西あらゆる雑多な知識に精通し、それらを活かした調査研究にも秀でたガチの天才小学六年生である神楽菜月を中心に、その活動を金銭面からサポートするパトロンの超お金持ちかつ小学生に心酔する変態女子高生の穂波明莉と、同じくそんな天才小学生に心酔し下僕のように傅く助手の変態大学生徳若が、この世のあらゆる怪奇現象を調査・解決するために結成した組織。
それがカグラヤ怪奇探偵団であり、その広報活動の一環としてラジオ配信を行っているのがチーム御在所である。
そして個人的には五つのチームの中で、この御在所が一番怖いと思っています。
それは別に脅威というわけではなく、単純に訳が
わからなすぎて怖いという意味なのですが。
何せ最初に長々と書いたようなちょっと何を言っているのかよくわからない、設定段階で空中分解すること必至と思われるようなこのラジオ番組が意外とバラバラにならずにきっちりまともにラジオとして動いているのがまず途轍もなく恐ろしい。
実際聴いていてもどうしてこの番組が破綻せずに成り立っているどころか意外と普通に面白く聴けてしまうのかまるでわからないんですよ。
いや、理由は何となくわかってはいるんですけども。
その鍵となるのが変態女子大学生の徳若であり、この徳若が変態でありながらも妙に番
組を回す力が高く、空中分解しそうな番組をギリギリ繋ぎ止めながら毎回完走させているんですよ。
その他おっとりしていて何事からもズレていそうな穂波も意外と締めるところはきっちり締めて番組を進行する能力があり、ラジオにあまり興味が無い団長の神楽菜月も自分の得意分野の知識を披露する際には淀みなくスラスラと面白い解説をすることが出来ます。
まあ本気でやれば凄い三人が、敢えて番組が破綻しない程度のギリギリの力しか出さずに手を抜いて走っているような、そんな番組という個人的な印象なんですが。
そんな番組の内容はというと、こちらもガールズトークというよりはテレビのバラエティー番組によくある怪奇現象検証モノをそのままラジオにしたような、五つの中で一番の変わり種番組となっております。
変態徳若がどうにか用意出来るカグラヤ内のギリギリの日常ガールズトークを回しつつ、視聴者からの投稿による怪奇現象報告を検証しながら団長神楽がそれについて百鬼夜行シリーズのような学術的知識を解説し、穂波と徳若がそれをヨイショしつつ調査報告を行って締めていくというのがようやく確立されつつある番組の基本スタイルでして。
聴いていて面白いことは面白いのですが、正直これは一体何味の食べ物を食わされているのかわけがわからなくなってくるのも本音であり、聴いてる間中「何味……!? ねえ、これ何味なの……!? 怖いようッ」という感覚に毎回襲われてしまっておりますよ。
それをして五つのチームの中で一番怖い番組であり、一番わけのわからないチームという個人的評価なのですけども。
番組構成も非常にふわふわとしていて不定形なのですが、それが回を重ねるごとにどうにか形が定まってきつつある辺りはある意味最も成長性のあるチームということなのかもしれないですけども、スタートラインにすらついていなかったのがようやくスタートまで辿り着きつつあるだけのような気もします。
とにかくまあそんなわけのわからなさが確かに一つの魅力ではあり、それが意外にも不思議な面白さに繋がっているのも含めて御在所の強さなのですが、同時に弱点もそのわけのわからなさに存在しているように思えます。
御在所を応援する目的が見えてこないというか、彼女達に肩入れするわかりやすい理由みたいなものが殆どなかったりする辺りがそうと言うか。
わけのわからないミステリアスなところが魅力なので、御在所がガルラジに懸けるわけがわかるような安いドラマが挟み込まれてしまうとその強さがなくなってしまうわけなんですが、それ故にラジオに拘ることで発生している他のチームのような強さを手放してしまってもいるように感じられたりします。
チームメンバーの関係性もラジオ配信を通じて成長していくというよりは、元々別のサークルで強固に固まっているものがスライドしてきてラジオをやっているだけなので、そこら辺の要素も双葉に次いで弱いかもしれないと。
というか番組を聴けば聴くほど、番組の中で徐々に明かされるカグラヤ怪奇探偵団の普段の活動の方がラジオ番組よりもよっぽど一つのストーリーとして拝んでみたいものとなっていたりします。
何だその三重県四日市にあるどこかのアパートに書斎つきのアジ
トを構えて普段は三人各々そこにたむろしており、依頼があれば出動する怪奇現象調査探偵って。超気になるから別の独立したプロジェクトとしてやってくれ。
そもそも番組本編でも今回のガルラジ参加はカグラヤ怪奇探偵団の世間への広報活動が主な目的であり、ラジオ番組としての成否はどうでもいいと公言すらしてしまっていたりもするのですが。
カグラヤ怪奇探偵団自体そのようにラジオをせずとも別の重要な本業があるグループであり、番組開始の時の配信を見に来るほどの元々の熱心なファン層なども既に存在していたりもします。
一番ラジオ活動に熱心な変態徳若も探偵団の新参としてラジオで二人と交流を深めたいというわけでもなく、普段の助手としての探偵団での活動で十分二人と仲を深めているし充実しているように見受けられたり。
最新回までにも探偵団の広報と日常の限定的な情報公開はあれど、ラジオ活動から今後発展していくようなドラマは全く存在しておりません。
まあ恐らくそれも意図的に設定されていることだろうとは思われるし、ランキングの結果に左右されることのない独立した面白さを持ったラジオ番組という存在も気楽でいいし、必要なポジションなのかもしれません。
ガルラジの第一期は全六回。そこで例えランキング最下位のまま番組が終わることになってしまったとしても、カグラヤ怪奇探偵団の広報活動としては十分な成果を得られたものとして走り抜けてしまいそうな雰囲気もあったりします。
まあそれはそれで本当に正解なのでしょう。応援する方もカグラヤ怪奇探偵団の不思議な日常がもっと見てみたいという目的からでしょうし、その終わりがどこにあっても大した問題でもないのかもしれません。
とまあ、そのようにガルラジのコンセプトから一つだけ外れた存在としての強さと、それ故の弱さのある不思議さと恐ろしさのあるチーム、それこそがチーム御在所なのだろうと個人的には考えております。
そんな御在所をどんな層に勧めればいいのかと言われると、まあこれまでの四チームのどれも刺さらなかったなという人へ最終手段的に投与してみるしかないのかもしれないね……。
まあ後は上で書いてきたようなラジオとは特段関係ない謎のオカルトもの作品としての姿に興味を持つような人達にとかね。
まあまあ、そんなチームですよ、御在所。ラジオとしても実は双葉に次いで聴きやすい方だったりしますしね。そんな感じです

 

 

 

 

 

さて、ここまで延々長々と各チームの紹介文のような、単なる個人的な印象と感想のような、そんなわけのわからないものを書いてきましたが、最後にそんなガルラジというプロジェクト全体への自分の今抱いている正直な印象と感想、考察もどきなんかもまとめておきたく思います。

 


そうですね……ガルラジ、企画として魅力を感じたり面白いなと思った部分は、やはりまず全然味の違う五つのチームを用意してくれているところにあって、この幅の広さがまず一番良いところだなと思いました。
こういう感じの企画ってチームが分かれていると言っても大体が岡崎か富士川みたいなチームが大した差もなくダラっと集まりがちなところを、徳光とか御在所みたいな頭おかしいゴリゴリに尖ったチームがちゃんと混ざっていて、企画の味に相当な深みが増しているところがとても好きだし、上手いなぁとまず一番に感じておりますよ。
そこ以外で肌に合ったところは、キャラクターの肉付けっぷりですかね。
まあまあ、ラジオという媒体で2.5次元をやるには、キャラクターの担当声優さん達が実際に踊ったり楽器を演奏して現実でもその存在を補強してくれるというようなことが出来るわけでもなくて、単純にラジオを発信しているキャラクターがいるという設定しかないわけですから。
なので、この企画はそんなラジオ番組を通して伝わる少女達の性格や思考、精神などを我々が受け取り、感じ取ってひたすら彼女達の実在を己に信じ込ませていくという狂気の荒行が必要とされる上級者向けコンテンツでもあるわけなのですが。
まあ、そういう結構マゾめの楽しみ方が個人的には水が合ったし、好ましいなと思っているところでして。
そして、そんなラジオの向こうの少女達の実在を信じるための手助けとなる、ラジオ番組内でのキャラクター達の生々しさが非常に良い感じだなと思っております。
特にチーム徳光なんかの、手取川海瑠の一人の人間としての生っぽさ、まるで彼女がちゃんと現実世界に存在して生きている、独立した思考を持った人間であるかのように感じられる生っぽさみたいなのがとても良いのではないかと。
そういったものを軸にして、実在するSAやPAという場所、少女達が番組内で話す地元トーク等からその土地に彼女達が実際に住んでいて生活しているんだと空想してみることで、何かこうエモーショナルなものを得られるのは、なるほどこのガールズラジオデイズというコンテンツの発する新しい面白さなのかもしれないと自分は感じ、考えていたりします。
特に実在する中日本の場所が地元として設定にしっかり組み込まれていることは、その存在を信じ込む行為をより強固で質の高いものにするべく実際にその土地やSA・PAへ赴くという巡礼行為にも繋がっていて、実際ガルラジリスナーの先駆者達はすでに各々巡礼の旅へと向かってもいるようで、地域活性化という観点から見ても上手いやり方なのかもしれないと思います。
まあ、そんなわけで、個人的にガルラジで面白いと思っているところを長々描いてきたものをぎゅっと簡潔に圧縮してみると、

 

・五つのチームの個性とスタイルの幅が大きく広いことで、コンテンツ参加への間口も広くなっていること

・それぞれのラジオ番組から受け取れるパーソナリティーの情報や存在感だけを頼りに二次元の世界の人間が三次元に実在していることを信じ込んでみるという行為の面白さ

・そのためのキャラクターの設定や性格、思考の生々しさ、クオリティーの高さ

・その行為を高めるために実在する土地への巡礼を促すような作りの上手さ

 

こんな感じかなぁ、と。
まあ、それもこれもまだまだガルラジの浅瀬でチャプチャプしてる程度の自分が感じていることでしかないので、ここから更にキャラクターを演じる声優さん達個人への感情やラジオ本編とはまた別の声優さん達同士の番組アフタートーク等の面白さによってチームへの印象が変わってきたり、どのチームが自分の一番かというのも変わってくるのだろうとも思います。
思いますが、まあ自分はまだ声優さん達まで判断材料に組み込むほどハマりきれてもいないので、今は単純にキャラクターと番組だけから受け取れる印象をまとめただけということで。そういうものだと思ってください。

 

 

さて、ここまでガルラジの良いとこばかりを書いてはきましたが、これはどうなのと思うところもあったりはするので、最後にそれに関しても少しばかり書いておきたいな、と。
まあどうなのというか、惜しいなぁと感じる部分と言いますか。
そんなものとして挙げておきたいのが「双方向性の不透明さ」で
あったりしまして。
やっぱりラジオ番組の魅力の一つってお便り投稿を通じたリスナーとパーソナリティーとの交流にあると個人的には思っていて、そこで例え二次元の架空の存在であってもこちらと向こうがきちんと交流出来るなら、キャラの実在を信じて楽しむガルラジのスタイルにより説得力や面白さを付加出来ると思うんですよね。
しかしどうもその辺、こちらのお便りが本当に向こうに届いて採用されているのかが完全不透明で、というか恐らくされていないっぽくて
まあ、そもそもラジオ番組という体で一本のボイスドラマを0から構築しているようなものなのでお便りへの反応というのを積極的に組み込むのは難しいところもあろうなとは思うんですけども。
思うんですけども、それにしたってそこでここまで多分自分達は番組には全然関われてないんだなぁというのがわかってしまうのはどうかなと思ったりもしているんですけども。
そう思う原因が、まあガルラジのラジオ番組という体ではありつつもその番組一回一回を通じてキャラクターの心情などが変化していくドラマも同時に描きたいというコンセプトの辺りにありまして。
なので必然基本的にその回で展開したい感じのお話に偶然フィットした内容のお便りが選
ばれる傾向にあるんですけども、っていうかそんなお便りを単なるリスナーから送られるわけねえんだから完全にそっちの仕込みじゃねえかって。モロバレじゃねえかって。
そうなると番組内で読まれている投稿の一体いくつ程度が真実リスナーから送られてきたものか怪しく思えてくるのも当然なわけで、まあドラマありきというのはわかってはいるんですけども、先に書いたように結構な強みになりうるその双方向性の部分を自分達から潰しているのはどうなのかなと思ったりするわけで。
そんな感じで、じゃあガルラジにハマっても投稿者として関われるのかが怪しいとなると、どうやってこちらから向こうへ反応を送ればいいのかなというところで出てくるのがラジオ番組同士のランキング制度というものになるわけなんですけども。
こちらもまあ、なんとお便り投稿以上にこちらの意見が反映されているのかいないのか怪しい代物になっていて、そもそも毎回終わる度に発表されているらしいランキングは実はこちらの世界にはどこにも存在していないという……。
いや、どこで!? どこでその情報見られ
るの!?
いいえ、ランキングなんてもの最初から存在しないの、モルダー、あなた疲れてるのよ……。みたいな。

いや、これ本当にマジで、番組内で誰かがチラっと順位に触れるくらいの情報しか出てなくて、アプリから今回の放送はどうでしたか?というアンケートへの回答が送れるには送れるんですけども、まあ一体何に反映されているのかは完全に謎だという……。
こうなってくると、本当はこのプロジェクトというのは既に決まっているシナリオをラジオの形にして発表している感じの一方通行なものなんだろうなというのは薄々わかってきたりもしているんですけども。
でもそれじゃあラジオって一体何?という疑問や不満もないではないというか、それしかなくなってきたりもするんですが……。
ですが、そもそもどの番組も二週に一回の配信が全六回で一区切りになるらしいということで、いくらなんでも早すぎじゃない!?という部分からもわかるように、もしかしてリアルタイム視聴者参加型みたいなことは向こうは最初から想定していないのかもしれなくてですね。
ひとまずこの各番組全六回を一つの作品として発表し終えた上で次の一手をどうするのか考えているのかもしれないですし、まあまあこれまで挙げてきたような不満点もクソもガルラジってそういうものですしと言われたらぐうの音も出ないわけで。
ガルラジを聴く自分達の役割って何なんだろうというのも、そもそも役割なんてないとしたら納得ではありますし、先に長々書いたような「こういうプロジェクトなのかな~」という予測や楽しみ方も段々先が読めなくなっているというのも一つの現状ではありまして。
けれどまあその場合にしても、別にアプリに課金フォームがあるわけでもなく、今のところ何も企画に対して還元しようもない我々は大人しく与えられた物語だけを個別に楽しんでおくというのも一つの正解であるかとも思います。
その上で自分の感じた、信じた楽しみ方を貫いていけばいいというか。
少なくとも自分は「アタイ、春先になったらちょっと石川辺り旅
行してみようかな……」とかこの企画を通じて思わされてしまっているわけで。
だからまあ、実はあんまり小難しく考える必要は全くないのかもしれなくて、やはりただただラジオを聴けばいい。ラジオを聴けばいいのですよ。
ガルラジの基本にして究極は恐らくそこかと。
今配信されているラジオ自体はとにかく普通に面白いですから。

ラジオを聴いて、あの番組どうだったと語り合い、考察したいなら考察をし、妄想したいなら妄想をし、巡礼に行きたいなら巡礼に行けばいいんですよね。
そうやって各々好き勝手に楽しんでみるのもまたラジオというものの一つの在り方でしょうし、正解だとは思います。
なので、みんなでガルラジ聴こうぜ! 特に徳光! めっちゃ面白いからさ!
てなわけで、スタジオにお返ししま~す。(原作内での鉄板ネタで締め)

 

現実を侵食する物語 -今の8 beat Story♪で何が起こっているのかについて-


※今回はオタクポエムじゃねえぞ!

 残念ながらな……と言っていいのかどうかはわかりませんが、今回の記事はこれまでのようにライブへの感情を吐き出したものではありません。
 そして、じゃあいつもの「エビスト面白いぞ!」っていうプレゼンなのかと言われるとそういうわけでもありません。
 正直な所、どちらももう十二分にこれまでの記事で書ききったという思いにあるので、たとえ4thライブがどれだけ良いライブだったとしても、いや、むしろいいライブであればあるほど何も書かないでいようと心に決めていました。
 その上で、それでももし何か書きたいと思ったならば、書かねばならんという事態に陥るならば、それは余程自分の予測を超えたことが起こった時くらいだろうと思っていました。
 そして、今、まあこうして書いているわけですので、つまりはそういうことなのですが……。
 起こりましたねぇ……。起こってしまいましたね、予測を超えた出来事……。
 なので筆を取らざるを得ない、自分の心を静めるためにも。
 さて、じゃあそれがライブの出来に関することならばいつも通りのポエムを書いていたでしょう。
 みんなに知って欲しいと思う何かであれば、プレゼンを練っていたでしょう。
 しかし、今回のものは実はその二つからきた衝動ではありません。
 ありませんが、ある意味ではそのどちらからも衝動がきたと言うことも出来ます。
 一体何と説明したものやら、非常に難しい。
 そう難しい、なので、今回は言うなれば"考察"です。
 「8 beat Story♪」というコンテンツについて改めて考え直し、推察をし、そしてそれを文章としてまとめておく。
 そんな必要性が4thライブを通じて生じてしまったので、今こうして筆を取っているという次第なのです。
 なので、今回は殆ど自分の思考をまとめておくためのノートみたいな文章になってしまうでしょう。
 荒唐無稽かつ突拍子もない推論や仮説ばかりで正直何も面白くはないかもしれません。

 ライブの感想で言うのならば、これよりももっと的確でわかりやすく面白いものも既にいくつか存在していますし。

nozzey19.hatenablog.com

 

 考察にしたって更に短くてわかりやすくまとめられたものが既に書かれていたりもします。

ohmameazuki.hatenadiary.com


 それでも文章として不特定多数へ公開するに辺り、エビストを既に知り、プレイし、どっぷりハマっているという人には、これを読むことでコンテンツに対する不思議を解消する手助けとなり、また新たな考察勢として自分の意見を組み立てて発してもらえるように(何故ならこの件を解き明かすにあたって自分は切実に集合知を求めているからである)。
 そして、エビストを知ったばかりの人、あるいはまだ全く知らぬ人にとっては、MMRや月刊ムーでも読むような気分で楽しんでもらえるように。
 そうすることが出来るようにという目的も込めて書き進めていこうと思うので、これを読んでいる皆様方にはそこら辺を念頭に置いた上で、以下からお付き合い頂けたならば幸いでございます。

 

 

 

 

今回のライブで一体何が起こったのか?

 そうは言っても、この後の論旨の展開を円滑にする目的でも自分の4thライブに関する感情を少し吐き出しておく必要がある。
 4thライブね、良かったよ。良かったです。
 良いライブでした。
 本来ライブについてならばこれだけで「はい、おしまい!」ということで済んでしまう。
 そして別にそれは悪いことでもなんでもなくて、むしろ非常に理想的な形と言えるだろう。
 無論、そのただ良いライブというだけで収まらない限界を超えてきた場合は別ではある。
 2nd、3rdとエビストのライブについての褒め殺しの感想を書いてきたのは、どちらも事前に自分の中で想定していた出来を大きく越えてきたからだ。
 その点でいえば、4thは3rdを見た後ならばこれくらいは当然と思うレベルを設定して観に行ったし、そこには問題なく到達出来ていた。
 何よりそういうものを大きく越えるというのは本来非常に難しく、2ndも3rdも凄かったことは確かだが、それが大きな感動を呼んだのは自分の中の設定ハードルが低かったことも要因の一つと考えられるだろう。
 その点、4thは全体の出来で言うならば本当に何の問題もなく良かったし、最高レベルに設定していた予想に十分到達していた。
 それはこれまで追い続けてきた既存ファンばかりでなく、初めてライブを見に来てくれた人達にも十分楽しんで貰える程のものを与えられていたように思う。
 それでも、最高と限界を超えたライブでなかったということに少し寂しさを覚えたり、ガッカリしてしまう人もいるかもしれない。
 自分自身もそういう気持ちが全くないというわけでもない。
 しかし、詳細は後述するが、それでも悲嘆に暮れる必要もあまりないのではないかとも思える。
 何故ならば、8/pLanet!!が最高を超えるべき物語は恐らくまだここではない・・・・・・・・・・・からだ。

 


 さて、そんな風に今回のライブ全体の出来自体は問題なく良かったと自分としては感じたところである。
 それでもなお、更にそこに付け加えておかなければならない重要な個人的印象がある。
 それは、『ハニプラが100%のパフォーマンスを発揮出来ていなかったのではないか?』というものである。
 これはもしかすると、多少ライブについての不満点であるかもしれない。
 といっても、ハニプラの歌や踊り自体がどこか精彩を欠いていたというわけではない。
 それらは紛れもなく全力だったし、誇れる出来映えだった。それは間違いない。
 しかし、そうであってもなお自分の中には何故か「こんなものじゃないだろう」という思いが浮かんだことも事実だ。
 そして、その原因は恐らくライブの構成にあるのではないだろうかと推察される。
 まず、大きく目につくのはハニプラ全体曲の少なさだ。
 ラストのBLUE MOONまで、まさかの一曲も全員集合する機会がなかったのだ。
 このライブまでに全体曲には新曲が二つも実装されたというのに、それらも披露されなかった。
 どことなく言いようのない不安や閉塞感のようなものを、その構成からは感じられるようだった。
 「自分は8/pLanet!!のライブを観に来ているのに……」と思わされるような感じとでも言おうか。
 ライブ終盤までその息苦しさのようなものを、自分はどこか払拭出来ないままでいたのだった。
 
 そんなことを感じていたライブだったが、それはまだ見ている途中では最後には払拭されるものだと自分は信じ切っていた。

 それでもきっと最後には8/pLanet!!に関する何かしらの嬉しい発表があって、僕達は盛り上がって、メンバーも喜んで、キラキラしてて……。
 そして、作品のメインテーマ曲である「ファンタジア」を歌って踊ってライブを締めるのだと。そう考えていた。
 そうだ、そうに違いない。だってここまでに一度もファンタジア歌ってないもんね。
 許そう。許そうじゃないか、それさえあるならば。
 それさえあれば、まだ僕達は明日を元気に生き抜くことが出来る。
 8/pLanet!!の今後にも希望が見える。
 もう完全にその腹積もりは読めちゃっているぜ運営ちゃん。
 今目の前ではメンバー個別の挨拶もなく普通にアンコール最後の締め曲やっちゃってるけど、わかってる、わかってるよ。
 でもダブアンやろ? ダブアンあるんやろ? あー、もうそのパターン完全に読めたわ。オッケー声出す準備しとくよ。
 はい、メンバー捌けて、会場が暗くなって……よし!
 この時点で、自分だけでなく他の観客もそういう読みでスタンバってたことは恐らく間違いがない。
 会場に漂う空気が完全にそうだったからだ。「ダブアンいくぞ!」という一体感のようなものは漲りに漲っていた。
 しかし、その直後であった。
 そんな観客の行動を先んじて封じるかのように、会場の照明が一斉に点灯されたのは。
 虚を突かれたようにダブアン用の声を失い呆然とするしかない我々に、更なる追い打ちをかけるような退場アナウンスが流れ出す。
 その瞬間の、自分の中に溢れ出した絶望感は今思い出してみても筆舌に尽くしがたい。
 その場に膝から崩れ落ちそうになりつつも、何とか踏み止まり、ヨロヨロとおぼつかぬ足取りでとりあえず会場から出た。
 何故か途中の物販で謎の焦燥感に駆られながらラバストを三個買い足したりしつつも、外に出て気持ちを落ち着かせようとする。
 お台場の肌寒い夜風に当たりながら、自分の心はまるでライブ直後とは思えぬ程に沈んでしまっていた。
 今回のライブで自分がハニプラのパフォーマンスに感じた不満と不安のようなものの出所とは、つまりはそういう感じであった。

 


 とまあ、以上のように当日の閉演直後はしばしそうやって打ちひしがれていたのであるが、こうして長々と個人的心情を語ってきて言いたいことが4thライブへの文句なのかというとそういうことでは全くない。
 何故なら自分はこの時とりあえず真面目にその与えられた衝撃に打ちのめされながらも、同時に頭の片隅では酷く冷静に、ある可能性について考えていた。
 「いや、これはおかしい」と。
 「何かかがおかしい……」と。
 別にそれはあまりに絶望的な現実を前に、これは事実ではないだとか、夢であることや、幻術にかかっていることや、何らかのスタンド攻撃を受けていることを疑っていたわけではない。
 「いくらなんでもここまで不安を感じさせる終わり方をするのは、あまりに不自然ではないのか?」ということについて疑っていたのである。
 何故なら先程まで自分が挙げてきた構成的な難のようなものは、少し考えればライブ制作側も事前に気づけるであろうものであるし、解消も容易な程度のものである。
 3rdライブにおいてあれほど見事なライブとしての完成度を示してみせた運営が、この程度のことを本気で見落として構成を組んでいたとはどうにも考えづらい。
 発表についてもそうだ。
 これまで運営は全てのライブ、イベントにおいて絶対にコンテンツについての何らかの動きを発表して、ユーザーの希望を繋いできた。
 そのことを思うと、たとえ大々的に発表出来る何かがまだ決まっていないにせよ、その情報開示が一切ないというのは逆に不自然極まりない。
 それとも、これらはやはり不利な状況に追い込まれているのかもしれないコンテンツの立ち位置に向き合うことが出来ない自分の現実逃避的な妄想だろうか?
 ……わからない。考える必要がある。
 そう、だからこそ自分は改めてこの4thライブというものと、そういうことを行ったコンテンツの意図するものについて考えていかなければならないのである。

 

 

 

 

今回のライブで行われたことは一体何だったのか?

 さて、というわけでここからは今回の記事の本題であるところの『このライブの裏に隠されている真の目的』について考察していきたいと思う。
 まずは、一体今回のライブにおいてどこまでが意図的に仕組まれていることだったのかについて考えていこう。
 とりあえず、先にも挙げたようにまずは『8/pLanet!!に関する情報公開がなかったこと』が一番不自然な点であるということだが、これは真っ先に意図的であると判断出来うるものだろう。
 いや、まあ、それでも四割くらいは本当にお伝えできることがなかったのではないかという可能性がなくもないのが、この今のコンテンツの立場の怖いところなのだが……。
 しかし、たとえそうであったとしても、尚更そういう「伝えられる今後の活動情報がない」というショッキングな事実を、何らかの衝撃的な印象を観客へ与える目的で利用していることは間違いのないことと思われる。
 これは確固たる根拠のある結論なのだが、理由は後述する。

 

 

 次にセットリストの構成についてであるが、実はこれは非常に判断しづらい。
 最大限魅力的なセットリストを練った結果全体曲が少なくなってしまっただけという可能性も勿論あるからだ。むしろ、そっちの方が正解かもしれない。
 それでも恐らく一つだけ確かなのは、「ファンタジア」が意図的に今回のライブから省かれていたということだろう。
 作品のメインテーマであり、8/pLanet!!の支柱とも言える曲。これまでのライブでも絶対に披露してきた大事なものである。
 それがなかったというのは、やはりどうしてもそこに何らかの意図的なものを感じてしまう。
 特に、前段でも書いたように希望を喚起するような明るい曲調や歌詞が印象的な曲である。
 割とこれが流れるだけでも安心してしまうほどの依存がファンの間では生まれてしまっていると思う。
 それ故に、それが披露されなかったことによる精神的動揺はやはりかなり大きかったといえるだろう。
 事によると全体曲が少ないことによる「8/pLanet!!というユニットの活躍が抑えつけられていた」という印象よりも余程ショックだったかもしれない。
 いや、むしろそれらが組み合わさることでよりそういった衝撃が強まるとも言えるだろうか。
 いずれにせよ、8/pLanet!!という8人組ユニット関連のセットリストや構成にも、何かしらの目的が仕組まれていた可能性はかなり高いと言えるのではないだろうか。

 

 

 さて、それではそんな二つの事象が組み合わさることで生まれるものとは一体なんだろうか。
 それは一言で言うならば『抑圧』になるだろう。
 そんな風に、今回のライブでハニプラは抑圧されている、抑え込まれているといったようなことを感じた人は結構多いのではないだろうか。
 というか、まあ自分がそう感じたというのがまず第一なのではあるが。
 そして、それはちょっと過剰反応過ぎるのではと言われたら割とぐうの音も出ないわけでもあるが。
 それでも、そこに何かしらそういうものを感じさせようとする向こうからの意図がなかったとも言い切れないではないか。
 『8/pLanet!!という8人組ユニットは、今何かしら不利な状況にある』ということを観客に印象づけたかっただろうことは、やはり恐らく間違いがないのではないかと思われる。
 そして、それは別に大袈裟なものでも、大っぴらなものでもなく、最大限まずはライブを楽しんでもらった上で、それでも心に僅かばかり刺さるトゲのようなものとして用意されていた。
 そうなると、ではその抑圧を感じさせるような演出の目的はどこにあるのだろうか。
 単純にストレスを感じさせるだけでは、単に「ライブに行ったけど何かいまいちスッキリしなかった」という感想を生み出させたいだけの理解不能サディズムになってしまう。
 しかし実はその目的を解明する鍵は既に明確に、わかりやすく与えられていたりもするのだ。
 その鍵とは何か? そう、『2_wEiツヴァイの存在』である。

 


 元々今回のライブはハニプラだけのものではなく、2_wEiの乱入があることもあらかじめ公式で通達されていた。
 であるならば、今回のライブの演出意図を解き明かすに辺り、この2_wEiの存在を考慮に入れることは必要不可欠だろう。
 2_wEiはハニプラにとって競い合ったり、互いを高め合うような好敵手ではなく、明確に打ち倒さなければならない敵として、ライブの直前までにメインストーリーやその他では描写されてきた。
 故に、このライブへの2_wEiの関わり方というのもそんな流れを受けての形となっていた。
 2_wEiの二人は「キャラクターボイスを担当するキャストがそのまま歌って踊る現実の2_wEiとしても活動する」というハニプラと同じ形のユニットだが、今回はハニプラと違いキャスト個人としての挨拶や自己紹介等はなく、ひたすらゲームのキャラクターがそのまんま現実世界へやってきたかのような演技を引き継いだままのMCを繰り広げていた。
 ライブだからという砕けた空気やお祭り的なノリはなく、ひたすら観客の不安を煽り立てるようなシリアスな雰囲気を維持していたと言えるだろう。
 そして初出演とは思えぬ、有無を言わさぬような圧倒的なパフォーマンスを見せつけて観客の度肝を抜いていった。
 脅威的な敵のまま出てきて、脅威的な敵のまま去って行く。そんな演出で2_wEiの出番は構成されていた。
 そして、実は先に述べていた「今後の活動告知がゼロ」というのも、2_wEiにおいてはその限りではなかった。
 正確にはハニプラの情報告知がゼロだっただけで、2_wEiの告知だけはちゃんと用意されていたのだ。
 彼女達は自らの出番の終わりに、自分達の1stライブが半年後に開催されることが決定した旨の告知をしてステージを去って行った。
 さて、以上のような2_wEiの4thライブにおける出番から見えてきて、また同時に感じられることは、2_wEiという存在のハニプラと比して決して劣ることのない実力と、コンテンツにおけるこれからの流れの大勢が彼女達に傾きつつあるという現状である。
 2_wEiだけに関して言うならば、彼女達は何の制限もなく自由にパフォーマンスを繰り広げ、自分達だけに待つ明るい未来について告知をし、大満足でライブを終えたことになる。
 これに関して果たしてどう思い、何を感じるかは個人の自由だろう。今の自分のそれに関しても、自分で量りかねているところはある。
 しかしまあ、限りなく素直かつシンプルに、大多数の人があの時思ったかもしれないことを言語化するとしたらこうなるだろう。
 「勝ち逃げ」だ。
 「アイツらやりたい放題やって勝ち逃げしていきやがった」である。

 


 さて、それでは同じライブの中でもそんな風に対照的に映った二つのユニットのライブ演出を、一つの一貫した流れとして組み合わせてみると浮かび上がってくるものは一体何だろうか?
 まず8/pLanet!!のライブであったはずの会場に乱入してくるような形で2_wEiが参戦。
 2_wEiは見事に実力を示してみせ、自分達の次に行われるライブを宣伝し、散々に場をかき回して去って行った。
 反面、残された8/pLanet!!はというと、どことなく全力を出すのを抑え込まれているかのような印象を受けるセットリストと共に、明るい新情報や未来の展望を明かすことも出来ぬままにライブを終えることとなってしまった。
 2_wEiが暴れ回り、ハニプラは抑え込まれ、その上次に待ち受けるものは2_wEi単独の手番であり、ハニプラの道は一旦閉ざされてしまった。
 簡潔かつ大雑把に、そこからダイレクトに受け取ることの出来る印象をまとめてしまえばそういうことになるだろう。
 そして、こうして一つのライブから受け取れるストーリーのような形にしてみた場合、実はこれが今ゲームの中で展開されているメインストーリーの状況と非常に似通っているというのにも同時に気づくことが出来るだろう。
 なんということでしょう、つまり今回の4thライブとは作中ストーリーの再現の構図が当てはめられたものだったのである!

 

 ……とはいえ、単にそれだけであるならば「そうなんだ? ふーん、凄いね」くらいの反応で終わりであろう。
 自分としてもそれくらいのことではここまで衝動を突き動かされるような衝撃を受けたりはしない。まあエビストがライブにおいて作中ストーリーを再現出来るくらいにシナリオが整ってきたことには感動するかもしれないが……。
 では一体これの何がそんなに衝撃的なのかというと、実は深く考えてみるとこれが単なる作中再現などという生易しいものではなく、その先に一歩進んでしまった、あるいは道を踏み外してしまったと言ってしまってもいいかもしれないくらいに狂気に満ち溢れた産物であるということにその理由があるのだ。
 そのためにも、今ここで二次元アイドルのライブにおける作中再現というものの例を振り返り、その定義を考えてみよう。


 そういった例として第一に浮かぶのは、アニメーションやゲーム内でのMVや作中ライブシーンにおけるダンスを演者が実際にそのまま披露するものだろうか。
 先にそれらの映像の中で使用されている衣装を、現実のステージにおいても作成して着用しライブを行うことなどもその一環と言える。
 ステージ演出などを限りなく映像のものへ近づけるのも、より再現性を高めるために行われることが多い。
 作中でそのライブに繋がるまでの展開を現実でもなぞり、再現するかのような小芝居をパフォーマンスの前後に挟むことなども効果的なものとして数えられるだろう。
 色々と自分の記憶にあるライブにおける作中再現というものを列挙してみたが、大体こんなところではないだろうか。
 これ以外に何か特殊な事例等あれば、むしろ考察を深めるための資料として切実に情報の提供を求めたい。


 さて、こうして並べてみると、今の二次元アイドルコンテンツのライブにおける作中再現というものには一つの共通性――というよりは外せない主軸のようなものが存在していることがわかってくる。
 それはつまり、「その再現とは作中、そしてそこから飛び出した現実の舞台においてもライブパフォーマンスに関するそれが主なものであり、そこから大きく離れることはない」ということである。
 一つの曲におけるダンス、衣装、舞台演出、そして曲に関する前後の物語。
 再現として向こうのものと重ね合わせられるのはそれくらいというのが殆どであろう。
 というよりも、それこそが正しいものである。本来それ以上というのはあり得ないことなのだ。
 その加減や範囲を間違えてしまえば、ライブではなくむしろミュージカルというものになってしまうし、演者はキャラクターそのものではなく別の個人である以上、現実におけるライブの中の物語は現実の演者が作り出す作中とは別個のものにならなければならない。
 作中再現とは単なる一つの場面場面を切り取って重ね合わせるようなものに過ぎないし、そうあるべきなのが恐らく正しい姿なのである。

 

 では翻って、今回の8 beat Story♪の場合を考えてみよう。
 エビストは今回ライブにストーリーの場面だけをそれぞれ切り取ったものではなく、メインストーリーの構図そのものを重ねてきた。
 かといって、じゃあそれはゲームにおける物語を全てライブにおいて再現するようなミュージカルになるのかというとそう言うわけでもない。
 では一体何なのか。
 説明が難しい、というよりもむしろこれに関しては言葉が正しくないが故の誤解が生じていると言えるのではないか。
 フィクションの構図だけが持ち込まれ、重なることで、現実でのライブやコンテンツの今後の展開などに影響が及んでいるかのようなこれは、"作中世界の再現"というよりはむしろ"作中世界の拡張"とでも表現すべきものではないだろうか。
 つまり、『作中再現』ではなく『作中拡張』。
 これこそが今回のライブで行われていたものだったのである。

 

 

 では、その作中拡張というのが一体どういうものなのか、もうちょっと詳しくその内容を考えてみよう。
 まず大前提として、ライブにゲームのメインストーリーが持ち込まれていると言ってもそれは本当にうっすらとしたものであり、ライブの構成全てを支配するようなものではないというのがある。
 ライブはライブ単体として問題なく楽しめるものとなっている。
 ただ、先に挙げてきたような細かい所の演出意図などを紐解いていくと、今現在のメインストーリーの状況がそのまま現実にもスライドしてきているかのように感じられるのだ。
 しかし、ここで重要なのが、それが実は”作中ストーリーの再現”とはなっていないところなのである。


 では、ストーリーの再現とは一体何だろうか。
 それは既に存在している物語を、シナリオを、演じるようなものだとしてみよう。あるいは、ある程度なぞるようなものだとしてみよう。
 となると今回のそれは、そんな風にゲームの中のメインストーリーを舞台の上で”再現”してみせたものだったのか?
 既にあるものを、演出として演じてみせたものだったのか? 
 既に作られていた流れに沿って、それを薄くなぞったような物語性を付加するようなものだったのか?
 結論としては、どれも違うとハッキリ言えるだろう。
 何故ならば、今回のライブで描かれたものは、ストーリーの最新話を知るプレイヤーである自分達でもまだ知らない物語だったからである。
 確かに、ライブ直前までのメインストーリーの中でハニプラと2_wEiは対立関係にあった。2_wEiの実力の前にハニプラは押され気味であるという描写もあった。
 しかし、だからと言って直接こうして現実のライブにおいても対決の構図を反映させてみた上で、現実の2_wEiが勝ち逃げをし、現実の8/pLanet!!までやり込められるとは誰も予想だにしていなかったのである。
 物語の中だけのものだったはずの情勢が、現実にも確かな影響を及ぼし始めてしまった。
 あるいは、そういう風になっていく路線に突入してしまった。
 こうなってしまうと、これはもはや再現という言葉では留めることが出来ないだろう。
 ライブは単体で独立した面白さを与えられる興行でありつつも、それだけでなく作中世界のストーリーの影響がその内容にまで及ぶという物語の一部と化してしまった。
 物語世界の再現ではなく、物語世界の拡張。
 そのように、以上のようなことを全て踏まえた上での『作中拡張』という表現であり、それこそが今回のライブで行われたことの正体なのである。

 

 

 

 

作中拡張の利点と問題点

 さて、しかしこの作中拡張というエビストの突入してしまった新たな次元であるが、先だって狂気の産物とも表したように、面白い、途轍もなく面白いことはまず間違いないのだが、必ずしもコンテンツに利することばかりではないとも思われる。
 利点と問題点、両方の存在する形式だと言えるだろう。
 以下からはそのことについて考えていきたい。

 


 まずはこの形式の利点であると同時に、前段の「作中の再現ではなく拡張である」という説を補強することにもなる要素として、『物語の先がまだ存在していない』ということについて考えたい。
 これまで他の二次元アイドルコンテンツのライブにおいての作中ストーリーの再現というのは、既に一度完結している物語、あるいはキリのいいところまでのストーリーを切り取ってそのライブパフォーマンスや構成に重ね合わせるものであった。
 いわば過去に既に起こっていることをもう一度振り返るような側面が強かったといえるだろう。
 「再現」という言葉が「再び現す」と書く以上当然であるとも言える。
 そして、比してエビストの今回のライブがその言葉の範疇に収めきれない理由であり、また新しい面白さを与えている利点が、このライブの中で示された物語こそが作品における最新のストーリーとなってしまっていることにあるのだ。
 ゲーム内でのストーリーでは、2_wEiが登場してその実力を見せつけることで8/pLanet!!はピンチを迎えるというところまでが描かれている。
 そして今回のライブではその流れを受けて、現実においても2_wEiの方へとコンテンツの軸が傾き、8/pLanet!!は抑え込まれているという構図が出現することが示された。
 重要なのはこの時誰も、今のメインストーリーの後がこうなるというのを知らないままにライブへ来たということにある。
 そしてまた、誰もこの先が一体どうなるのかを知らないのである。
 このように、コンテンツにおけるライブで示されるものがメインストーリーの最新内容となることで、現実の世界で行われるライブというものが物語の一部となってしまった。
 これこそが物語が現実の世界を侵食し、その範囲を拡張してきたと表現したい大きな理由である。
 考えてみると、既にこれだけでも大分面白いのではないだろうか。
 何故ならライブに行く理由が、単純にライブを楽しむためだけではなくて、もしかしたらストーリーの全容を解明するためというものにもなるかもしれないのだ。
 ライブに足を運ぶことでコンテンツの世界観がアップデートされる。最新の物語の状況が示される。
 まさに本格的な複合型とでも言うしかない、新しい形だと個人的には思うところである。
 我々はこれまでのことを振り返るためだけではなく、同時にこれから先の未知の新しい物語の展開を見るためにもライブへと足を運ぶことになる。
 これこそは、まさしく二次元と三次元の重なりにおける新しいパターンなのではないだろうか。

 


 さて、そのように物語世界が現実世界に拡張されて、現実がゲームの世界の一部となったことで、更にもう一つ非常に面白い現象が発生することとなる。
 それは、「単なる一ファンであり、観客でしかなかったはずの自分達まで拡張されてきた物語の世界に生きる一部となってしまう」というものである。
 それは一体どういうことなのだろうか。
 つまりは今の現実におけるコンテンツの情勢そのものが物語の一部であるわけなのだから、それに対する観客それぞれの反応もまた、それぞれの物語になり得るということなのだ。
 なのだが……難しい、これは言葉では非常に説明しづらく、感覚でわかってもらうより他ない気もする。
 何と言うべきだろうか、現実が物語の一部と化したのだから、つまりは現実に生きる我々自身もまた物語の登場人物と化してしまったと言ってしまうのが一番わかりやすいだろうか。
 2_wEiのライブが決まっていること以外は全くストーリーの続きが未知数な今、最新の物語の更新である今回のライブを見た後の観客それぞれのスタンスもまたというべきか、こそというべきか、それが次のライブ、あるいはストーリーの更新までの物語を作り上げるものとなるのはないだろうか。
 そのように、自分達にも自由にこの先のアップデートまでの物語をそれぞれが紡いでいく権利が委ねられた。
 すなわち私達の反応こそが、4thライブの後の8 beat Story♪の物語となっているのである。


 なので、今回のことに関して私達はどんな反応を取ってもいい、どういう立ち位置を選んでもいいのだ。
 ライブで示された構図に打ちひしがれるようなショックを受けてもいい。
 2_wEiへの優遇に対して素直に反発してもいい。
 自分が先生であるという立場を全うしたいならば、とことんまでハニプラに肩入れをするのもいいだろう。
 そういう立場によりなりきって、ハニプラ復権のための活動をするのだっていい。
 ヒューマンサイドの過激派になってもいい。けどやりすぎは駄目だぞ。
 あるいは、2_wEiの受け入れに賛同しても構わない。
 2_wEiの方により心を掴まれたっていい。彼女達の破滅的なパフォーマンスとカリスマ性に魅了されたっていい。
 2_wEiだけを応援してもいい。2_wEiだけがこのコンテンツを追う目的であっても全く構わない。
 彼女達の境遇に同情し、今から何となく肩入れしてしまってもいい。
 アンドロイド共生派として活動するのもいいだろう。あるいは自分がアンドロイドになってしまってもいい。まあ病院に連れて行かれない程度にな。
 確かに言い切れるのは、どんな態度を取ろうがそれらは全て正解だということであろう。
 何故ならこの現実こそが8 beat Story♪の世界であり、私達はまさにそこに生きる人間となってしまったのだから。
 行動は全て紡がれている途中の物語の中の出来事であり、そこに正解の態度というものは未だ存在していないのである。
 なので、私達は大いに現実と空想を混同して楽しめばよいのだ。
 それこそがこの作中拡張の醍醐味とも言えるだろう。
 この境界のあやふやになってしまった世界で、物語のような現実の出来事にのめり込んでみるのもいいだろう。
 それによって動かされる感情というものが凄まじいことは、個人的な体験からも保証が出来る。
 あるいは一歩引いた視点で冷静に状況を観察してみるのもいい。
 この異常とも言える現在の世界観は、観察して深く考えてみるのに少しも飽きることはないと思われる。
 もしくは斜に構え、全て予定調和の内のことだろうと冷めた目で見下ろすのでも構わない。
 それも一つの正解であり、あの世界に存在する人間の可能性なのだ。
 そういう点では、もはや全くの無関心で存在すら知らないことすらもまた正解なのではないだろうか。
 ひっそりと行われている彼女達の戦いを、大多数の人間達は知らないままで終わってしまう。
 この世界がそういう結末となってしまうのも、また一つの可能性なのだから。
 いずれにせよ、一度組み込まれてしまった時点で我々の行動も感情も全てそのまま向こうの世界の人間のそれとなるのである。
 私達は否が応でも自分の中の8 beat Story♪を創っていくこととこれから向き合わなければならないだろう。
 それはとても愉快で楽しく、そして何とも狂気に満ちたことだとは思わないだろうか。
 これを非常に面白いと感じる裏に、どことなく一抹の不安も漂うような感覚。
 これこそが現実拡張の一番の面白さであり、そういうものを提供出来ることこそがもしかすると最大の利点なのではないだろうかと、個人的には考えている次第である。

 

 

 


 しかし、この作中拡張という手法、前段で書いた通りに途轍もなく面白いということは確かなのだが、必ずしも作品にとってプラスの面ばかりが存在するというわけではない。
 ここからはこの手法に対して個人的に感じた問題点というものを考えていきたい。

 

 

 さて、まず誰にでも最初に理解出来て、かつ最大の問題点とは一体何だろうか?
 それはやはり、「8 beat Story♪のシナリオを全てまともに読んだ上でライブに参加している人は、参加者全体の中でも実は過半数に達しているかいないかくらいの割合かもしれない」という部分になるだろう。
 これが正確な調査に基づくパーセンテージであるかどうかはともかくとして、ライブにはやはり少なくない人数の曲だけ推し勢、ユニットだけ推し勢、あるいは何もかも初めてでとりあえずライブから入門しようという人であったり、誘われたから何も知らないけど来たという層が存在していることも確かである。
 では、そういう人達が全く楽しめないライブなのかというとそうではない。それは間違いなく断言出来る。
 初見の人達にも楽しんでいただけるし、魅力的に思って貰えるようなパフォーマンスは4thでも健在であったし、むしろこれまでよりも成長していたことは間違いない。
 そうなのではあるが、しかし上に長々と書いてきたような裏の意図をそういう人達が理解して、そこも含めて全部楽しんで貰えるのかというとそれはやはりノーだと言わざるを得ないだろう。
 それに、この作中拡張という部分はライブにおけるメインという訳でもない、あくまでもまず普通のライブがあった上で、その裏で楽しめるような副産物である。
 しかし、ソレが今エビストというコンテンツにおいては一番楽しく面白い部分であることも間違いないのだ。
 そして、そういうものをより多くの人達に知っていただいて、楽しんで貰いたいと自分としてはどうしても思ってしまう。それをこれまでにない新しい魅力と感じて、色々な人の興味を惹ければと考えてしまう。
 これは単なる自分の我が儘であるかもしれない。楽しみ方というのは人それぞれであり、強制できることでもない。
 それに、何よりやはりそれを理解するためにゲームのメインストーリー全部読んでキャラ設定も読み込んで世界観を全て把握してから来いというのはあまりにも敷居が高すぎる。
 どれほどエビストより人気の同種コンテンツであろうと、ライブに来る全員がそこまでに達している割合というのはそこまで高くもないだろう。
 故に、第一の問題としては『その現実拡張を楽しんで貰うハードルが高すぎる』というものがあると思われる。

 

 

 さて、ではそのハードルを下げるためには一体どうすればいいのだろうか。
 エビストにおいてはまず「ゲームのストーリーを開放するのにかなりの手間がかかる」というのがネックの一つであると考えられるとしよう。
 ならば、誰もがもっと簡単に触れることが出来て、ストーリーを手っ取り早く理解出来る別の媒体が用意出来ればいいのだろうか。
 たとえばテレビアニメなどは、そういう点では一番強力なものだろう。
 これなら多くの人が比較的容易にストーリーと世界観を知ることが出来るし、ライブの中に散りばめられた物語と現実の重なる部分に気づける可能性も高くなる。それは間違いがない。
 しかし、それも実は作中拡張という手法においてはあまりそぐわないのではないかという問題がここで浮上してくる。
 どういうことかというと、テレビアニメという形態はストーリーを展開するスパンがあまりにも早すぎるのだ。
 ライブというのはそれほど短期間に多く開催出来るものでないのに対して、テレビアニメは一週間毎に確実にストーリーが進み、最短三ヶ月で物語に決着がついてしまう。
 ライブがストーリーの一部であり、物語の途中であることが魅力である作中拡張において、二次元の方で展開されるストーリーの速度をコントロール出来ないテレビアニメは持ち味を殺してしまう結果になるだろう。
 物語に一応の決着がついた後で、その要素を受けてのライブでは単なる従来型の作中再現でしかない。
 それ故に、実はこのソーシャルゲームのストーリーがメインの物語である形態は、スピードコントロールの面では非常に理に適っている。
 というよりも、そういう形式であるからこそ作中拡張という試みが成功したとも言えるかもしれない。
 ソーシャルゲームの中でリアルタイムアップデートされていくストーリーをテレビ放映されている番組のように、あるいは雑誌連載されている漫画のようにプレイヤーで共有して楽しむというのは、「Fate/ Grand Order」などのストーリードリブン型ソーシャルゲームの流行を見るに、かなり最新型かつ強力なコンテンツの在り方ではあるのかもしれない。
 しかし、それもプレイヤー数が桁違いの人気ゲームであればこその話でもある。
 そういうレベルのコンテンツになった後でライブにおける作中拡張という手法が行われたならばその爆発力は凄まじいものだったであろうが、如何せん悲しいかなエビストはまだまだ人気を獲得していかなければならない中途段階にある。
 そう、これは恐らく規模が拡大しきった後であれば絶大な効力を発揮したであろう一手であるかもしれないが、発展途上において人気を獲得する目的にはあまり適していないのかもしれないのである。
 参加のハードルを下げられる媒体での展開に向いておらず、目指すべきコンテンツ規模の拡大に繋がりにくい可能性、これも今のエビストにおいては作中拡張が利点ばかりではない問題の一つである。

 

 

 では、規模が拡大しきった後であればそれらの問題が解決されるのかというと、それも必ずしもそうとは限らない面があるのではないかと思われる。
 それは一体何故なのか。説明するためにも、今一度今回のライブについて思い返してみよう。
 さて、これは作中拡張が狂気の産物と評される理由の一つでもあるが、今回それを実行するためにエビストはある意味ライブを一回分犠牲にしているのである。
 それはつまり、先に個人的なライブへの感想でも書いた通り、ハニプラに120%のパフォーマンスをさせずにライブを終えていることを指す。
 一回一回に全力を尽くし、観客を喜ばせ、あらゆる人に笑顔で帰ってもらうのが最高のライブであるならば、今回ハニプラが不利な立場に追い込まれた印象を与え、不安を煽るようなことはまず間違いなくタブーであろう。
 そのタブーを敢えて犯してみせたからこそ度肝を抜かれたところもあるのだが、そんなことが許されるのはもしかすると今くらいの規模だからこそであるかもしれないのだ。
 例えばこれよりも大きな規模、大きな会場でやっていけるようになれば、そのために関係する各社様々な利益や思惑が絡み合い、柵に囚われる結果としてライブ演出の自由度というものはかなり低くなってしまうだろう。
 物語との関連性に拘る形式の今のようなライブがスポンサーにどこまでも受け入れてもらえるとは普通に考えにくいものがある。
 ライブ自体の出来は問題なく良いものであったとはいえ、同時にそれくらい特殊な試みが行われていた公演でもあった。
 それに、規模が拡大すればするほど、作中拡張からは臨場感というか真実味のようなものが薄れていく側面もあるのではないかと思う。
 無論、今回のことは全てがフィクションであり、演出であるということは前提として理解は出来ている。
 しかし、一寸信じ込んでしまうような危うさというか、現実と空想が重なるようなコンテンツ自身の状況も存在しており、それこそは今の規模感から生じているものでもあった。
 それをここよりも規模が大きく、立場も盤石なコンテンツからやられたとしても、むしろ見え見えの茶番のように映ってしまうのではないだろうか。
 そして、それは普通に全力のライブをやるよりも確実に悪い結果となるような気もする。
 いずれにせよ、今回の作中拡張というのは実は今くらいの規模だからこそ出来た試みであるかもしれず、そうとなるとこの路線を続けていくにはやはりコンテンツの人気拡大という目的とは相反し続けなければならないのかもしれないのである。

 

 

 

 

 

今回の作中拡張についての総論(と、締めのポエム)

 さて、これまで以上のように長々と作中拡張について定義し、その利点と問題点について考えてきたのだが、最後に結論としてそれらを簡潔にまとめておきたい。
 つまりここだけ読めば全部わかるパートである。
 今までのことを律儀に読んではきたけども結局どういうこっちゃという方も、ここを読んで再度スリムになった論旨を理解していただけるようになることを願う。

 

 

作中拡張の定義
前半の結論:今回の4thライブで行われたことは単なる作中再現ではなくむしろ作中拡張であること。
    →では作中拡張とは一体何なのか?


定義:現実におけるライブの演出やユニットの活動展開にもゲーム内のストーリーの内容が反映されること。

 →定義の詳細
  ・今後の現実での活動までもが物語の一部となるのかもしれない可能性。
  ・それらのように物語世界が現実世界へ拡張されることを指して作中拡張と表現。

 

その形式の利点とは?
  ・現実でのイベントやライブにストーリーと関連した新しい価値が付加されるかもしれないこと。
  ・ゲーム内のストーリーが作用して変化するかもしれない現実、あるいは現実での結果が影響するかもしれない物語、双方向への交差の面白さを描ける。
  ・現実世界に物語が拡張されることで生じる、各々がこの物語の世界に生きているのではないかという錯覚により、個々人の物語への没入感が高められる。

 

その形式の問題点は?
  ・この形式を楽しむために身につけておくべき基礎知識やストーリーの読み込み等の行為的なハードルが高い。
  ・そうであるのに、そのハードルを下げるような物語提供の形とこの手法とがマッチしにくい。
  ・結果コンテンツの規模拡大という目的に繋がりづらく、むしろ規模が拡大するほど形式の実行が難しくなっていく。

 


 作中拡張の定義、その利点と問題点とをわかりやすくまとめるとこうなるだろうか。
 このように面白さと興味深さに溢れた新しい試みであることは間違いないが、同時に不安を感じる部分も正直少なくないことは否定出来ない。
 この手法に好ましさを感じるかどうかも、個々人の好みによって分かれる可能性が今後大きくなりそうにも思える。
 さて、ではこれを書いている自分自身はといえばどうなのだろうか。
 そんなわけで、最後にこの作中拡張に対する個人的な感想を、4thライブで行われたものも含めて示しておきたいと思う。

 

 


 正直な話、最初は普通にとてもショックだった。
 どことなく全力を出し切れていないようなハニプラ、ファンタジアなしで終わってしまったライブ、何の発表もなかったユニットの今後。
 全てのことが自分の心に突き刺さり、ライブ自体はとてもいいものだったにも関わらず終演後はリアルに胃にズンとくるものがあったし、油断したら涙すら出てきそうであった。
 しかし、実はそれもわざとそういう感情を自分の中で否定せずに楽しんでいた向きもあった。
 それらのことが何らかの演出意図の下で行われていたことは明らかであったし、仮にそうでなくともとりあえず2_wEiのライブはこの先にある以上コンテンツとユニットが今すぐどうこうなるわけでもない。
 ならば、そうすることで運営の与えたかった印象というものには本気で乗っておいた方が面白そうだとも思っていたのである。
 とはいえ、全部が全部制御出来ていた感情というわけではない。
 打ちひしがれるような思いの七割くらいは真実からのものであった。
 だが、じゃあそれで4thライブが自分の中でハニプラ的には中途半端で良くないものだったことになるのかというとそうではない。
 むしろ、そういう感情を抱けたからこそ、4thライブは自分の人生の中で結構上位に食い込むほどの印象深い、物凄いライブになったと思う。
 ライブにおいて重要なのは、どれだけ観客の心が動かされるかだと個人的には考えている。
 パフォーマンスで、演出で、曲で、歌で。それら全てで人々の感情をありったけ揺さぶることが出来たならば、それは文句なくいいライブであろう。
 だが、もしかするとその動かされる感情のベクトル自体は常にプラスのものでなくてもいいのではないだろうか。
 今回そういうことに、ライブが終わってから色々とグルグル考え続ける中ではたと気づけた。
 我々はエモーショナルなこと、つまりはエモいという感想を得る場合、常々感動的なもの、明るい気持ちから生じるものを思いがちだが、感情が動かされるという結果だけを見るならば別にそれは悲しいものや暗いもの、衝撃的なものでも全然構わないのではないだろうか。
 演劇においては悲劇というのも欠かせないジャンルの一つであるし、バッドエンドを迎える作品でも好まれているものは数多い。
 マイナスな向きだとしてもエモいものはエモいのである。
 翻って、じゃあ今回の4thライブはエモいのか?と考えた時、あれほど絶望的で泣き出したくなるような感情にさせられてしまったことを思うと、エモいどころかエモエモのエモとしか評しようがないではないか。
 自分の信奉するヒーローが打ちのめされ、絶望的なピンチを迎えたまま、しかし話は次回に続く!で終わってしまうという展開にこれほどの純なショックを受けたのはガキの頃以来であろう。
 今回の4thライブで一番凄かったところは実はそこなのではないかとも思うのだ。
 コロンブスの卵的な発想であるが、つまりライブを見ることで動かされる感情はハッピーなものでなければならないというわけでは必ずしもなく、むしろ正反対のものでも成り立つのではないかということと、あまつさえそれを躊躇なく実行に移してしまったことである。
 正直、それに関しては素直に頭がおかしいとしか言いようがない。
 考えてもみて欲しい。
 あなたは一度でも意図的なバッドエンドで終わるライブを見たことがあるだろうか?
 自分はない。完全に初めての経験である。
 プロジェクトやユニットのファイナルライブ等はある意味バッドエンドとも取れるかもしれないが、それにしたって観客を悲しませて絶望的な気分にさせようという意図の下行われることはないだろう。
 しかし、今回の4thライブは完全にそうなのだ。狂っている……。
 それも、何度もライブが行えるわけではない、まだまだ継続に不安の残る程度の人気のコンテンツにおいて、今までで最大規模の会場で、勝負を賭けているとも取れるアニバーサリーのワンマンライブで、それをやってのけたのである。
 そういう状況も、ライブ後の衝撃に拍車をかけたことは言うまでもない。
 わざとか? ……わざとなのだろう。
 凄い。凄すぎる。そうであるならば驚く程完全に術中にハマってしまった。
 無論、これらのことは自分がオーバーに捉えすぎているという側面も多分にあるだろう。
 ライブ自体も普通にポジティブな感情だけで終わることも出来るくらいにはいいライブだったし、別に落ち込む要素なんてなかったと感じる人もいるだろう。
 これほどのショックを与えようとまでは、運営側も考えてはいなかったのかもしれない。
 ただ、それでも、少しでもそうしようと思ったであろう演出が存在していたことだけは厳然たる事実である。
 実際は小さなトゲのようなものなのかもしれない。然程の違和感も覚えず飲み込めるものなのかもしれない。
 しかし、それはコンテンツに入れ込んでいる人ほど、のめり込んで気合い十分に未来を夢見て期待を抱いて希望を持ってライブを観に来た人にほど、より深く致命的にぶっ刺さるものでもあったと思うのだ。
 やたらヒートアップしているが、別に文句を言っているし言いたいというわけではない。
 何度でも言うが、褒めているのだ。褒め称えているのである。
 ライブはお客さんを喜ばせ、幸せになってもらうもの、素敵な明日を迎えられるようにするものということをこれまでハマったコンテンツから教えられて信奉して生きてきた自分にとって、今回の「明日が見えねえ……」という絶望を抱いて終わるライブというのはまさしく天地がひっくり返るような心地であった。
 そういうライブがあってもいいんだ、そういう感情の動かし方もありなんだというのは、実際考えれば考える程に途轍もなく大きな発見であるように思える。
 とはいえ、それが全く何の背景も脈絡もなく突然行われたのだとしたら単なる悪趣味でしかないし、最後にいきなり今後の活動はないですと告げられる地下ドルのライブという何処にでもよくある悲劇と大差はないだろう。
 一番重要なのは、これがゲーム内のストーリーが現実世界に拡張された結果として生じたものであるということなのだ。
 現実が物語の一部になり、そしてそこでならバッドエンドも許される。
 そういう前提があってこそ成り立つ今回の4thライブであり、そして個人的に作中拡張という手法で一番凄いと感じたところもそこなのである。
 マイナスでもいい。悲劇でもいい。バッドエンドでもいい。
 ライブが物語になってしまえば、通常なら避けるべきことを自由に描いてしまえる。
 そんなライブを体感出来たことが、今回本当に、脳髄が痺れるほどに衝撃的だった。
 個人的に、作中拡張で一番の利点かもしれないと思っているのはこういうところだったりもする。

 

 さて、そんな風にさっき挙げた利点を一言でまとめてしまえば、『従来よりもライブに意図的な物語性を付加しやすく(というよりもライブ自体を物語にしてしまう)、またライブが与える印象の方向性にある程度の自由が利くようになる』ということになるだろうか。
 あくまで自分個人の感覚としてのものであるので、本来の利点よりは話半分程度で意識しておいてもらいたいところである。

 

 もちろん他にも作中拡張から個人的に感じられた恩恵は存在している。
 それは何かというと、2_wEiの扱いについてである。
 正直なところ、ライブの前までは彼女達については若干複雑な心境を持っていた。
 キャラクターとしての彼女達には問題はない。
 明確に敵とされたキャラクターであるし、そのため物語上多少の反感を抱かせるような造型とはなっていた。
 サイドエピソードで設定が掘り下げられてからは単なる敵というだけではない、より深みを持ったキャラクターとして好感を抱いてしまっていた程である。
 問題は、演者がユニットを組んで出現する現実の方での2_wEiの存在であった。
 正直に言って、4thライブに彼女達が乱入してくることについては非常に複雑な心中であった。
 何だったら、現実での結成についてもそうであったかもしれない。
 これはエビストに限った話ではなく、コンテンツの途中から追加されるユニットの扱いというのはどこであっても非常にデリケートなものが存在するだろう。
 それまで一から一つのユニットが規模を地道に大きくしてきたところに、突如何食わぬ顔で何もしていないのにぽっと出の別ユニットが乗っかって来られることを思えば当たり前の話ではある。
 特に作品の顔としてのメインユニットが一組しかなく、ユニットメンバーの人数も多くないというタイプの作品では尚更であろう。
 このタイプの作品は、メンバーの数が非常に多くて作品内に複数のユニットが存在するようなタイプと違って、メンバー数を絞ってユニットも一つにまとめて意識を集中させることで強固な固定ファンを作り上げることが出来るというのが強みである。
 故に、そこにいきなり別の追加メンバーでユニットを作って輪の中に加えさせることで、それに対して少なからず反感を抱いたり反発したりするファンはどうしても発生してしまうと考えられるだろう。
 それはどこのコンテンツでも多かれ少なかれ抱えている、普遍的な問題である。
 なので、今回エビストでも当然それは起こり得た。というより起こることは最早確定していたと言ってもいい。
 何故なら自分自身が反発までは行かずとも、多少面白くない気持ちを抱えてもいたのである。
 いずれにせよ、今回のライブの後で2_wEi肯定派と否定派に割れて争いが勃発するだろうことについては目に見えていた。
 それに対して公式側が打てる対策というのも多くはなく、また何か決定的なものがあるわけでもない。
 追加されるユニットの演者本人のキャラクターを押し出して人間としての好感を抱かせ、元から存在していたユニットの演者達とステージ上での融和ムードを見せつけることで、何とか角が立たないように受け入れてもらえるように努めるのが一般的であり、精一杯であろう。
 何だったら主題歌なんかを一緒に歌わせてもいいかもしれない。
 とにかく公式が融和を受け入れて欲しいという明確なスタンスを示すことで、公式に反発する方を主流から外れたとして封じ込めてしまうより他ないのである。
 エビストにおいてもそんな悲劇が遂に起こってしまうのだろうかと思うと、ほとほと憂鬱な気分になるしかなかった。
 まあ、ここまで悲観するのは自分の思い込みと偏見によるところが多分にあるとは思われるが、それほどまでに2_wEiというのは難しい存在であったことも確かなはずである。
 しかし今回、そんな追加ユニットの扱いについて一つの画期的な事案が発生した。
 先にも書いたように、2_wEiは演者個人のパーソナリティを発することなく、あくまでストーリーからそのまま出てきたような敵としての態度で現れ、そして最後まで8/pLanet!!と交わることなく敵として去っていったのである。
 これによって、2_wEiというユニットの存在は物語におけるスタンスと同一のものとして現実にも拡張されることとなった。
 つまり、公式に物語的な正解が未だ存在しない以上、今のところは彼女達の扱いについて君達の自由に決めろと丸投げされたわけである。
 そこには何が正解であるという基準は存在しない。
 徹底的にその存在に反発してもいい。
 あるいは徹底的に受け入れて、何だったら乗り換えたっていい。
 2_wEiについてはこれまで与えられてきた物語の中での印象と、この現実でのパフォーマンスを見た上で総合して、自分の中の今のエビストの物語として定義しなくてはならなくなった。
 これが今回、本当に画期的で素晴らしいことだったと個人的には思うのだ。
 ここに関しては殆ど救われたかのような気分になったとさえ言ってもいい。
 2_wEiをどう思うかは、今はまだ自分達で自由に決めていい。
 正解や見方を押しつけられるわけでもなく、物語の途中として彼女達を判断しろ。
 今回のライブにおける作中拡張で生じた2_wEiについてのこの扱いは、実際かなり面白い試みであると思う。
 これによって確実に紛糾することは間違いなかった2_wEiに関するファンの間での議論が、全部作品世界における一般人の世論に置き換わってしまうわけなのである。
 争えば争う程、ぶつかればぶつかる程、より自分達は8 beat Story♪の世界を体感していることになる。
 これは正直、かなり楽しい。
 自分の感情を勝手に作品の一部とされることに不快感を覚える人も中にはいるかもしれないが、個人的にはそれが不快どころか本当に今回だけじゃなく今までのエビストというコンテンツの動きで一番面白く感じていたりする。
 正直、2_wEiに関しては未だファジーな心持ちでもある。
 キャラクターとしての彼女達を敵として憎みたい気持ちと、その境遇にどうしようもなく惹かれてしまう気持ちが混ざり合った、何とも言えない感情を抱いている。
 現実での彼女達についても全面的に受け入れられているわけでもないだろう。
 いきなり割り込んで来たことに対する不安や面白くない気分は抜け切れていないが、必死に自分達の在りようをパフォーマンスだけで証明しようとする姿はキャラクターのそれと重なってハニプラよりも魅力的に映る部分もある。
 そして、それが全部恐らく自分の中の正解なのである。
 自分の中に委ねられたエビストにおいての正解なのだ。
 どう思うかは自分で決めろ。
 実際言葉にすると当たり前のようだが、ここまで全部それを肯定してくれたコンテンツは見たことがない。
 まあ、丸投げとも言えるかもしれないし、この先においてそれがどうなるかはわからないが、しかし今だけは全てが正しいことも間違いない。
 今、エビストのメインストーリーをジャックしつつある2_wEi。
 ハニプラを差し置いて、未来の展開を奪った2_wEi。
 そうして敵として憎まれつつも、自分達が生きていることを証明しようと足掻く2_wEi。
 それがこの先、2_wEiの1stライブに向けて一から自分達の何かを積み上げようとし、そして1stを経ることでどう変化していくのか。
 彼女達へ向ける感情が一体どうなっていって、どうなることが正解になるのか。
 それが今から楽しみで仕方がない。
 全ての人の意識を統一出来るのか、それとも曖昧なままに揺れ続けるのか。
 味方になるのか、敵のままなのか。
 融和するのか、対立したままなのか。
 善か、悪か。
 2_wEiの物語をここまで盛り上げ、反発を含めた全ての感情すら利用してみせた今回の手腕には本当に舌を巻くしかないものがある。
 それも全て現実をも物語の舞台にしてしまった作中拡張の恩恵の一つであるならば、相当大きいものがあったと個人的には思っている次第である。


 さて、ここまで4thライブにおける作中拡張の個人的に感じた良いところばかりを声高に褒め称えてはきたが、勿論今回のことはそればかりではなく同時に様々な問題点も抱えたものだとも思っている。
 中には信者としての贔屓目であっても無視出来ないようなものも多く、やはりそのことについても個人的な所感をしっかりと述べておきたい。

 

 ではまず、その一つが何なのかというとやはり『物語の再現性のなさ』が挙げられるのではないだろうか。
 4thライブは上にも長々と書いてきたように非常に度肝を抜かれる出来事ではあったのだが、根本的な話、そういうことをいくらこうして伝えてみたところで、それを読んで興味を持った人が「へぇ、じゃあ自分も一度見てみたいなぁ」と思ってくれても全く同じものを提供することが出来ないのである。
 今からでもゲーム内ストーリーはまだ最初から最新まで全部読むことは出来る。あらすじを知ること自体はそう難しいことでもない。
 しかし、今回のように一度しかないリアルイベントで物語を体感するということは、参加を逃すと二度と出来なくなってしまう。
 これこそは、やはり現実に物語を拡張する上での最大の問題点であろう。
 物語と違って、現実は何度も繰り返せるというものではない。
 むしろ繰り返す程に現実味が失われていく。
 作中拡張というのが物語を現実に再現するような演劇とも異なる以上、その骨子にある妙味が薄れていくような再演などは行えるものではないだろう。
 ライブ等のリアルイベントに作品のストーリーの一部を委ねることで、新たな付加価値を生み出す。
 それ自体は非常に面白い試みではあるが、物語の全容を知るためには常にコンテンツに参加し続けなければならず、後から逃した欠落を埋める手段が存在しないということは、やはり無視することの出来ない大きな問題点であるように思われる。

 

 そして、その「再現性のなさ」から更に新たな問題も発生してくる。
 それが前章の問題点の部分でも挙げたように、リアルタイムでの参加が必要となったり、それまでの物語をある程度読み込んだ上で備えなければならないようなことによる、コンテンツを追う上での敷居の高さが増大することである。
 更に、たとえその敷居を越える熱意を持っていたとしても、重要な物語の一部を今のところ二度と体感することが出来ないことに失望したり、気持ちが萎えてしまう人もいるかもしれない。
 そう、そのように、仮にこの先何かしらコンテンツのファン人口が一気に増加することが起こった時に、ライブ等で行われた体験型のストーリー展開を体験してきた世代と、体験出来なかった世代に大きな断絶が発生する危険性があるのではないかと思うのだ。
 無論そんなものは熱心に追ってきた者と追って来なかった者の差でしかなく、個人責任だと言ってしまえばそれまでではあるが、それでも自分はなるべくならばその差は少なくあるべきだと思うし、自分が体験した途轍もなく面白い今回のようなことはより多くの人にもそのまま体験してもらって、感想を語り合いたい。
 そして何よりその断絶が大きければ大きいほど、コンテンツに参加したいと思う新規層は尻込みをしてしまい、結果コンテンツが拡がることはなくむしろ古参だけを抱え込んだまま先鋭化していってしまうのではないかと危惧出来るのだ。
 それが単なる過去のリアルイベントやライブに参加したか否か程度の経験の違いであるならまだしも、作品のストーリーの内容に関わってくることだと既存層と新規層の断絶はより深刻さの度合いを増すように思う。
 前章の繰り返しのようになってしまったが、規模拡大の途上にあるコンテンツにおいてこの危険性は無視することの出来ない、大きなものであると個人的には考えている。

 

 そう、そして、そんな新規層獲得に繋がらなさそうな難しさ、規模拡大の目的と相反しているのではないかと推測出来ることが、実はまだ自分の中でもまだ消化出来ていなかったりする。
 面白いものが見たい、思いもつかないようなことを体験してみたい、自分は確かに常々そう思いながらコンテンツを追いかけている。エビストも例外ではない。
 そういった面から見れば、今回の作中拡張は今までのエビストで最大級とも思える成果に辿り着きつつある。それは歓迎すべき事態だろう。
 しかし同時に、8 beat Story♪と8/pLanet!!が今よりももっと大きくなり、人気になり、より多くの人々にその存在を知られて、スターダムへの道を駆け上がっていって欲しいという願いもまた同じくらい強く抱いてしまっている。
 その視点に立って見ると、そんな願望にどうしても直結しづらいように思えてしまう作中拡張というものを不安視してしまっているのも内心の実情でもある。
 今回のハニプラが不利な状況に追い込まれたかのような演出にあれほどのショックを受けたのは、何もその演出意図に綺麗に引っ掛かったからというだけではない。
 色々な企画が道半ばで倒れていく昨今の同ジャンル業界事情、そんな中で安定しているとは口が裂けても言えないコンテンツの立ち位置。
 勝負のライブと口にしていたメンバー達、今までで最大規模の会場、なのに正直満員では埋めきることの出来なかった現実。
 着実に進歩はしているが、大きな拡がりは実感出来ず、何かしらの起爆剤が必要とされているコンテンツの展開状況。
 正直そんな様々な不安材料を抱えたまま、それでもその全体に漂っていた閉塞感のようなものを大きく吹き飛ばしてくれる何かが用意されていることを縋るように期待して臨んだ4thライブだったのである。
 ここで何かしらないと厳しいのでは……。
 いや、それは向こうもわかっているだろう。きっと、必ず何かしらあるはずだ。
 これまでだってそうだったんだから。
 そんな心持ちでいたところにアレが直撃したわけである。
 その場で泣き出さなかっただけ大したものではないだろうか。
 仮にそれらの状況全てがあの衝撃を与えるために織り込み済みのことだったとしたら本当に恐怖としか言いようがないが、やはりその確率は限りなく低いだろう。
 残念ながら、状況はそれでも依然変わらず厳しいままだと判断せざるを得ない。
 そして、それを覆せるほどの起死回生の力が今回突入した新たな路線にあるのかというと、それもまた厳しいのではないだろうかと個人的には思ってしまう。
 理由は上に長々と書いてきた通りである。
 いずれにせよ、不安と共に胃を痛める日々はまだまだ継続するのであろう。

 

 とはいえ、そんなコンテンツの状況と立ち位置が、今の作中ストーリーを現実にも重ね合わせるにあたって途轍もない臨場感を与えているのもまた間違いない事実なのである。
 それを思うと、やはり現状をきっちりと認識した上である程度は狙ってやっていることなのだろう。ファンの不安を物語の肥やしにしてんじゃないぞと言いたくなる気持ちもあるが。
 これが例えば、コンテンツがもうほとんど先行きを心配することなく見られるくらいに盤石な地位を得てから実施されていたとしたらどうだろうか。
 正直、単なる茶番としてしか映らなかった可能性は高いだろう。
 そういった意味では、これは紛れもなく今この時に、この規模にある内にしか出来ない試みであることも確かだ。
 手応えのある発展途上にありつつも、同時に立ちはだかる壁の厚さに行き詰まってしまっている。
 そんな状況がこちらと向こうで上手いこと重なっているからこそ実現出来る、ある種の奇跡なのかもしれない。
 そうであるならば、今しかない今をエビストとハニプラは全力で駆け抜けている真っ最中なのであろう。
 そして、そういう点についてだけならば、それはやはりこれ以上ない正解の選択肢だったのかもしれないという思いもまた自分の中には存在している。
 例えば、今ここでコンテンツの規模拡大と発展という目的のための最善手は何だろうか。
 個人的にはテレビアニメ化だと考えていた。
 では仮にそれが果たされていたとして、歩む道は今エビストが突入しているそれよりも面白いものだったのだろうか。
 何とも断言は出来ないが、少なくともその道は過去に前例の存在している、エビストだけが歩めるオリジナルなものではないだろう。
 あるいは現状を極端に変更したり利用したりせずに、穏やかにファンを喜ばせ続けながら潮目が変わるのを待つという道もあったかもしれない。
 これ以上の規模拡充にはちょっと物足りないが、それでも緩やかに、細々と生きていくには十分な人気は今でもあるのではないかと贔屓目には思われる。
 だが、そうやってただ死んでいないだけのコンテンツになったところで一体何の楽しみがあるのだろうか。面白いものが見られるというのだろうか。
 この作中拡張という路線は、もしかしたらこれ以上という壁を結局突破することの出来なかったエビストが今出来る中で精一杯の、少しでも面白く、楽しめるものを提供しようとして実行されたものなのかもしれないと考えてしまうこともある。
 あるいは全然そんなこともなく、順風満帆、安全安心の旅路を行けたところを敢えてドロップアウトして、今しか行くことの出来ないオリジナルスターな道を選んだのかもしれない。
 いずれにせよ、その根底にはギラギラと輝くような生への渇望が存在しているように自分には感じられるのだ。
 コンテンツが必死で生きている姿を見せつけたいという願望を感じるのだ。
 死んでるように生きたくない。まさしくひたすら生きるためだけに生きている。EAT, KILL ALL. EAT, KILL ALL.なのである。

 

 話が大分逸れた。
 何にせよ確かなのは、この作中拡張が恐らく物語と現実の状況が重なる今この時、この規模でしか臨場感をもって実現することは出来ない代物であり、発展と安寧を今掴めたかもしれない可能性を捨て去ってでも8 beat Story♪というコンテンツはそれを実行することを選んだということである。
 そして、そうであるならば、正直それでも捨て去ることの出来ぬ安定したスターダムへ駆け上がっていくことへの希望との板挟みではありつつも、自分はその選択を支持したいと思っている。
 まあ、この作中拡張が人気拡大に繋がらないと決まってしまっているわけでもない。
 もしかしたら自分の思いも寄らない奇跡が起こってここから爆発するのかもしれない。
 それに結局の所、人気が出ただの、出ずに終わっただのは単なる結果でしかない。
 生きようと足掻いた先についてくる結果でしかないのだ。
 肝要なのはまず生きようとすることなのである。
 ならばエビストがこれ以上もなく生きようとしてくれている今というのは、このコンテンツに求める全てが満たされている状態とも言える。
 アイドルにとって生きるというのは輝くことである。
 つまりは彼女達が輝くために生きている限り、個人的には心配はあれど、やはり不満は全くないのだ。


 何故か最終的にポエムになってしまった。
 要は個人的には利点も問題点もどっちも多いのではないかと感じるけれども、それが今しか出来ないかもしれないことであるのはわかるし、やりたくてやるというのならば文句はないし、その先を見届けてもみたいということが言いたかったのだ。
 個人的な感想と見解を短くまとめてしまうならば、そんな風に全く面白みのないものとなる。
 そんなことにここまで長々と付き合わせてしまって大変心苦しくあるが、それでももしかしたらここまで我慢して読んでいただいた、まだエビストに触れていないというような方がいるかもしれないことを信じて、最後にもう少しだけそういう人達を勧誘出来るようなまとめを語らせていただきたい。
 さて、これまでに散々中途参戦の難しさを危惧してきたわけではあるが、それでもまだ、まだ今からでもエビストには間に合うという考えも自分の中にはある。
 まずいきなり全部のどんでん返しとなってしまうが、実はこれまで考察してきた全てのことが単なる自分の考えすぎでしかない可能性もあるのではないかとも思われる。
 結局今までのことは全部自分がゲーム内のストーリーを読み、今回のライブに参加をした上で感じたことや思いついたこと、推察や憶測をダラダラと書き連ねたものに過ぎない。
 それを裏付けるような何かしらの公式的なアナウンスがなされたりということは未だないし、絶対的な根拠となり得るような証拠がハッキリと存在しているわけでもない。
 唯一、それに近いものがあるとするならば、公式からの意味深なツイートである。
 それにしたって、一体どこからどこまでが計算で、どこからどこまでが偶然の産物であるのかは正直全く読めない。
 全部が全部計算尽くであるような底知れなさも、考えを重ねてみるほどに確かに感じられる。
 しかし、今まで一から追ってきた身からすると、単なる偶然をこれ幸いとばかりに利用して思いついたことをやっているだけのようにも思える疑惑もまたどうしても拭いきれない。
 いずれにせよ、結局そこら辺のことは細かく作品について掘り下げると出てくる要素でしかなく、表面的に軽い気持ちで楽しむならば考えすぎや偶然ということにして脇に置いても今のところは問題ないというのも一つの事実なのだ。
 ライブだって、何もそればかりを意識しなければ楽しめないものでは全くないということは散々語ってきたところである。
 何も知らなくても、とりあえずは普通のアイドルものとしては十分以上に楽しめる。それは間違いなく保証する。
 曲だけが好き、ユニットだけが好き、メンバーだけが好き、別にそういう付き合い方でも全く構わない。
 とりあえずはそこから始めてみて、興味を覚えたらより作品に深く関わっていけばいいのだ。
 そうした時に、思ってもみなかった程に深くて興味深くて、何より面白い鉱脈が広がっていることも、これまで延々と語ってきた通りなのである。
 あるいは今までの内容から、二次元と三次元を交差して描かれる物語の方に興味を持ってくれているような人もいるかもしれない。
 そして、もしも乗り遅れを気にしているならば、是非ともそんなものを気にせずに飛び込んで来て欲しいと思う。
 何故ならこれまでのことなんて正直この先何の役に立つかもわからない。
 一から追ってきた我々でさえ毎回毎回突拍子もなく新しいことを見せられているような気分なのだ。
 経験の断絶などと仰々しく書いてはみたが、実際この次の段階を見る瞬間に既存ファンと新規ファンの違いはそこまで存在しないようにも個人的には思う。
 何せエビストは本当に毎度毎度、ライブを重ねる度に絶えず変化し続けているようなものなのだ。今回の常識が次回には通用しなくなっている可能性も十分存在する。
 やっぱり作中拡張は次までにやめてしまっているかもしれないし、また別の路線を思いついてそちらに切り替えてしまっているかもしれない。
 今回のことにしたって突然降って湧いたような出来事だったのだ。
 「今更追っても……」なんてことを考える必要はない、ライブの度に全員等しくまっさらな状態になるのだから。
 肝心なのは、その瞬間を見るか見ないかである。
 それに、ゲームのストーリーも、現実のストーリーもまだまだ全然途中なのである。
 終わりが見えてもいない。
 そこら辺は本当にテレビアニメのような媒体と違って、のんびりと物語を展開出来るソーシャルゲームの利点が活かされているように思う。
 まだまだ乗っかるのに遅すぎたなんてことは全くない。次のライブにしたって半年近く先だ。
 むしろここで半年も物語の進展にお預けをくらうの!?と思うと既存ファンとしては発狂しそうな心持ちである。
 そう、実は今からでもエビスト始めるのに全然遅くはないし、物語を読んだり設定を知るハードルも、次までに与えられた猶予期間を思えばそれほど高くはないと思うのだ。
 だから、本当に少しでも興味を惹かれたならば是非ともこのコンテンツに参加してみて欲しい。

 

 とまあ、こんな風に熱心に新規層を誘うのにも一応理由がある。
 それは、単純にスターダムを駆け上がる8/pLanet!!が見たいというのもそうであるし、今行われている作中拡張やエビストのストーリーについて知ってもらって、その感想や考察を様々な人達から聞いてみたいというのもそうではある。
 だが、もしかしたらその理由としては「すっげえエンディングが見たい」というのが自分の中では一番大きいのかもしれない。
 考えてもみて欲しい。
 作品中の出来事がこうして現実にも影響を及ぼすのだとしたら、その逆もまた然りなのではないだろうか。
 現実で起こったことも、ゲームのストーリーに影響を与えることが出来る。
 仮にこれまで考察してきたことが全て運営の思惑の内の出来事なのだとしたら、それくらいは当然やるはずである。やってのけるはずである。
 ならば、もしかしたらゲームの方のハニプラの行き着く先は、現実におけるコンテンツの到達点によって様々に変化するのかもしれないのだ。
 その場合、トゥルーエンドに辿り着くためには果たしてどうすればいいのだろうか。
 ……正直なところを言うと全くわからない。攻略情報の一切ないギャルゲ―の初回プレイに挑んでいるような心地である。
 だが、それでも一つだけわかっているのは、少しでも人気が出て人が増え、コンテンツの寿命が延びれば延びるほど、少なくともより素晴らしいエンディングへ辿り着く可能性が上がるのではないだろうかということである。
 この運営のことだから、たとえ思ったよりも人気が振るわなかった場合のエンディングも用意されているのだろうとは思うし、物語主義者的にはそんなノーマルルートBくらいの内容も気になってしまうところではある。
 だが、それでもやはりイケるならば、途方もない奇跡の先のトゥルーエンドを拝んでみたい。
 来たるべき8/pLanet!!反攻の折りに、今回よりも素晴らしい舞台と展開を用意させてあげたい。
 そのための物語に影響を与えられる力を、僕らは一人一人が今回の作中拡張で持つに至ったわけなのである。
 現実が物語を書き換える。
 今回物語が現実を侵食してきたというのならば、そのせいで精神が打ちひしがれたというのならば、我々は今度はそれをやり返すべきである。
 最高の物語を、自分達の手で作らせる。
 運営がコンテンツの置かれた状況までも利用するというのならば、最高のそれを用意して利用させてやればいい。
 "先生"という立場にはそれが出来るのかもしれない。
 それは非常に面白い可能性だと自分は考える。
 どうだろうか? 面白いとは思わないだろうか?
 別に傍観者のままでも構わないと言えば構わない。何も知らぬままに過ごすというのも一つの与えられた役割である。
 だが、そんな風に現実ではなく物語の中を変えられるかもしれない可能性を少しでも面白いと感じたならば。
 その可能性の一つになってみて欲しい。
 方法は簡単だ、ゲームを始める、ストーリーを読む、そして次のライブに来る。
 それだけでいい、そして来たるべき日に備えればいい。
 それがいつ来るかは、幸いなことにまだ誰にもわかっていない。
 だからどうだろうか、その瞬間を作るために、多少は自分達も力になれたと思いながら、それを一緒に迎えようじゃないか。
 ……何だか結局3rdライブの時の感想と大体同じみたいなポエミーな締めになってしまったが、まあいいか。
 なんにせよ、8 beat Story♪の世界は今や現実となってしまった。
 真実はそう考えている狂人が一人いるだけなのかもしれないが、そう思い込んで狂ってみるのも楽しいものだ。
 そして、そこでどういう身の振り方、考え方をするかは自分次第である。
 願わくば彼女達の物語とこの現実に、幸せな結末の訪れんことを。
 そのために行動を起こしてみるのもいい、ただ見守ってみるのもいい。
 作中拡張の真の意義とは、そうやって自分で彼女達とその世界との関わり方を決められることにあるのかもしれないのだから。

 

8 beat Story♪は最後の二次元アイドルとなるかもしれない

 

 今、とにかく『8 beat Story♪』のメインストーリーが凄くいいということを伝えたいのです。
 そのためにこれを書いています。


 そう、知らない人のためにも簡単に説明すると『8 beat Story♪(略称:エビスト)』とは今流行りの二次元アイドル系音楽アプリゲームの一つのことなのですが、そのゲームのメインストーリーが今、物凄く内容が面白いし、また作品の世界観なんかも面白いことになってきているんですよ。

 

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                     これが8 beat Story♪だ!


 似たようなアプリゲームやコンテンツが氾濫していると言っていい現在のこのジャンルにおいて、まさしく頭一つ抜けた独自性というか特異性のようなものを発揮しだしているのです。
 今回はそれをどうにか簡潔にまとめて、皆様にプレゼンテーションさせていただきたい。
 エビストが一体他の二次元アイドルアプリやコンテンツと何が違うのか? 何が違ってきているのか?
 それがどういう独自性を持っていて、一体どうして面白いのか?
 そして、どうしてこんな衝撃的な記事のタイトルをつけてしまったのか? 最後の二次元アイドルとは一体どういうことなのか?
 以下からはそんなことを、自分が今エビストに対して感じている驚きを分かり易く形にして残しておく目的も兼ねて、つらつらと書き連ねていきたいと思います。
 そしてそれを読んでいただくことで、少しでもこのアプリゲームとコンテンツに興味を抱き、手に取って、その只今絶好調に達しつつあるストーリーをも読んでいただけたならば幸いです。
 また今回どうしてもそのストーリーの他と比べた時の特異性のようなものを説明するために軽く本筋のネタバレを行ってしまう部分が存在してしまうのですが、あらかじめ御了承ください。
 むしろ、まだエビストを知らない方々にはそれを読んで一体どういうストーリーなのかの概略をまず知っていただき、そんなネタバレ程度では伝えきれないほどの魅力を持った実際のシナリオを読む気にもなっていただけるように出来るだけ努力していきたいと思います。

 

 

 

 

初期のシナリオの微妙具合が凄い

 まずは最初に、まだこの作品をよく知らない人のためにもエビストが一体どういうお話なのかということを軽く振り返っていきましょう。
 とはいえ実はこの作品、ゲームがリリースされた最初期から今これを書いているような衝動が湧き起こるほどにストーリーが面白かったわけでは全くありません。
 むしろ、どちらかと言うとストーリー的には全然駄目な部類の作品でした。
 そして、そんな残念な雰囲気が漂いまくっていた初期ストーリーがそこからゆっくりと、結構な時間をかけて改善を繰り返してきて、ようやく花開いたのが今この時だったりするのです。
 それが制作側と追いかけるプレイヤー両者にとってどれほどの苦難と感動に満ちた道のりであったかを知ってもらうためにも、あらすじと同時に初期のストーリーの問題点をも振り返っていきたいと思います。

 

 さて、エビストの簡単なあらすじですが、物凄く簡潔に要素だけを抜き出してまとめてしまえば、

 

「今から少しだけ未来の話」
「高度に進化したバーチャル空間でのライブ配信がアイドル活動主流の時代」
「人間によって開発された人工知能『MOTHER』と、その『MOTHER』の開発した『アンドロイド(バーチャル空間上だけに存在する人工知能の子機)』が人間のアイドルに取って代わってアイドルとなり、音楽を支配しつつある状況」
「人間側はわずかに残されたアイドル達がアンドロイドに反抗し続けているが、ジリ貧の状況」
「そんな人間側のアイドルグループの一つ、音ノ杜学園に集められた8人の女の子達によるユニットが主人公の物語」

f:id:m_kichi:20180415205715p:plain

                     SF×アイドル! 斬新…!?

 

 ……となるのですが。
 あれ? これだけ読むと結構面白そうだな……どうなってんだ……。
 とまあ、何故いきなり書いた本人が戸惑っているのかというと、これらの要素はちゃんと揃っていたはずの最初期のエビストのストーリーが正直とても微妙な出来だったからなんですよ。
 そして、何故初期はそんな風に面白いのか面白くないのか微妙なことになっていたのか考えてみると、結局それらの設定がエッセンス程度のところから抜け切れていなかったことに原因があったと思われるのです。
 世界観の広げ方というか、開示の仕方が下手だったと言いますか。
 設定も捻ってあり"面白そうな"世界観ではあっても、その時点ですぐに"面白い"というにはどうしても色々と足りていなかった。
 設定も捻ってあり"面白そうな"世界観ではあっても、その時点ですぐに"面白い"というにはどうしても色々と足りていなかった。
 既存のアイドルものの共通フォーマットに安易に乗っかっているだけではないことを見せかけたいが故のちょっとした独自性を出すための適当な追加要素程度にしか見えなかったと言いますか、物語において描きたい本質がそこだとはどうしても思えなかった。
 エビストのオリジナリティを発揮するための世界設定ではありますが、そこには妙に雑っぽい感じが存在していた印象がどうしても拭えないものとして初期には存在していました。
 なので、そういう変わり種的な要素とインパクトで最初は釣っておきつつも、実際本当にやりたいことというのは結局今までのアイドルものと大して変わらないのではないかという疑念もあったのです。
 アイドルものにおける種々の主要な要素を、それぞれ近しい概念のものに置き換えただけなのでは、とも言えるでしょうか。
 とにかくこの世界観に対してアイドル要素を結合させる意味がよくわからなかったし、キャラクターやユニットの設定周りなどは完全に成功した先達のアイドル作品からの影響を色濃く受けていて、故に結局のところ「自分達のところでもああいうのがやりたい」というのが最終的な理想なのではないかという邪推も出来るものでした。
 しかし、まあそれならそれでも別に構わないのです。
 今現在、新規で立ち上げをするアイドルコンテンツで既存作品とキャラ設定や要素が全く似通わないという事例の方が少ないくらいでもありますから。
 ですが、たとえ真の目的がそうであるにしても、そういう既存アイドルものとしての基本フォーマットに乗せる手腕もまた、正直言って微妙だったという厳しい事実もエビストには存在していました。
 むしろそういう典型的なアイドルものをやろうとしているのならば、今度は逆に作品のオリジナリティとして加えてしまったSF要素が足を引っ張っているという頭を抱えるしかない事態に陥っていたように思います。
 どちらを本当にやりたいにせよ、あるいはどちらもやりたいせいなのか、結局二兎を追うが故にどちらの要素も中途半端になってしまっているという、あまりにも典型的な機能不全を初期のシナリオは起こしていました。
 とまあ、最初の頃はそんな感じで酷かったわけでありますが、当時の苦難を思い出すと筆が乗りすぎてやたら長くなってしまったので、とりあえずダメだったところを要素だけ抜き出して箇条書きとして簡潔にまとめておきたいと思います。

 

・世界観の描写不足
 →世界の危機に対抗するという設定でありながら圧倒的な危機感の不足
 →何故その危機に対抗しなくてはならないのかの理由付けの不足
 →主人公達のアイドル活動と世界観の齟齬

 

・キャラクター個人の描写不足
 →個々人がアイドル活動、ひいてはアンドロイドへのレジスタンス活動に従事するにあたってのそれぞれの理由の不足
 →そこの不足により普通のアイドルものとしてのシナリオの厚みも中途半端に
 →オリジナルな理由付けが出来る、そのための設定のはずがオリジナリティのある理由を上手く描写出来ていない

 

 ざっくり書くとこういう感じになるかと思います。
 しかし、ここまでは駄目だった点ばかりを挙げてはきましたが、必ずしも欠点ばかりというわけでもありませんでした。
 技術と情報の蓄積が足りないばかりにメインストーリーが機能不全を起こしてはいましたが、実は素材自体は本当に悪くなかったのです。
 今後上手く扱えれば、面白いことは出来るかもしれないポテンシャルは確かに存在していました。
 そして、そんな素材がいい中でもやはり抜群なのはキャラクターでした。
 掘り下げはまだイマイチ足りていませんでしたが、それでも8人それぞれしっかり魅力的なキャラクターとしては最初から立つことは出来ていたのです。
 設定段階からメインとなる人数を絞ることで一人一人に深く向き合えるようにしてあったのも良かった点でしょう。

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                 キャラクターは本当に抜群だった


 何にせよ、やりたい方向性自体は恐らく間違っていなかったのです。
 ただ、やはりどうにも単純な手腕とストーリーの情報量とが足りていなかった。
 なので、過去このゲームをプレイし始めた時点では、自分は成長性に期待との評価を下しました。
 色々な部分をこれからきっちりと改善していけたならば、この作品はかなり面白いことになるのではないだろうかと。
 そして、果たしてそれは今現在ようやく達成されつつあるのです。
 エビストはそこから本当に地道に、真摯に、最大の弱点であったストーリーの改善に挑戦し、またそれを何度も繰り返してきました。
 本当に、信じられないくらいにゆっくりと、それでも自分達に出来るペースで、地道に、ひたすら小さな努力を重ねるようにしてストーリーを良くしようとしてきたのです。
 割合結果は伴わずともその行動だけでもすでに感動モノであったことを理解していただきたいくらいなのですが、やはりそれ以上に素晴らしいことはその改善が本当にストーリーを善いものへと改めることに繋がっていたことでしょう。
 以下からはその地道な改善の過程を色々と省略しつつも簡単に追いかけることで、如何にして現在のストーリーを支える基礎となったのかを説明していきたいと思います。

 

 

 

 

ストーリー改善のための努力が凄い

 さて、アプリのリリース当初、メインシナリオは五章までがあらかじめ用意されていました。
 今現在、その初期のシナリオは新しく再編されたバージョンになっているのですが、今の再編された一、二章が当初のメインシナリオの内容でもありました。
 つまり、やろうと思えば一、二章に圧縮して問題のない話を五章分に引き伸ばしたものが最初期のメインシナリオとして実装されていたわけです。
 冗談のようだが本気(マジ)の話です。
 全編に渡って味付けが妙にぼんやりしていることも相まって、精神が息苦しくなるような空回り具合がそこにはありました。
 アプリの開始自体は二年前、ソーシャルゲームにおけるストーリーというものがコンテンツの強さの一つとして認識されてくるにはまだ少しばかり早かった時期だったでしょう。
 とはいえ、元からIPとしての力があるわけでもなく、それこそ一からあらゆるものを積み上げていかなくてはいけない新興コンテンツです。
 それなのにここまで凡庸な物語しか用意出来ていなくて、果たして大丈夫なのだろうか?
 そんな我々の心配を他所に、初期実装分のそのメインシナリオはサービス開始からなんと半年以上全く更新されることのないまま放置されていました。
 それを見ながら、誰しもがあるのかどうかわからないこの妙ちきりんな物語の続き諸共にゲーム自体が道半ばにして絶版の憂き目にあう予感をひしひしと感じながら日々を過ごしていました。

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                  最初期はいつも怯えて過ごしていた思い出


 しかし、流石に運営にもここまでのコンテンツにおける弱点(というよりも最早病巣に近かった)を、手をこまねいたまま放置しておくのは不味いという実感があったようです。
 リリースから半年、最初にして早くも最大のシナリオ改善のための施策が打たれることとなりました。
 『シナリオライター変更』です。

 


 細かい改善はこれ以降も度々繰り返していくのではありますが、やはりそんな中でも最大級の威力を発揮したのがこのシナリオライター変更だったでしょう。
 というよりも、根本、土台の土から入れ替えるようなダイナミックさであることを思えば当たり前ではあります。
 そして、シナリオライター変更が決定した経緯もこれがまたやたらとドラマチックで面白いのです。
 少しだけ、かいつまんで説明させてください。
 まず2016年当時、エビストより三ヶ月遅れてリリースされた『アイドルコネクト(略称:アイコネ)』という、同じようなアイドル系音楽アプリゲームがありました。

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                      いいゲームだったんスよ…


 ほぼ同時期リリース、同じ新興二次元アイドルコンテンツ、そして同じ音楽アプリゲーム、と中々に互いをライバルとして認識するなという方が難しい両者の関係性でありました。
 しかしアイコネは様々な不幸が重なり、わずか三ヶ月でゲームの方が息を引き取ることとなってしまったのです。
 そんなアイドルコネクトなのですが、エビストとは打って変わってシナリオの良さに定評のあるゲームでありました。
 本業シナリオライターとして腕の良い方々がガッツリ制作の根幹から関わっていたからというのがその出来の良さの理由なのですが、残念ながらシナリオの良さが広く知られる前にコンテンツは一旦失速してしまうこととなってしまいました。
 そして当然、同期のライバルとしてバチバチに意識していたエビストプレイヤーの間でも、アイコネのシナリオが良いということは知れ渡っていました(というかぶっちゃけプレイヤーが大多数被ってもいました)。
 ならばその上も推して知るべしではあるでしょう……さて勘の良い人ならこの時点で大体何があったのか薄らと気づいたのではないでしょうか。
 そう、アイドルコネクトがサービスを終了してしまい、しばしの間宙ぶらりんになっていたそのシナリオ担当者の一人であった葉巡明治さんと、氏の立ち上げたシナリオ専業のライター集団であるAERを丸ごとそのまんま、エビスト運営はこちらのシナリオライターとして抱き込んだのです。
 それも、アイコネの訃報から大した日数も経たぬ内に、であります。
 まさしく通夜会場で未亡人を寝取るかの如き早業。狭い規模ではありましたが、両者のプレイヤー間の衝撃の大きさは相当なものであったことをご理解いただきたい。
 そういう、何と言ったらいいのか、『シナリオが弱いなら、強いとこから引っ張ってきて補強すればいい!』とでもいうような、しかもいくら失速したとはいえかつて真っ向から戦ったライバルの陣営からという、豪胆にも程がある対策を打ってくる辺り相当な大物か、もしくはスケールのデカい馬鹿なのでしょう、この運営は。
 とはいえ、葉巡氏もAERもシナリオライティングを生業としているプロではあります、実際仕事として依頼をすることには何の問題もありません。
 そんな経緯で、シナリオの評判が良かったゲームのシナリオライターが、そのまんまエビストのシナリオライターとして雇われて、以降のメインストーリーを書いていくこととなりました。
 そして、ここからエビストのストーリー改善が本格的に開始されることとなり、まるで特効薬を打ち込んだかのようにまさしく劇的に良くなっていくのです。

 


 シナリオライター変更。このセンセーショナルにも程がある改革から少し間を置いて、リリースから半年以上まったく触れられていなかったメインストーリーがようやく更新され、新規ストーリーが追加される運びとなりました。
 更新されたストーリーを読むに、ライター変更の効果は一目瞭然の凄さでした。
 それまでは妙にぼんやりとした味付けの、不味くもないが決して美味くもないという風であったストーリーが、しっかりとしたテーマと、メリハリと、分かり易い面白さを持って展開されるようになったのです。
 特に、ライター変更後の傑作とプレイヤー間では名高い杏梨編を筆頭に、先に上に書いてきたような欠点の一つをしっかりと克服してきたことが大きかったでしょう。

 

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            全プレイヤーが泣いた傑作回、杏梨編


 それとはすなわち「キャラクターの一人一人に焦点を当てて、しっかりとした掘り下げを行ってきたこと」となります。
 そして、焦点を当てられたキャラクターの問題を解決するための他のキャラクターの動かし方も上手かった。
 これによりキャラクター間の関係性が明瞭になると同時に、章の主役となるキャラクター以外の掘り下げも平行して行われ、キャラクター先行のドラマとしてはグッと深みが増すこととなりました。
 しかし、それでもようやく普通のアイドルものとしてのスタートラインに立てたというところであることもまた否めませんでした。
 魅力的なキャラクター達が動いて、それぞれが支え合い励まし合い、時にはぶつかり合いながらもアイドルユニットをやっていく。
 そういう話としてはようやくまともになってきましたが、そんなごくプレーンな造りのものとの差異を付けるために投入したであろうSF要素や世界観をまだ十全に活かせているものではありませんでした。
 しかし、まあ一プレイヤーとしてはそれでも別に構わないという思いもその時点ではありました。
 これまでを思えば普通のアイドルものとしての平均点まで到達出来ただけでも感動ものの躍進であったし、ノリと勢いで入れてしまったようなSF要素がしっかりとした持ち味として活きてくる贅沢までは期待が回らなかったというのがあります。
 まあそんな個人的な思いはさておき、とにもかくにもライター変更後の三章分のシナリオ更新でようやくエビストは普通のアイドルものに求められる基準点までは辿り着くことが出来たのです。
 それが第二の改善による結果でした。

 


 さて、そんな風に目に見えて良くなったメインストーリーなのですが、何とそこから次の更新が始まるまでには一年近く間が空くこととなります。
 とはいえ、その間ストーリーに動きが全くなかったというわけでもありません。
 本編の補完、というよりもむしろ本編のストーリーそのものを、エビストはゲーム内ではなく別の形として提供するという実験的な施策に乗り出したのがこの期間だったのです。
 その一つがまずコミカライズ版の連載開始でした。

medibang.com


 しっかりした実力を持った作画担当にゲームの内容を漫画に合わせた形で再編したストーリーを改めて絵にして描いてもらうことで、既存プレイヤー達にとっては世界観に対する理解度が一気に拡がる結果となりました。
 またゲームよりもわかりやすく、かつ簡単にストーリーに入っていける間口が新たに開設されたことで、まだ知らない人にも格段にコンテンツをオススメし易くなったこともかなり大きな成果だったでしょう。

 


 そして、それ以外の形で大きかったものは、やはりリーディングイベントの開催とドラマCDの発売、この二つになるでしょう。
 まずは両者の良かったところを挙げていきましょう。
 とにかく、この二つのために用意されたストーリーはどちらも素晴らしいものでした。
 評判の良かったライター変更後のメインストーリーですが、そこから更に内容が練り上げられ、洗練されていたと思います。
 そして、そんな風に内容が良かったのは勿論ですが、それよりも特に、この二つのストーリーによってそれまでフニャフニャだった世界観が固く締め上げられ、かつガッチリと補強されるような、そんな役割を果たしたことが何より大きな評価点だったと言えるでしょう。
 それでは、その二つの内容もこの後のストーリーの面白さの解説に係ってくるので、順番に軽く触れておくことにしましょう。

 

 

 まずリーディングイベントのストーリーは、それまで完全な描写不足による謎に満ちていたエビスト世界がようやく開かれたものとして全員に提供され始めたような内容でした。
 人間側のアイドル達が何をしているのか、この世界に訪れつつある危機とは一体何なのか。こちら側に味方するアンドロイドであるメイと、それをサポートする理事長の思惑等……。
 もしかすると普通のアイドルものという枠だけでは収まらないのではないかという予感をさせる壮大なスケールの話の一端がここでは語られていました。

 

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        グッズとして売られていた台本の複製だけが貴重な記録


 このイベントを観に行った熱心なゲームプレイヤー(ファン)達は、初めてと言っていいほどにシリアスに語られた向こうの世界の実情の一部に触れて、大きな衝撃に包まれたことでしょう(自分も全く例外ではなかった)。
 期待はあまりされていませんでしたが、やはり多少は待ち望まれていたエビスト独特の世界観を拡げるということ、そしてそれを更に補強するという重大な役割を、ここまでしっかりと果たしたストーリーがここで出てくるとは誰も夢にも思っていませんでした。
 が、しかし、そんなパーフェクトなストーリーにも最大かつ致命的な欠点があるとすれば、これが一日二公演限りのイベント内でしか観ることの出来ない物語であったことでしょう。
 これからのエビストの物語に多少なり期待を持たせ、興味を起こさせる可能性を持ったものが、まさか一番新規プレイヤー候補達に触れることの出来ない形で公開されてそれっきりとは今でも信じられないし、信じたくありません……。
 とにかく、リーディングイベントはこれまで以上にクオリティのアップした内容を持ち、かつ世界観の詳細な描写が行われた作品上重要なストーリーであったことは間違いないでしょう。それを読み返す機会というのも、いずれ何らかの形で補完されることを祈りたく思います。

 


 さて、一方ドラマCDの方のストーリーはというと、これまで展開されていた時系列の更に前、つまりは8 beat Story♪のビギンズストーリー的な内容となっており、こちらは世界観よりもどちらかというとキャラクターとユニット周りの設定を更に深く掘り下げるのに大きな功績を果たしたものでした。

 

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                     これが私達のビギンズナイト…!

 

 各々が一体何を目的としてユニットを組み、ライブバトルに臨んでいるのかが本編ではいまいち、というか設定によっては全くわからなかったところが、この前日譚によってようやく詳細に明かされ、キャラクターの設定に新たな彩りを与えることとなりました。
 そしてそれのみならず、しっかりと物語の謎にも一歩迫った、ストーリー上重要な役割を担った話となっているのです。勿論内容も十分に面白い。
 入門編としても、またはゲームやコミカライズなりで先に触れていたものよりも更に深くメンバーのことや物語を知るという用途でも、是非とも聞いておくべき一枚でしょう。
 唯一欠点があるとすればこのドラマCD、CD現物でしか存在しないのに一般ルートでは流通しておらず、簡単にオタクショップの店頭などで手に取ることが出来ないということくらいですが、これも中々致命的でしょう。信じたくない。

 


 とはいえ、とりあえずはそんな風に、これまでエビストはメインストーリーが面白くなるように、そしてプレイヤーにも楽しんでもらえるようにと手を変え品を変え様々な試みを行ってきました。
 努力の甲斐は確実にあったと思います。
 これらの改善と更新が行われた後では、もはや初期の微妙さは見る影もないほどに真っ当かつどこに恥じ入ることもない立派なアイドルストーリーには到達しておりました。
 それどころか、その多少の問題があった初期ストーリーは最近になって再編され、短く、そしてわかりやすくまとめられた形にまで生まれ変わりました。
 既にあったものをよりよくするために躊躇なく作り替える辺りからも、今よりも更にストーリーに力を入れていこうとする今後の姿勢が窺えました。
 そして、そんな初期ストーリーの再編を経てから、満を持してゲーム内メインストーリーの更新が再開されたのです。
 リーディングイベントとドラマCD、この二つによって描かれた流れを受け取って、これまでよりも更にグッと良くなった六章、七章とが展開されて、もはや物語の基礎は十分に固められたように思われました。
 アイドルものとしての強度の高さは勿論のこと、扱いきれていなかったSF設定もようやく作品独自の味として馴染み始め、あと何か一つキーがハマれば一気にこれまで組み上げてきた全てが噛み合って上手く動き出せそうな予感がする。
 そんなところまで、何とも静かにではありますがエビストは登り詰めていました。
 そして、そのキーこそはまさしくこの次にその素晴らしさを声高に語らせていただきたく思うメインストーリー八章と九章であり、このストーリーが公開されたことによってようやくというか、いやむしろ何とも予想外なことにと言いますか、この8 beat Story♪こそが、アイドルものとしての新たな地平へ一歩、足を踏み入れることとなるのです。

 

 

 


「空乃かなで編」が本当に凄い

 さてここでようやく今回自分が手放しで絶賛したくなり、皆様に紹介したいと思い立ち、この文章を書き始めた理由でもある8 beat Story♪のメインストーリー第八章と九章の解説へとようやく到達することが出来ました。
 とりあえず、まずはこの後の解説をスムーズに行うためにも簡潔にこの章のあらすじを書いていき、どういう話なのかをある程度知っておいていただくことにしましょう。

 

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              その名はType-Z


 とにかくメチャクチャに省略して主要部分だけを抜き出すと、

「主人公達はこの時代で開発された、初めての実体と、極めて人間に近い精神を持ったアンドロイド『Type-Z』と対決し、これを打ち倒すこととなる」

 というお話になります。
 こう書くとまるでどうってことのない話のようにも見えますが、実情は全く違うのです。
 何故ならこの章でようやくこれまで丹念に植えては育ててきた独自の世界設定が本格的に機能し始めて、エビストは完全に普通のアイドルものから逸脱してしまうことになるのです。
 これはそういう画期的な――いや、というよりはむしろ既にその手があることはわかっていながらも誰も手を出さなかった領域に先んじて一歩踏み出したような、そういうストーリーとなっているのです。
 一体それはどういうことなのか、順を追って説明していきましょう。

 

 まず前提の設定ではありますが、これまでのエビストにおいて主人公達の敵であるアンドロイド達は全部実体がない、仮想空間上だけに存在するAIでした。

 

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         さらりと流されがちな設定   

 

 そして主人公達のユニット――『8/pLanet!!(ハニープラネット)』ことハニプラは、時にアンドロイドに負けることはありつつも、順当に力を付けてデータ上の存在であるアンドロイド達を打ち倒し、仮想空間内におけるアイドルランキングトーナメントことライブバトルを勝ち進んでいました。
 そんな中で、これを危険視した全アンドロイド達の最上位に存在する統御AI『MOTHER』は、初の機械式人口ボディを持った実体アンドロイド、Type-Zをハニプラへ差し向けようとします。
 しかし、実体と同時に人間同様の精神も与えられていたType-Zこと『空乃かなで』はMOTHERの元を脱走し、ハニプラのメンバーの一人である『源氏ほたる』と交流を持ち、己の身分を隠して匿ってもらうこととなります。

 

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 まるっきり人間と同じ心を持ったかなでと心を通わせるほたるとメンバー達。
 しかし、Type-Zにはライブバトルが開始される予定時刻が迫ると強制的にバトルへ参加することになるプログラムが仕込まれていました。
 心を通わせ、互いに絆を深めつつも避けられない戦いへとハニプラ、かなで両者共に身を投じることとなる――。

 

 とまあ、これがより詳細に書いた本編の簡潔な内容となります。
 心を通わせ、友となった敵との戦い。
 ここで初めて、エビストにおける明確な"形"を持った"敵"との戦いが描かれることとなりました。
 それまでは実体のないデータと戦うだけの、正直緊張感もへったくれも感じづらいものであったのが、ここで一気に実際の戦いとして形にされることとなった。
 まずこれが意義として非常に大きかったのです。
 これまでのメインストーリーにおける障害、越えるべき物語上のハードルは戦いの中ではなく、どちらかというとチームの足並みが揃わなかったり、個人的な内面の問題というものに終始していました。
 そしてそれは結局のところ他のアイドルものと何一つ変わらない、同じような話でしかありませんでした。
 問題の解決の結果がライブバトルにおける勝利なのか、はたまたオーディションでの合格なのか、大会における試合を勝ち抜くことなのか、課せられた仕事としてのライブを成功させることなのか。
 形の違いはあれど、本質はどれも変わりないものでしょう。
 しかし、今回は明確に打ち倒すべき"敵"が、ストーリーにおける障害として現れました。
 この敵を倒すことでしか前に進めない。それもアイドルとしての対決で。
 ですが、それも結局はアイドルものにおけるライバルとの対決という概念のガワだけを変えたものとも言えるかもしれません。
 ただし、それには"そのままでは"という前置きが必要でもありました。
 そう、エビストはここでそれを単なるアイドルものにおけるライバルとの対決概念で終わらせないために、画期的とは言えないまでも、これまでどこのどのアイドルものでも手をつけなかった方向へ後戻りの出来ない一歩を踏み出しました。
 それを説明するためにも、さっきのストーリーの簡潔な紹介にもう一文付け加えさせていただきたく思います。

 

「しかし今回のType-Z初号機はあくまでデータ収集用のプロトタイプ端末であり、差し向けた先の敵であるハニプラとの対決に敗れた時点で収集したデータの回収と共に破棄されることとなっていました。
 つまり、ライブバトルでハニプラが勝利するとType-Zの人格データは抹消される――則ち死ぬことと同義であったのです。」

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 御理解いただけたでしょうか?
 つまり、エビストはアイドル同士のライブパフォーマンスによる対決に、まさしくそれが命のやり取り――殺し合いになるという概念を持ち込んでしまったのです。
 これこそが、誰もがやろうと思えばすぐにやることも出来て、しかし誰もその一歩を踏み出すことがまだ出来ていなかった、そんな道へエビストがまず一歩を先んじ、そして普通のアイドルものからまさしく逸脱してしまったという話の実態なのです。
 けれどもまあ、もしも単にそれだけであったならば、結局は悪趣味なだけのイロモノでしかないでしょう。
 過激な要素を入れるだけでいいのならば、もっと早くにそうしていたはずです。
 個人的にも、別にそういう単にアイドル同士が殺し合うだけのようなものが見たいわけではありません。
 ならば何故、今回のこの話で自分の心がこんなにも衝撃を受けたのかというと、その相手の命を奪うことになる戦いへと赴くことになるまでの過程と、殺し合うことになる両者の心の機微の描かれ方が非常に……なんとも非常に丁寧かつきめ細やかなものであったからなのです。
 今回の章の主役たる『源氏ほたる』は、Type-Z――『空乃かなで』とストーリー二章分に渡り美しくも優しい心の交流を重ねてきました。それは他のメンバーも同様です。
 そして敵であるかなでにしても、何もハニプラに対して明確な敵意を抱いているわけではない、普通の少女と同じ心を持ち、穏やかな性格をしたアンドロイドでした。
 そんな二人が出会い、一緒に暮らし、交流を重ねて、最終的にほたるとかなでは無二の親友とも言える関係性にまで到達していました。
 そのかなでを、ほたるは自らの手で終わらせることになったのです。
 自分達が勝ったら彼女が消えてしまうということを知らなかったわけではありません。
 そのことをほたるは知っていて、むしろそれが原因で一度はかなでに敗北することとなったくらいです。
 それでも、最後に彼女は――彼女達は、勝つことを選びました。
 覚悟と共に、自分達の勝利のため、目的のため、使命のために、親友たる相手の息の根を止めたのです。

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 そんな風に、全てを引き裂くような悲劇の道へエビストが足を踏み入れた瞬間はどうでしょうか。
 それを見て自分は全く、初めてこの作品のストーリーに全身を雷に打たれたような衝撃を覚えてしまったのです。

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     最高だった……


 まあそこら辺の個人的な感情はどうでもいいことですが。
 重要なのは、エビストがこれまで築き上げてきた優しい世界観や雰囲気を大きく壊すことなく、それでいて確実に、真綿で締め上げるかのような細やかさで、シリアスとシビアをもこれからストーリーの味付けに混ぜていくということをこの章で見事に示してみせたことなのです。
 単なる悪趣味でもなく、カンフル剤のような衝撃的展開の入れ方でもない、あくまで普通のアイドルものの基礎を残したまま、そこから一歩だけを逸脱してみせたこと。
 これが何よりも素晴らしく、大事なことなのです。
 実際アイドルをしながらも同時に敵とガチンコで戦うという作品は、エビストだけでなく既にいくつも存在はしているものです。
 古くはマクロス、新しくはシンフォギア、同じくソシャゲなら東京ドールズなども近しい作品になるでしょう。
 しかし、それらとエビストとの明確な違いというものもしっかり存在しています。
 そして、その違いが何かというと、それは"フィクションとしてのレベル"とでも言えるものではないでしょうか。
 それら先達が普通のアイドルもの――則ち現実に近しい世界観よりもフィクションのレベルを大きく上げることでより空想的な別世界を構築しているのに対して、エビストは普通のアイドルものとしての世界からのフィクションレベルは少しだけしか上げていないのです。
 より分かり易く言うならば、直接の肉弾戦ではなくあくまでライブパフォーマンスの対決結果として敵との命のやり取りが発生するようになっていることこそが最大の違い、となるでしょうか。
 普通のアイドルものから少しだけフィクションのレベルを上げたとは、要はそういうことなのです。
 そして、そういう戦闘系アイドルものだけでなく、より立ち位置は近しい普通のアイドルものとの差異をも語る上でも重要なポイントがあります。
 それは、ライブバトルが命のやり取りを生ずるようになったと言っても、主人公――ハニプラ達が負けたとしてもこちら側は別に死ぬわけではないというところにあります。
 つまり主人公達は完全なる殺し合い、デスゲームに放り込まれているわけではないし、それによって極限的な精神状態に追い込まれたりするわけでもありません。
 ただ、勝利することで相手の存在を消してしまうことに対する葛藤と向き合うだけなのです。
 となると、その場合一体何を精神的な支柱、目的として相手を叩き潰す決意をすることになるのか。
 そこでようやくこの作品が最初からテーマとして掲げてきた大義、『人間の音楽を守るため』というものが十全たる機能を発揮することとなったのです。
 そう、もし彼女達がそれぞれ個人的な事情を抱えて、あるいは個人的な目的を達成したい、それらのためだけにアイドル活動をしている普通のアイドルであったならば、親友とも呼べる存在を手にかけてでも勝利を得たいとは思わないでしょう。
 しかし、彼女達にはそんな個人的な動機よりも優先されうる、達成すべき使命が最初から存在していました。
 それこそが『音楽の未来を守る』ということなのです。
 これは持論ですが、今までのアイドルものでは物語の結論が最終的に『自分がどうしたいか』ということへ収束していく傾向があったように思います。
 最初は義務や責務から生じた、あるいは途中でそうなりかけたアイドルとしての活動が、様々な挫折や成長を経て最後には個人的な意志でこの活動をしたい、続けたいという答えを得る。
 そういう形こそが、アイドルものとして間違いのない、普遍の様式美であるように思われました。
 そのために、普通はユニットメンバーも大なり小なり自発的な意志と目的を持って、それぞれが寄り集まったような形になっていることが多かったりします。
 そして、自分自身がどうしたいかという問いかけの果てには、個人で抱える以上の大いなる目標などは別段達成されなくとも良いという答えに至る場合もあります。
 初期のエビストでも、ある程度はこういう形の物語を歩むことになるのだろうという推測が出来たりはしました。
 しかし、エビストはここまでゆっくりと積み上げてきた設定と展開によって、まさしくこの形式を正反対に引っ繰り返してしまったのです。
 まずそのための大きな違いとしては、彼女達はそれぞれが個人的な事情や目的を持って、その解決や達成のために自主的に寄り集まって出来たユニットではないというのがあります。
 勿論それぞれが個人的に抱えている問題はありますが、それ以上に大きな目的を達成するために才覚を見出され、選んで集められたユニット――言うなれば選ばれし者達となっています。
 そして、それ故に彼女達は自分達の戦いを勝手に投げ出すことが出来ないのです。
 『自分がどうしたいか』で動く以上に、『自分が何をするべきか』で彼女達は動かなければいけない。
 これこそが形式の逆転と表した理由であります。
 そして、これが単に奇を衒っただけの逆転とはなっていないのが、奇跡なのか何なのか、エビストの設定の妙が神懸かった仕事をしている部分なのです。
 これが例えば学校を廃校から救うとか、経営の傾いた事務所を建て直すとか、そういうレベルの目的であるのならば、そのために個人の情を捨てて滅私奉公するという選択をさせるだけでは単なる現行主流への安っぽいアンチテーゼでしかありません。
 しかし、ハニプラの目的は『音楽の未来を守ること』なのです。
 『人間の音楽を取り戻す』なのです。
 彼女達の双肩に人類の音楽史の未来が懸かっているわけなのです。
 これは流石に、それよりも自分が大事だとして簡単に投げ出すわけにはいかないでしょう。
 まさしく「お前が戦わないのは勝手だ、だがそうなった場合音楽の未来はどうなると思う?」という感じです。 

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                     流石に万丈も助けてくれません


 だからこそ、心を通わせ、共に歌い合った親友であっても、斬らねばならなかった。
 そして、斬るより他に道はなく、己の心をも引き裂きながら斬り伏せた。
 彼女達はまさしくアイドル活動を続けるのに辺り「何も殺さず生きられない」のです。
 そして、そのためにビギンズストーリーであるドラマCDでは彼女達が選んで集められた精鋭であることを描き、リーディングイベントとこれまでのメインストーリーでは綿密に彼女達だけが最後の人類側のレジスタンスであることを印象付けてきたのでしょう。
 誰もが盛りすぎだとか、冗談のように思っていた、あまりにも壮大過ぎて最初の頃は扱いきれてすらいなかった設定が、ここまで時間をかけて、丁寧に丁寧に話を積み重ねてきたことで、ようやく大きな意味のあるものとして結実した。
 そんな集大成であり、かつ新たな始まりが、この八章と九章なのです。
 そして、それ故に彼女達はもはや個人的な感情と目的達成の充足だけを終着点とすることは出来なくなってしまいました。
 どれだけ涙を流しても、自分の意志や願望に反する道を行くことになろうとも、辿り着くべきゴールは自分達に託された使命の達成だけなのです。
 止まることは許されません。
 そのために、彼女達はすでに友すら斬ってしまったのだから。
 このように、通常の様式ならば物語のゴールとして許されたところ、あるいはすべきだったところを、エビストではそう出来なくなってしまいました。
 そういう道を選んでしまったのです。
 それをしての、"普通からの逸脱"という話でもあったのでした。


 さて、それではここで一旦長くなってしまった話を簡単にまとめておきましょう。
 まずエビストの八、九章の何が良かったのか。そして何がこれまでの普通のアイドルものと違い、新しかったのか。
 簡単に箇条書きにしてみます。

 

・アイドル同士のパフォーマンスによる対決を、文字通りの命を賭けた真剣勝負にしてしまったこと
・それが単なる残虐趣味的な描写ではなく、あくまでこれまで描いてきた物語を大きく崩すことなく到達した結果だったこと
・それにより、普通のアイドルものの基礎は残しつつも、それとは明確に一線を画するシリアス路線の可能性を見せられたこと
・また、これまで単なる既存要素の置き換えとしか思われていなかった設定群が、この新たな物語展開に突入することで単なる置き換えではないちゃんとした意味と役割を持ったものとして活かされ始めたこと
・ここから、恐らくこれまでのアイドルものの様式美的結論とは全く別の着地点を目指さなければいけなくなったこと

 

 と、以上のようにまとめられるのではないでしょうか。
 そして、これらのことから得られる何に自分が一番感銘を受けたのかというと、それはやはり「煮詰まって全体的なマンネリ化に陥りかけていた二次元アイドル作品のストーリーに、新しい風が吹き込むかもしれないという希望」を抱けたことにあるでしょう。
 更にそれと同じくらいには、そういうことをまさか従来通りの普通の路線でやっていくものだとばかり思い込んでいたエビストがやってのけたという衝撃も大きかった。
 かつ、その上で欠かせないのが、目新しさを打ち出すことや衝撃を与えることだけに終始せず、しっかりとした時間と手間をかけて細やかな基礎を練り上げた上でこの展開に突入することが出来たという部分でもあります。
 これら全てが合わさることによって、まさしく理想的な既成概念からの逸脱がここに顕現することとなりました。
 そして、それに対して興奮と面白さとを覚え、これからへの希望と期待を抱くには十分過ぎるものが今回のこのストーリーには存在していたのです。

 

 

 

最後の二次元アイドルは本当に凄いのか?

 とまあ、上では大分盛りに盛った評価を与えてきてしまいましたが、その一方で実はこの先も本当にエビストがアイドルものとしての新しい道を切り開いていけるかどうかは未だ不透明なのではないかという思いも自分の中には存在していたりします。
 今回の「空乃かなで編」でその新しさへのスタートラインに立ち、一歩踏み出して見せたことは確かですが、そういう歩みを今後も続けていけるのかは正直なところ全く予想もつかないというのが本音です。
 ゲーム本編内では現在、『2_wEi(ツヴァイ)』という新たなType-Zが襲来するストーリーが展開され始めています。

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                       2_wEi(ツヴァイ)

 かなでと違い、今度はびっくりするほど明確に"敵"という感じです。
 そんな"人類の敵"と渡り合っていかなければならないアイドルものというのが一体どんな着地点へと向かっていくのか。
 その先に待つものが、普通のアイドルのままであったら当然得られたはずの美しさと輝きに満ちた優しい世界、それと果たして同等のものなのか。
 あるいはもはやそれは捨て去ってしまい、取り戻せないものなのか。
 自分にはもう見通すことは出来ません。
 普通のアイドルものだったら大体こうなるという予測を立てられるレールから、もはや完全に彼女達は外れきってしまっているのです。
 もしくは、そこからまた強引に、何事もなかったように普通のアイドルものとしての伝統的フォーマットへと戻ってくるということもあり得るかもしれません。
 『人類の音楽史を救う』という使命よりも、個人的なアイドル活動への動機を優先させていく道を選ぶ。そういう従来然とした作品へと戻ってくることも、もしかしたらまだ可能なのかもしれません。
 そういう形の8 beat Story♪というのも個人的には正直悪くはない、後述するような二次元アイドル界に根付いた基本スタイルから得られる優位性というのも戻ってくることでしょう。
 最初の頃の微妙なストーリーを思えば、それでも十分な形だとも考えられます。
 しかし、たとえそうするとしても、設定段階からのどうしても避け得ぬ道として、ユニットメンバーの一人が正体を隠した彼女らの敵たるアンドロイドの一人であるという事実が存在しています。
 他のメンバーの誰しもが自分のために動く道を選べたとしても、彼女だけは存在理由からして『未来を変える』ことが目的なので、普通のアイドルとして生きることは出来ないのです。
 そんな風に、たとえ個人的動機に従う道を選んだとしても、全てのメンバーのそれが達成されるにはやはり彼女達は戦いを続けなければいけない。その前にはだかる敵は打ち倒さなければならない。
 平和に歩いて行くことは先へ進むほどに許されなくなる、まさしく彼女達は本当に何も殺さず生きられない、戦う運命にあるアイドルなのです。

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                 哀傷は永遠に抱いて道連れ…


 このように、そんな時限爆弾的に埋め込まれた要素がそれぞれ発動しだした瞬間、もはや彼女達は普通のアイドル活動の道には戻れなくなっていく構造となるよう、恐ろしくもこの作品は造られていたのです。
 この先どうなるのかは先に言ったようにまだまだわかりませんが、少なくともこうして考察を重ねてみると、この物語は先へ進んでしまうと二度と後戻りは出来ない造りとなっているように思われます。
 この作品は、そしてアイドルとしての彼女達はやはり、これまでとは違う新しい道をたとえ望まぬとしても切り開いていかなければならないのでしょう。

 

 しかし、そうして普通のアイドルものから逸脱し、新しい方向性へと踏み出したことが必ずしも良いことに繋がるとは限らない面もあります。
 そう危惧される原因は、現実の方の8/pLanet!!の活動にあるのです。
 今までのアイドルものが大きく現実的なレベルから世界観をはみ出させなかったのは、その方が作品世界を飛び出した現実でイベントやライブを行うに辺り作中の雰囲気を再現するのが容易であるという利点があったからでしょう。
 また、キャストとキャラクターが強く結びつくタイプの作品ならば、両者の世界観に大きな差がない方が空想と現実を重ね合わせて見る時に齟齬が生まれにくいし、互いが互いを押し上げる相乗効果も期待出来ました。
 エビストもこれまではそういった風に、ゲームの中のハニプラを現実でもキャストが再現してイベントやライブを行うことで、ゲームの中のアイドルに現実でも会えるというコンセプトの活動を行ってきていました。
 しかし、今回ゲームの方のシナリオがこれまでの従来的なアイドル路線から離れ始めたことで、その重ね合わせは大分難しくなってきたように感じられます。
 それまで期待されていた、キャラクター達が作品の中で普通にアイドルとしての成功を夢見ることで、現実でのキャスト達の目指すアイドルとしての、コンテンツとしての成功が向こうのそれと重なり、キャラクターとキャストの二人三脚感が高まるという手法は恐らく取れなくなってしまうことと思われます。
 何故なら作品の中の8/pLanet!!が夢見ることは普通のアイドルとしての成功ではなくアンドロイドとの戦いに勝利し人間の音楽を守ることであるし、現実の8/pLanet!!も別に自分達のライブを通して人類を脅かす敵と戦っているわけではないからです。
 いずれにせよ、そういう従来的な形式から得られる強さであった二次元と三次元のリンクを、ストーリー的に新しい道へ踏み出すことで一旦断ち切ってしまうことになるのは避けられないことでしょう。
 この先現実における8/pLanet!!のライブがコンテンツにおいてどのような意味を持ち、ゲーム本編、あるいはキャラクターの方の8/pLanet!!達にどのような相乗効果や影響を与えられるのかは今のところ全く予想もつかない、こちらも同時に未知の領域へと足を踏み入れてしまったように思えます。

 

 そして、この作品がもしかしたら最後の二次元アイドルになるかもしれないと思った理由も、その逸脱の中にこそあったりします。
 もしもの話ですが、このパフォーマンスバトルに命のやり取りを持ち込んだ形式が大成功してしまったならば、今後似たような、あるいはそれ以上の過激路線に走る後続が出てくるかもしれない。
 そうなってしまった時には、彼女達は新しさを作り上げたと同時に、旧来然とした二次元アイドルの形態にトドメを刺してしまう存在となるでしょう。
 まさしく今の二次元アイドルの最後を飾るのが8 beat Story♪となってしまうのか。それともやはりこの新しさは受け入れられないまま徒花として散り、これまでの世界が生き残るのか。
 そんな瀬戸際にまで、今回この作品は踏み込んでしまった、いや今後踏み込んでいくのではないか。
 個人的にはそんなことすら考えられてしまう程に、この逸脱は衝撃的だったと思うのです。

 

 しかし、それでも結局自分から確信を持って言えて、また言いたいことは、それらの新しく、未知の領域へと踏み出したことから来る先の読めなさや不安、それをどう克服していくのか、どういう形へ変化していくのかと気を揉む思いですら、全て丸ごと今は『とても楽しい』と感じられる状況だということなのです。
 楽しい。
 そう、エビストは間違いなく今最高に楽しく、面白いことになっています。
 メインストーリーにおいては、約二年間ものんびりと蒔いては気長に育ててきた種がようやく芽吹き始めて、豊潤な実りの季節を迎えつつあります。
 そこから見える新しい二次元アイドルの物語のカタチ。
 そしてそんな物語における二次元と三次元の新たなリンクを構築出来るのかどうか。
 全てのことが未知数で、先の読めない面白さに溢れている。
 そんなことを、これまで長々と自分は解説してきたわけなのです。
 だからこそ、これを読んできたことで少しでも興味を惹かれたならば、是非ともゲームをプレイしてこの物語の中に飛び込んできて欲しい。
 本当に面白い。特に八、九章の空乃かなで編はガチで心を打たれるし、上に書いてきたように新しいアイドルものとしての可能性をそこに見出すことの出来る未知のシナリオとなっています。
 そしてそれだけではなく、再編された一、二章はこれまでよりも格段にわかりやすくこの世界へ入ってこれるようになっている親切設計だし、初期の傑作である杏梨編なども手放しでオススメ出来る内容です。
 余裕が出てきたらビギンズストーリーであるところのドラマCDなどに手をつけてみるのもいいでしょう。
 もちろんコミカライズ版からの入門もわかりやすく、美しい作画も合わさって非常に面白いのでオススメルートの一つです。
 とにかくもう、今ようやくすっげえ面白いんです、8 beat Story♪の物語は。
 だからこそ、その続きを途絶えさせずにその行く末を見守るためにも、この作品が切り開いていくかも知れない新しい景色を見届けるためにも、より多くの人にこの作品を応援してもらいたい。
 そして、今ならきっとそれは同情や憐れみではなく、純粋なる作品としての面白さや魅力で惹きつけられるものだと思えるのです。
 だから、どうでしょうか、今こそ8 beat Story♪の物語を読み始めましょう。

8 beat Story♪【公式サイト】 – スマホ音楽ゲーム「8 beat Story♪」の公式サイトです。音の杜学園の教師となって、女の子たちと音楽バトルを勝ち抜こう!


 そして一緒に語ろう。
 いや本当にこのストーリーの面白さについて語り合おう。
 そして二次創作しよう?
 いやマジで、プレイ人口少ないんだよこんな面白いのに。
 熱く一晩中くらい語り合いんだよ!
 ライブにも行こうよ! 来月なんだけどまだまだチケット買えるからさぁ!

eplus.jp


 この人類の音楽史のために戦い続けなければいけなくなったアイドルのライブが現実では一体どんな形になるのかとかメチャクチャ気になるじゃん!?
 一緒にそれを見届けようよ! 待ってるから! 待ってるからさ!
 とにかくまずもうゲームから始めような! 推しメン決めたら教え合おうよ!

 


 とまあ、こんな風に早口で捲し立てたくなってしまうほどに今の8 beat Story♪は純粋に面白いんです。
 結局今回一番言いたいことはそれですし、だからこそやっぱり、語り合いたい。
 そんな日をすぐにでも迎えることが出来るように、こうして殆ど二年が経った今でも繰り返し伝え続けさせていただきたい。
 8 beat Story♪はやっぱり凄い、と。

 

8/pLanet!!の3rdライブが衝撃的過ぎて病んだオタクの懺悔録

 

注意:ドロドロに煮詰まったオタクポエムです。

 

 ということで、先日の……といっても一ヶ月近く前にはなってしまいましたが。

 8 beat Story♪(以下エビスト)、そして 8/pLanet!!(以下ハニプラ) の 3rdライブ(三回目のライブ) への感情を今からここへ書き殴らせていただきたい。
 とにかく、もはや刺身を超えた生も生の激情をこの文章に叩きつけてやりたいのですが。
 そう、感想なんかじゃない、感情なのです。
 細かい感想なんかは他の、自分よりも素敵にまとめてくれている方々がたくさんおられますので、お任せいたします。

(オススメの:8 beat story♪ 8/pLanet 1st Anniversary 3rd Live 『行くぜBLITZ! 青春の想いを込めて!』 感想 - nozzey19の日記) 

 所詮自分が一番得手としているのは感情のぶちまけであり、そしてそれしか出来ないからなのです。
 だから自分の出来ることをするしかない、そして今回は出来得る限りの最速で。
 何故そんなことをする必要があるのかというと、この今の鮮烈な自分の気持ちが色褪せてぼやけてしまう前にというのが理由の一つではありますが、それ以上に、間に合わせたいからというのがあるのです。
 ハニプラの、次の4thライブの先行受付に間に合わせてやりたいからなのです。
 それは果たして一体誰のためか……まずはエビストのためでもあり、ハニプラのためでもあります。
 そして、その先行の存在を知らぬままこれを読んでいる誰かのために。
 そして、何よりも自分の後悔のためにであるのです。

 

 だからまずこれを読む前に知って欲しい。

 今から自分が好き勝手に己の醜い情動を吐露する対象であるところの作品と、ユニットの、次のライブはもはや決定していて、今でもまだまだ絶賛チケット先行予約受付中なのです。

(ライブの概要です:https://t.co/637cMoMway)


 だから、これをダラダラと読んでいる時間がなかったら、まずはすぐにでも申し込みを一考していただきたい。
 そしてもし、まだ時間があるのならば、このどうしようもない男が今からここでのたうち回る様を存分に眺めてみた上で、改めてライブへの参加を考慮してみていただきたい。
 その上で更に今やってる先行に間に合わずとも、あらゆる申し込みをこの先出来る限り宣伝させていただくので、そこからライブへの参加に、あるいは作品そのもの、この作品の楽曲、それらに興味を持ってみていただきたいのです。(何かしら情報が得たいと思われた方は、下の公式ツイッターからどうぞ。)

twitter.com


 そうしていただけることを切に願いながら、さて今から3rdライブとエビスト、そしてハニプラへの自分の悔恨をしたためていきます。
 そう悔恨。
 まさしく自分ははち切れそうな程の後悔の念と共に、あのライブを思い返していくのです。

 

 

 

 

とりあえずライブの総括


 けれどまあ、感情の前に最低限、今回のライブがどのようなものだったのか、簡略にでもまとめておく方がいいでしょう。
 しかし、言える言葉は正直少ないのです。
 いいライブだった、そして凄いライブだった。本当に。
 心の底からそう思える、そんなシンプルな言葉に全ての想いを乗せるしかないような。
 本当は、「今回のライブはこことかここがこんな感じでこうだから良くて〜」、というのを事細かに書くことが出来ればよいのだろうけども、自分の腕ではどうにもそれを伝えきれそうにもない。
 今回この駄文を書いている目的はライブに来られなかった、あるいはまだこの存在を知らない方に、この作品とそのライブに興味を持ってもらえるほどの何かを伝えたいというそれではある。
 故に、来てもいないライブについて仔細に書かれたところで何も伝わらないとも思うので、そこは割愛させていただきたい。
 そして、以前の記事でも書いたのですが、本当に凄いライブだったなら自分が何を書かずとも自然に拡がっていくものなのです。
 しかし、今回はそこの主張を敢えて折り曲げてこれを書いているわけではあるのですが、その理由は事細かに後述させていただくので今は流しておいていただきたい。
 とにかく凄いライブが先日あった。
 そこから話が始まるのだと思っていただきたい。


 とはいえ、どう凄かったかくらいはやはり自分の言葉で最小限伝えなければならないだろう。
 まあ凄かったと連呼するだけで伝わるならば、自分だってこんなに苦労して言葉を捻り出していないのですが。
 そう、では果たして先日のライブがどう凄かったのか……。
 簡潔に言うならば、今こうして自分が何の不安も、言い訳も、逃げ道もなく、万人に向けてこれは凄いと、言ってしまえるくらいだと、これでは伝わらないだろうか。
 これまで自分はエビストとハニプラを人に勧めるに辺り、自分では良いものだと信じつつも、「合う合わないの個人差はあるけれども」という前置き付きで行ってきた。
 ライブにしてもそうである。
 エビストという複合コンテンツの中でライブは特に先鋭的なものというか、正直特段に出来のいい分野ではあった。
 しかし、それでもなお「全ての人に」とは宣言しづらかったところもあった。
 同じような前回の紹介記事においても、「可能性を感じる」、「凄いことになるかもしれない」、「保証は出来んが賭けてみないか」と、そういう語り口である。

 

m-kichi.hatenablog.com

(※:以前の記事。クソ長いのでその内興味が向いたら読んでください) 


 その記事の中で詳述した前回のライブにしてもそうであった。
 大いに楽しんだ。そして良いものを見た。凄いとも感じた。
 だが、エビストもハニプラも全く知らない人を誘って観てもらっても、そう感じてもらえるのか?
 そこには、やはりまだ幾ばくかの不安を感じてしまっていた。
 それは他人の感性ばかりにではない。
 自分の見る目も贔屓的なものに寄りすぎているのではないかという恐れもあった。
 前回の2ndライブ――告解しよう、それについてあれだけ美辞麗句を並べ立てておきながらも、自分は正直まだこの勝負にオールインすることが怖かったのだ。
 いや、自分だけならまだいい。
 そこに他人も乗ってくれと大っぴらに書いたあの記事が、本当はとても怖かった。

 もしも彼女達がこれ以上になれなかったら?

 この記事を読んで3rdライブを見に来てくれた、興味を持ってくれた人に対して自分は責任を取れるのか?

 そもそも自分自身が自分の気持ちに対してどう責任を取らせるのか?

 そんなみみっちいことを思っては、その時が近づくにつれて不安はいや増していくばかりだったのだ。
 だけど、3rdライブを終えて今はもう違う。
 不安もない。恐怖もない。
 エビストというコンテンツ、ハニプラというアイドルユニット、そしてそのライブの素晴らしさに自分と肉親どころか入院している親友の魂を賭けることも、他人に熱く勧めることにも、今現在些かの躊躇も存在しない。
 今回のライブが、そう思わせてくれた。
 今回の3rdライブが、自分の精神を全くそう作り変えてしまう程に凄まじかったのだ。
 このライブを「凄まじい」と評するそのクオリティとは、ない頭を捻って何とか言葉にすると、そういうレベルだったのである。
 伝わって欲しい。切に願う。
 『ジャックポット出るかもしれないから、一緒に賭けてくれないか?』なんてものではない。
 もうジャックポットは完全に、完膚なきまでに発生してしまっているのである。
 むしろそれを知らずに生きているのを正気か!?と問いたいレベルである。
 自分は2ndライブを「もしかするかも」ではなく、既に「もしかしている」段階だと表現した。
 そして、3rdライブでは「凄いことが起きるかもしれない」と。
 翻って、今、どうだろうか?
 凄いことが起きるかも?
 馬鹿野郎、起きていたのだ。
 もう凄いことは既に起きている段階なのである。
 これまでのハニプラは、勘のいい人間ならその可能性に気づくかもしれないという段階でもあった。
 しかし、この3rdライブを経てはもうそんな悠長な評価はしていられない。
 どれだけ勘の悪い人間だろうと、これは気づく。
 これを見てしまったら、気づいてしまう。
 エビストの、ハニプラのライブは凄いということに。
 「凄いライブだったよ」、とはそういうことをだ、長々喋るのにももどかしく、そこまで縮めるしかないそんな一言なのだ。
 ……また話がとっ散らかってしまった。
 反省して、最後にもうちょっとだけまともな風にまとめてみよう。
 要するに今回のライブによって、エビストとハニプラは戦うステージの段階を引き上げることが出来たと言えるのではないだろうか。
 これまでの弱小、マイナー、駆け出しアイドルのステージではない。
 一気に最前線まで辿り着いた。
 そう言っていいと思う。そこまで言ってしまってもいいと思える。
 しかし、それでも、追いつくべき背中がようやく少しだけ見えた。
 突き立てる牙が一本だけ研げた。
 最前線における立ち位置の評価はまだそんなところかもしれない。
 しかし、戦える。
 この位置でだって殴り合える。それも確かである。
 そして、このままここで終わるはずもないだろう。
 抜けられないかもしれないと思っていた壁を、今、見事に一枚蹴り破ってみせたエビストとハニプラが、この先のそれを越えられないことはない。
 そう信じる。信じたい。
 当たり前だ、そのはずだ。
 それほどの実力をハニプラは今回示してみせた。
 見せてくれたのだ。
 そういうライブだった。
 3rdライブの評価は、そこで強引にまとまったことにしよう。

 

 

本番のオタクポエム


 さて、一応ライブについて簡潔にまとめ終えて、それではここからは何が始まるのか?
 決まっています。
 最初に予告していた通り、そんなライブに対する自分の感情をぶち撒けていくのです。
 正直、到底読めたものではないと思う。
 それでも書かせていただきたい。
 そして、出来うることならば読んでいただきたい。
 自分のためにそうしてもらいたいわけじゃないのです。
 先のライブに行けなかった、あるいはその存在すら知らなかった人達のために、その人達が自分と同じ過ちを、愚行を、繰り返さぬために、そうしていただきたいのです。
 そのために、自分で自分の腹を今からかっ捌いてその臓腑を衆目に曝け出すのである。
 だから、これまでの文章を読んで少しでもエビストとハニプラに興味を持っていただけた人は、どうぞこの先の病んだオタクの妄言にも足を踏み入れ、その上で更に次のライブのチケットを申し込んでいただきたい。
 そうしていただけるように、今からこちらも全身全霊を尽くす所存であります。

 


 それでは、先に延々と書いてきたような素晴らしいライブを目撃させてもらったことで、自分の感情はどうなったのだろうかということについて語らせていただきたい。
 とりあえず、最初は嬉しい、良かった、幸せ等の正の感情が自分を支配していた。
 それは言うまでもない、当たり前のことである。そんな感情をもらえるようなライブだったのだから。
 しかし、どうも全部が全部そうでもなかった。
 何か言い表しようのない、燻りのようなものが自分の中にあるようにも感じられた。
 そしてライブが終わって一日、二日と経つ内に、だ。
 その内容をじっくりと咀嚼して自分の中に落とし込めるようになる内に、その燻りの方がどんどん大きくなっていくことに気づいた。
 一体この燻りは何なのか?
 別に、このライブに対する失意でも絶望でもない。
 そんなものが一切挟まる余地のない素敵なライブだったはずだ。
 ならば一体……?
 これは一度、その感情と向き合って詳細に言語化するべきなのかもしれない。
 そう思い、軽い気持ちで自分の中のその感情に値する言葉を探してみると、思ったよりもすんなりとそれが出てきた。
 "それ"……つまるところは「悔しい」、という言葉であった。
 ああ、そうか。
 自分はあのライブを見て悔しかったんだなぁ、と、笑ってしまうほどにスムーズに納得が訪れた。
 うん、悔しい。
 ハニプラ3rdライブに対する様々な感情なんですが、遂に"悔しい"へと辿り着いてしまったことをここに御報告させていただきます。

 

 

 だってさ、だって悔しくないですか?
 自分はこんなにエビストとハニプラが大好きなのに、多分それを作ってる側の人達の方が何倍もエビストとハニプラのこと大好きなんですよ。
 それを目の当たりにしてしまったんですよ、あのライブで。
 ハニプラファンとしてのガチさではもう、自分達は完全に制作側に勝てそうにない。
 こんなに悔しいことがあるだろうか?
 だって、自分には多分無理だもの。
 こう、ちょっと強い言葉を使いますが、たかだか二十歳前後の殆どがまだ何者でもない夢見るだけの小娘達がですよ。
 本気で将来的に光り輝くアイドルになると信じて、そのために死力を尽くして、ここまでの状況を用意するなんてこと出来ないですよ。
 2ndライブまでは、まだそれでもそれはギリギリ商業とのせめぎ合いの上にある努力だったんですよ。
 でも、今回の3rdはもう違うじゃないですか。
 いくらなんでもこれはもう、採算の域を超えてしまってる。
 そう強く感じてしまった。
 全部のことが「うちの子達を光り輝くアイドルにしてえ!! あのアイドルを作りてえ!!」だけで構成されていたと言って過言でないライブだったんですよ。
 それはもう、もはや愛としかいいようがないじゃないですか。
 とてつもなくでっけえ愛ですよ。
 ことハニプラをアイドルとして愛することにかけては、自分はもう無理です。
 このライブを作った人達には勝てねえ!!
 勝てねえんだよ!!!


 そして、ですよ……何よりそれをこの時代、今この時、このご時世にやり切ったのが何よりも素晴らしいし、胸を打たれたし、尊敬するし、悔しいんですよ。
 この先何度か滅茶苦茶ボカした言い方するのをちょっと、かなり察していただきたいんですけども、このジャンル、この人数、このコンセプトでアレを意識してないなんて絶対ありえないじゃないですか。
 「あんな風になりてえ! 俺達もあれやりてえ!」って思いは、正直あちこちから滲み出てたんですよ最初から。
 でも、それは無理でしょ。いくらなんでも無茶にも程があると思っていた。
 告解させて欲しい。
 実のところ自分は最初、正直このプロジェクトの”あの憧れになりたい”というキラキラした願いだけは評価していたし、一番好ましいところだと思っていたけれども、本当にあの輝きになれるなんてことは信じてはいなかった。
 その姿勢が根底にあるだけでも、そのための未熟な努力が見られるだけで良かった。それだけで救われたような心地だったんです。
 クソ野郎ですよ。応援はしていても、本当は期待なんてしちゃいなかった。
 「将来アイドルになる!」と無邪気に夢を語る子供に、「うんうん、なれるといいね」とは言ってやれても、「君ならきっとなれる」とは言えなかった。
 だって、それもそうでしょう?
 自分はアレを頭からケツまでそれこそ全部直接、出来る限界まで間近で見てきたんです。あの奇跡の塊を。
 どれだけ努力をしても、金を積んでも、意図的にアレになることは絶対出来ない。
 その上その直接的後継プロジェクトすら動いてるのにですよ。
 目指すことはいいんです。でもなれる、それは信じられない。
 そしてそれは自分だけじゃない、他の誰しもがそうだったんじゃないかなと思います。
 正直、誰にも本気で期待はされていなかったでしょう。
 でも、それでもエビストとハニプラは諦めなかった、多分諦めなかったんです。
 諦めずに、誰に期待されていなくても、本当に届くかどうかわからなくても、プロジェクトが始まってから一年半ずっとひたすら努力を続けてきた。
 あの輝きに自分達だってなれるんだと信じきって、ひたすら走ってきた。
 正直僕はそれだけでも十分だろうと思っていたんです。その姿だけでも十分輝いているよ、と。
 輝きに貴賎はない、どんな大きさでもオンリーワンであればいいんだと言い続けてきた。
 だけど、エビストもハニプラも多分耳を貸さなかった。
 そうじゃない、そういう通り一遍の結論では満足出来ねえ、私は絶対あれになるんだ、と。
 狂気ですよ、本当に、もはや狂気です。
 そしてその狂気とも言える努力と、理想への渇望の果てに、本当にあの奇跡の一端へ手が届いてしまった。
 それが、その結果がきっと今回のライブだったんです。
 まだまだ遠い背中だけど、少なくともあの時確かに少しだけハニプラは並んでいた。そう思わされてしまった。
 踊りも、歌も、ステージ演出も、衣装も、音響も、熱狂も、輝きも、確実に重なっていたんです。自分がこの場所をよく知っている所だと感じてしまう程に。
 ハニプラは諦めなかった。そしてエビストに関わる誰もが諦めなかった。
 諦めないで信じきったからこそ、あの途方もない存在の最初の頃の姿へ、ようやく辿り着くことが出来た。
 何もなかった場所から、誰からも期待されていなかった立場から、ひたむきに進み続けて、遂に誇れるものを勝ち取り、このステージを見たあらゆる人達からの期待をも勝ち得る程にまで成った。
 今回の3rdライブはそういうライブだったと、感情のままに定義するのならそう出来るものだったと思います。

 

 

 そしてですね、グルグルとまた話が戻ってきてしまうのですが、そんな光景を見て、自分は色々な感情を得たわけです。
 でも、やっぱりどうしても最後は「悔しい」という結論に行き着いてしまうんですよ。
 悔しい……悔しいですよね……。
 だって、自分はあの奇跡の最後の到達点を見てしまった時に、全部を諦めてしまったんです。
 あの輝きに身を持ち崩しそうになるほど憧れたにも関わらず、同時に自分には絶対辿り着けないものだとして諦めてしまった。
 それどころかきっと、自分以外の全ても諦めてしまっていたんです。
 あの光景には、彼女達以外は絶対に辿り着けないものだとして、他の何者かがもう一度辿り着けるとは期待しなくなってしまった。
 ハニプラにしたってそうです、例外じゃない。何度目かになりますが言わせてください。
 自分は彼女達が"目指す"ことは美しいと思っていた。自分は目指すことすら諦めたわけですから。
 しかし目指して、歩き続けて、一段一段登って、本当にその端の端にでも手が届くだなんて信じてはいなかった。いなかったんですよ。
 だから、本当にそうしてしまったその光景を見たことからも、悔しいという感情を得たんだと思います。
 辿り着けないと思っていた場所に、少しでも辿り着いてしまった存在に対する悔しさ。
 その可能性を信じてひたむきに努力してきたハニプラ達と、それを支えて作り上げてきた人達に対する悔しさ。
 自分が本当に思いもよらなかったことを、信じていなかった、期待していなかったことを、やり遂げられてしまったということに対する悔しさ。
 言葉にしてみると褒められたもんじゃありません。
 薄汚くて、暗く澱んでいて、醜いにも程がある、嫉妬に近い悔しさをこのライブを見て覚えたことは、恐らく事実です。
 でもね、実はそれよりもなによりも……なによりも悔しかったのは自分自身に対して悔しかったんですよ。
 そうでしょう? そうじゃないですか?
 わかってもらえないですか?
 僕は、僕はね、あの時強烈に憧れながらも同時に諦めてしまった自分という存在を、このライブを見たことできっと一番悔しく思ったんです。
 あの光景を見た時、僕は諦めるべきじゃなかった。
 本当に憧れたなら、無謀でも、辿り着ける保証なんてなくても、目指さなければいけなかったんです。
チンチンがついてるくらいなんですか、アラサーのオッサンだからなんですか、形振り構わずあの輝きを目指してみれば、少なくとも今こんな悔しさを味わうことはなかったんじゃないかと思います。

 

m-kichi.hatenablog.com

 (※:チンチンのついたオッサンの諦めが赤裸々に綴られたポエム。やたら長いので、その内興味が向いたらどうぞ。)


 そう、自分はアレになりたかった。でも、きっとそれ以上に"コレ"になりたかったんでしょう。
 憧れ、なれる保証などなくとも、恐れを知らず、無謀に、ただひたむきにあの憧れを目指し――。
 そしてここです、ここが大事なんですが、遂には全ての諦めと絶望を踏破し、少しとはいえ届かせてしまうような存在になりたかった。
 なりたかったし、その存在を作れるならば作りたかった。
 託して、信じたかった。
 手助けをしてやりたかった。
 でも、今回のライブを見て気づいたことは、結局自分はもちろんハニプラメンバー当人達ほどには、そして何よりハニプラを作り上げた制作陣の全ての方々ほどには期待も出来ず、信じきれもせず、中途半端な状態のまま、何だったら何も信じないままに彼女達を追っていたんだなぁということなんですよ。
 それが悔しい。本当に悔しい。何より悔しい。
 彼女達を信じられなかった、期待もしていなかった。そんな状態で今回のライブを見て、ただただ圧倒されてしまった。
 そんな自分自身こそが一番悔しいんです。
 だからね、だからこそ、僕は今これを書いているんですよ。
 こうして、彼女達と、それを支える人達があの日、あのステージでどれだけ凄いことをやり遂げたのかということを少しでもいいから伝えたい。
 そのために、今こうして自分の底からドロドロに濁って澱んだヘドロのような感情を引っ張り出しているんですよ。
 そうしてね、そうすることで、僕はほんの少しでもいい、彼女達とそれを作る人達の助けになりたい。
 そりゃ、今までだってそうしてはいましたよ。
 今まで三回もそうしたいという気持ちでブログを書いてはきましたよ。
 でもね、その三回とも、僕は正直心の底から信じ切って書いてはいなかった。
 だから、だからこそ今回書こうと思ったんです。
 もう僕自身が何を書けるようなことなんて微塵もないほどに、ハニプラは凄いものを見せつけてくれました。
 でも、それでも更にそこを曲げて書かせていただきたい
 何でか? それはね、それは、僕が、自分のこの悔しいと思う気持ちがそうさせるんですよ。
 僕は、今度こそ彼女達とそれを作り上げるために頑張る人達をまるごと信じきった何かを書きたい。
 本当に、心の底から、このプロジェクトを少しでも、1ミリだけでもいい、手助け出来る何かをしたいんです。
 そして、そうしてね、この悔しさを晴らしたいんですよ、自分は。
 彼女達がいずれきっと成るであろう輝かしいアイドルになった時に、この悔しさを抱くだけで終わりたくはないじゃないですか。
 僕だって、自分だって、彼女達を作り上げた人達と少しは、本当に少しだけでもいい、同じ気持ちで彼女達の輝きを見届けたい。
 信じきれなかった、期待していなかったことに対する悔しさだけで終わりたくない。
 あの輝きになるために、本当に微力ながらでも、自分も力を尽くしたんだという思いで、いつかのステージに立つ彼女達に向き合いたい。
 そのために、今これを書いているんです。
 そしてこれは、この感情は恐らく自分だけのものにしていいもんじゃない。
 彼女達を今なお知らずにいる多くの人達に呼びかけるべきものでもあると思うんです。
 だって、いいんですか?
 このままでいいんですか?
 自分のような後悔を数年後に、高々長い人生における休日の一日に行われるライブを知らずに逃しただけで、一生抱えていく人生になってもいいんですか?
 そして何より、何よりですよ。
 このまま彼らだけに大きい顔させてていいんですか?
 彼女達をこういう場所に辿り着けるまでに作り上げた彼らに、その人達だけに、その快楽と達成感を独占させたままで本当にいいんですか?
 僕は、実は、これが一番主張したかったんです。
 自分は嫌ですよ。
 僕は、僕が憧れてそれでも諦めた輝きに少しでも手が届いた存在を作り上げた、その快感を、達成感を、解放を、彼らだけに独り占めされるのが何より身悶える程に悔しいと感じる。
 だから、だから自分にも彼女達を助けさせて欲しい。
 今までなんて比じゃないくらい、全てを投げ捨てて、あの、あの伝説の始まりを目撃した後のような熱狂で、自分の持ちうるチップをオールインさせて欲しい。
 そうしたところで本当に望んだ幸福が得られるのかなんて、そんな小難しいことを考えている暇はない、ないんですよ。
 あのステージを見てください。あのステージを見てみてくださいよ。
 あれを前にして、そしてあれに重なる過去の何かを思い返してみて、心が騒がないなんてことがあるはずがない。
 まさしく何の保証もない、何もない、誰も見ていない、誰も期待していない、それでも諦めずに、立ち塞がるあらゆるものを踏破して彼女達はあそこに辿り着いてみせた。
 何かを受け継いだわけじゃない、血縁も、遺志も、期待も、何もかも関係のないところから、ただ残された輝きの一欠片だけを頼りに、それでもあの奇跡の始まりに彼女達は指をかけたんです。
 だったら、騒がないはずがない。心が躍らないはずがない。夢を見ないわけがない。
 そして、後悔しないわけがない。
 少なくとも僕はそうだった。
 いつもそうですよ。前のその時だってそうだった。
 自分は今回もまた、これを見るまで本気じゃなかったことを後悔してしまった。
 でも、今回ばかりはその後悔のまま終わるわけにはいきません。
 取り戻します、将来において自分はこの後悔を少しでも取り戻したい。
 そのための、この駄文です。
 そのための、この呼びかけなんですよ。
 だから次の、4thライブに来てください。来てみてくださいよ。
 僕は自分のこの醜い感情の赤裸々なぶち撒けで、少しでも彼女達とそれを作り上げた人達を世間に知らしめて、興味を惹かせていただきたい。
 そこには様々書き切れない思惑はありますが、何より今まで書き殴ってきた自分の後悔を少しでも解消するために。
 そして、まだ顔も名も知らぬ多くの誰かが悔しいと、自分のような感情を抱かぬために。
 だって、そうじゃないですか?
 悔しいと感じませんか?
 こんなに、こんな、輝かしいアイドルグループを創り上げる楽しみを、快楽を、制作陣だけに味あわせていていいんですか?
 そんなもん、自分だって味わいたいですよ。
 おこぼれに預かりたいですよ。
 こんなもんじゃない、もっともっとデカいステージで、でっけえ舞台で、でっけえ輝きで。
 彼女達があの輝きに追いつき、重なり、もしかしたならば追い越すかもしれない可能性を育てる、その感覚のおこぼれに、端っこに、預かりてえって切実に願ってしまわずにいられない。
 あなた達はそうじゃないんですか?
 そういうことが出来なかったことを後悔しているんじゃないですか?
 自分は、していますよ。
 あれを最初から最後まで追ってもなお、こんな新鮮な後悔を抱くほどに呪われきっている。
 だから、これを書いている。
 そして、あなた達を勧誘しているんです。
 来ませんか、次のライブ。
 来て、この可能性を見て、そこからでも遅くはない、一緒に彼女達の手助けになっちゃあくれませんか。
 今まで僕は、彼女達とその可能性を最後まで信じ切れなかった気持ちから、損はさせないとは言い切れませんでした。
 でも、今なら言えます。胸を張って言えます。
 ここには、この可能性には、損など一欠片も存在しない。
 ライブを見に来てください。
 あなたのその懐疑ごと、全てを後悔と満足に塗り替える自信がある。
 ポテンシャルがある。期待がある。確信がある。可能性がある。
 だから、ここなんです。
 まだ間に合う。きっとまだ間に合う。
 少しでもあなた自身の後悔を減らすために、そして僕自身の後悔の気持ちを減らすためにも。
 来ちゃあくれませんか、次の4thライブに。
 このライブを見に来ちゃあくれませんか。

 

8 beat Story♪ 8/pLanet!!(エイトビートストーリーハニープラネット)


 そうして、いつか笑って審判の時を迎えませんか。
 彼女達が銀河の果てに辿り着いた時に、ほんの少し、何の記録にも残らぬ単なる参加だったとしても、そこに到るまでの手助けになったと。
 胸を張って笑える立場になりたいとは思いませんか?

  

 

 ……まあ、まあね、それでも結局、自分は以前の時にもそうはなれたのだろうかという懐疑と、そして今回にもそうなれるだろうかという不安を持ち合わせてはいるわけですけども。
 だとしても、このステージを見て、何もしないわけにはいかない。
 そういう気持ちにさせられました。
 2ndの時のような義務感じゃない、今度は悔しさで。
 結局まあシンプルには、そんな感情を得るほどの、力のあるステージを、ライブを見てみたくはないか?という話なんですよ。
 僕自身のくだらない感情の吐露なんて最終的にはどうでもいいんですが、ここまでのあれそれで少しでも心の中の何かを動かされたならば。
 まだ全然間に合いますから、次のライブの会場はまだ埋まってはいません。
 そして、次は今回なんて目じゃない程に、もっと、更に凄くなるであろう彼女達を見届けませんか?
 えっ、これ以上凄くなったら自分どうなるの?って感じではありますが、いやいやまだまだ、死ぬほどには到ってませんし?
 だから一緒に次こそ、死ぬほどの衝撃に襲われましょうよ。
 保証しますよ、今回は完全なる自信を持って保証します。
 自分と一緒にこの世から他界しましょう、次の4thで。
 まあ別に死ななくても、もし今回僕がこれを書いているほどの衝撃を受けていただけたなら、それを他にも伝えてください。それでいい。それだけでいいです。
 それで、そうして、みんなでこの後悔を埋めていきましょう。
 銀河の果てまで届くであろうアイドルの存在を知らず、信じず、期待していなかったという、この後悔を。

 

今からでも8/pLanet!!を追わないと君達は後悔することになるぞ!と言いつつも今はまだ独り占めしていたい

 

 さて、今回もどうかと思うこのタイトルに対して、何から語ったものだろうか。

 当初は8 beat Story♪ことエビスト*1、その作品内ユニットである8/pLanet!!(ハニープラネット)ことハニプラ*2の、先日……という程近くもないな、ダラダラとこれを書いている内にもう一ヶ月以上も経ってしまったが、その時に開催された2ndライブがとても良かったのでそれに対するホットで個人的な感想を自分のためにまとめようと思っていた。

 今こうしてキーボードをカタカタしているのもそのためなのだが、しかし……どうもライブの熱が落ち着いてきたり、最近のエビストとハニプラのコンテンツ的な動きを見ていると、果たしてそれだけでいいのだろうかとも思えてきた。

 "2ndライブ良かったよ"、程度のことで終わらせていいのだろうか?

 と、思えてきたのだ。

 何故ならば、今自分の胸には微かではあるがハッキリとした確信が降りてこようとしている。

 「ハニプラ、もしかして凄いことになるんじゃない?」という確信である。

 しかし、それがまだ全幅の信頼へ至っていないこともまた事実ではある。

 (凄いことになるかも……)と、(いや、しかし本当にそこまで……?)という狭間で、自分のセンサーは今揺れに揺らいでいる状態であるのだ。

 だが。

 だからこそ、いままでに感じたことのない面白さをエビストとハニプラに対して抱いていたりもする。

 更に重ねてだからこそ、今こうして2ndライブの感想や、そこから得られる新たな気づきや知見を含めた、改めて総合的なエビストとハニプラの紹介記事(――のような何か)を書くことが出来る気がするのだ。

 これが、「いや、これはもう……確実に凄いことになる……!!」という確信にまで至ってしまうと、別に自分なんかがどうこうしなくても彼女達は間違いなく凄いことになっていくものである(そして、それは数年前に見てきた光景でもある)。

 しかし、今はまだ――なる"かもしれない"程度の確信である今はまだ、彼女達が世間に知られる手助けが必要かもしれないと思えてしまう……し。

 それに、やはりエビストとハニプラにはどうもそういうことをしてあげたい、頑張っている彼女達に何かしてやりたいと思わせる魅力ばかりはどうしようもなく溢れているのだ。

 だから今一度、そんなコンテンツと新しいアイドルの手助けになれるようにという願いを込めて、この記事を書く。

 そして、本当なら自分だけが知っているという優越感をまだ味わっていたい気持ちもあれど、そんなオタクの業をぐっと抑え込んで、明日にでも、いや明後日にでも、そう遠くない未来にドカンと爆発するかもしれない超新星のようなアイドルについて、これを読んでくれている方々に以下から長々と、ライブの感想をメインにしつつ、ぐだぐだと紹介していきたい。

 

 

 とはいえ以下からは長々と個人的な2ndライブの感想パートに入るので、

 「興味ないわ、オススメしたい部分だけオススメしてくれ」という方には

 ここからまとめの部分まで一気にジャンプしていただくのもありでございます。

 

 

 さらにそのまとめの部分すら結構長い上にぐだぐだと話が紆余曲折脱線余談何でもありの居酒屋トークとなっているので、

 「いや、そこもどうでもいいわ。本当の本当に結論の部分だけ言ってくれ」という方には

 ここからさらに結論部分まで一気にジャンプしてもらうのもありでございます。

 

 

 結局大事なことはオススメしたい理由を知ってもらってまずエビストとハニプラに興味を持っていただくことですので。

 面倒くさいところは迷わず飛ばしていただいて構いません。

 そうした上で少しでも興味を惹かれたら、また飛ばした部分まで戻って読み直していただくのもよいかと思います。

 何せ全編合わせると二万文字を越える、二次ドルオタクの妄執と希望についてを無濾過でぶちまけたおぞましい代物となっておりますので、それを見てそれなりに暇を潰して笑ったりしていただけたなら幸いでございます。

 では。

 

 

 

 

 

8/pLanet!!の2ndライブは……凄かったぞ 

 さて、それではまずはハニプラの2ndライブについて、長々と、本当に長々と個人的な感想を書かせていただきます。

 そんな自分の回顧録のような文章から少しでも皆様に今回のライブの面白さと感動が伝わってくれればと思いますが、まあ……頑張ります。

 

 そして、そう…………良かった……。……ただただ良かった……。

 いや、本当に良かったのよ、このライブ。

 個人的にでもあるし、今回は客観的にも自信を持って言えるかもしれない。

 8/pLanet!!の2ndライブは本当に良かった。素晴らしかったよ。

 どうしても1stとの比較になるので、先に1stライブの時の感想を読んでおいて貰えるとより色々とわかりやすくなるし伝わりやすいかもしれないですね。

m-kichi.hatenablog.com

 

 

 それで、肝心の感想なのだが……。

 うん、もう手放しで褒められるところが多すぎてどこから褒めていいものやら……。

 とりあえずそうだね、まずはもう1stの時と比べた全体的なレベルアップぶりですよね。

 何だかんだ1stライブの時って、前の感想を読んで貰えたらわかるんですけど、”相応”だったんですよ。

 500人規模の会場で、初めてのライブで、プロジェクトが始まってまだ半年で……という条件に本当に相応のライブだったのよ。

 良くも悪くも想像より下回ることはなかったけども、大きく上回ることもなかったのね。

 エビストとハニプラを好きなファンが集まってワイワイする分にはいいけれど、ここから外に拡大していくにはまだまだ足りないというレベル。

 でも、何かしらの可能性は感じないこともないし、ひたむきな姿は応援してあげたくなるよねという感じ。

 それがハニプラの1stライブで、コンテンツも含めてまだ全体的にそんな感じだった。

 微かな何かを感じられはするけれど、それを大勢の人が確信出来るかというとまだ難しい、みたいなね。

 だからもう、実は滅茶苦茶不安だったんですよ、2ndライブの前は。

 だって、まあ、ねえ。

 会場の規模は前回と似たり寄ったりだし、1stからまだ半年しか経ってないのに「2ndライブをやります!」と言われて、いや、嬉しいけども……。

 コンテンツ自体もジワジワとファンが増えてきているけれど、ブレイクしそうな未来はまだまだ雲の上にあるようにしか見えなくて、ね。

 そんな状況でとりあえず2ndライブって、そりゃワクワクよりも不安が勝つでしょうよ。

 もうまずチケット捌けるかの辺りから正直不安で仕方なかったですよ。結果的に完売してくれて本当に良かったですけども。

 それに、やっぱり期待はしてるけど信頼は今一つだったんですよ。ええ、もう正直に言うとですよ。

 前回のライブから半年経ったとはいえ、その間にリリイベとかもやっていたとはいえ、果たしてあの1stライブからどれほど何が変わったのかをきっちりと見せられるくらいなんだろうかってね。

 本当に本当に不安だったんですよ。

 言ってもまだまだ零細コンテンツなわけですから、ライブなんてそうそう何回もやれることじゃないと思っていましたし、本当に一回一回が滅茶苦茶貴重で、かつとても重いチャンスなわけですよ。

 その貴重で重いチャンスにおいて、一体何を見せられるのかがやっぱり本当に大事じゃないですか。

 会場に来てくれたファンは今まで以上に惹きつけて繋ぎ止めなければいけないし、まだエビストとハニプラをよく知らずにとりあえず見に来たくらいのお客さんにはファンになって貰える程の何かを見せつけなければいけない。

 その点では1stは本当に及第点ギリギリであったことも一つの事実で、可能性と楽しさには溢れていたけれど、パフォーマンスで魅了する、ファン層を拡大するという点では正直足りないところがあった。

 だから、それを受けての2ndでは本当に、ハニプラは可能性以上のものを示す必要があると個人的には考えていました。

 可能性以上の明確な"実力"。

 今やレッドオーシャンと評される程にコンテンツが飽和しつつあるこの二次元アイドル界、数多あるユニットの中において、明確に「8/pLanet!!じゃないとダメなんだ」と思わせる程の何か。

 実際"それ"がしっかりないことにはこの先の成功はありえませんし、"それ"がないユニットとコンテンツを応援することには惰性と同情は持ち得ても本気を持つことは出来ません。

 無論、エビストとハニプラには"それ"があるかもしれないことを期待して自分はここまで追いかけていました。

 しかし、いつまでも期待だけで追いかけていけるわけがないことも事実ですし、何より期待だけでついてきてくれるファンだけを相手にやっていて生き残れるほど甘い世界でもありません。

 1stの感想でも書きましたが、「可能性を感じる」というだけではないことを示さなければならない最初の時があるとしたら、まさに今回の2ndライブがそうだったでしょう。

 そういう事情から、「ハニプラ本当にやれんのか!?」という期待と不安が混ざりつつ若干不安が勝ってるような気分で自分はこの2ndライブ当日までを悶々と過ごしていました。

 勿論やってもらわなくては困りますし、やれるだろう、やれるはずだ、まあやれるんじゃないかな……というくらいの信頼は持っていました。うん、改めて振り返ると酷いな。

 でも正直仕方ないじゃないですか! だって、1stからまだ半年ですよ!

 コンテンツの底は未だ見えないとはいえ、それが深いからなのか浅いからなのかすらわからない――いや、本当にわかんないんですよエビスト!

 2ndライブの前までファン全員がこのコンテンツの本気度や全貌や黒幕を未だに掴めずに、まるで巨大なコンニャクと相撲を取っているような感覚だったんですよ!

 そうだよねみんな!? 俺だけじゃないよね!?

 なので、もう半分は「どこまでやれんねん」みたいなことを探りにいくような気持ちでもありました。

 8 beat Story♪も企画が世に出てからもうすぐ一年、8/pLanet!!も1stから半年。以前と比べて果たして何をどこまでやれるものなのか、会場に来た全員が見極めたいと願っていた2ndライブだったと思います。

 やたらめったら長くなりましたが、とにかくそれがハニプラの2ndライブにおける大前提かつ最大の課題でした。

 

 

 さて、では実際どうだったのか。

 いざライブが始まってからの自分の衝撃を何とかここに書き起こしてみるので、まずはそれで色々と伝わってくれればと願います。

 そう、まず昼夜二部制の昼の部で最初の曲のイントロが始まって……。

 ……うん、まず最初に気づいたのがどうも今日は音が抜群にいいんですよ。

 元々小さいホール風の会場だからなのかな。音響がとても良い。

 1stの感想では再三書きましたが、前回は本当に正反対なことに音響が酷かった。いやぁ、酷かった……。

 今回それと比べてどうなるのかとドキドキしていたんですけども、いや、これはね、これは……百億倍くらいの差つけて今回の音響の方がハチャメチャに良い。

 良かったんです。

 いや、ていうか良すぎるわ何だこれ。ここ最近行ったライブの中で一番音響いいわこれ。

 どうなってんの!? いや、本当に凄い、凄かったんですよ。

 とかくこの手のオルスタで陥りがちかつ前回もそこが酷かった低音の激しすぎる自己主張が今回一切ない、それなのに迫力不足とは感じない絶妙に綺麗なバランスが取れている……!!

 とにかく音量上げすぎによる音割れとかもない、激しい曲は激しさそのままでありつつ、しっとり系も美しくゆったりと聴かせてくれる。えっ、素晴らしすぎる……。

 本当に音響が、音響が、音響が三回繰り返す程にまず音響が素晴らしかったんですよ。

 前回と余りに正反対過ぎる。というか完全に前回の最大のネックが音響だったわけで、そこをここまで完璧に改められると、えっ、もうあと褒めるところしかなくない……?みたいな。

 逆に前回とあまりに差がありすぎて怒りに変わってきたぜ。いや、冗談ですけども。

 とにかくそう、まずそれくらい音が良かった。

 難点と言えば数回曲の途中でマイクのハウリングがあったくらいですが、すぐに対処してくれたしそんなに気にならない程度でした。

 いや、いきなり演者と関係ないところ褒めすぎじゃないと思われるかもしれませんし、これは今回の会場自体が構造とか諸々のおかげで良かっただけという可能性もなくもないのですが、それでもあまりに感動したし前回「音響ひでーんだよ!」と散々当たり散らした罪の意識も若干あるので、今回そこをここまで仕上げてきたPA担当スタッフさんにここで賛辞と感謝を書き記しておきたかったのです。ありがとうございました。

 

 

 ええい、勿論話を音響とPAスタッフさんの頑張りが良かったですだけで終わらせるつもりはありません。

 そう、確かに音が良かった。まずそれに気づきました。

 それにより「今日結構いいかも」という期待を膨らませ始めながらも見つめる自分の前で、次々とステージは進行していきます。

 二曲目を楽しみながら、一曲目も含めて音だけじゃなく今日はメンバーの歌もダンスもとても良いことに自分は気づき始めました。

 そして楽しい。やっぱりハニプラのライブは楽しい!

 メンバーも前回と比べて更にたくさん練習してきただろう成果が出ていますし、今日は最高のライブになるという確信が早くも生まれていました。

 始まる前まで抱いていた不安はすっかり何処かへ雲散していました。

 そして、三曲目。

 これが終わる辺りで、どうも自分はようやく異変に気がつき始めました。

 ステージ、良い。

 メンバーのパフォーマンス、とっても良い。

 

 良い……良い……否ッッ……良すぎる……ッッ!?

 

 そうなんです、これはマジもマジでリアルに感じたことなんですけど、メンバーのパフォーマンスがあまりにも良すぎたんですよ。良すぎて逆に異常を感じる程に。

 もうその時点で軽く混乱ですよね。

 えっ、待って、君らこんなに……!? こんなにだったっけ……!?

 言うてそりゃ、どこまでやれるのか確かめたかったとか上で長々と語りつつも、ある程度これくらい成長してくれてたらいいかなみたいなのはライブの前までにシミュレーションするじゃないですか。

 前回のライブを思い返しながらね。ま、これくらいにはなってて欲しいよねみたいなね。

 そういうリアルシャドーをしておいてから自分達はライブに臨むわけじゃないですか。

 でもね、目の前のハニプラのパフォーマンスがそのリアルシャドーで設定しておいたレベルを完全に超えちゃってたんですよ今回。

 想定していたレベルアップを軽々超えたレベルまで到達しちゃってるんですよ。

 術式レベル5くらいに備えてたらレベル50が来ちゃったんですよ。

 もう気分はスカウターの数値が異常な上昇を続けるのを眺めるザーボンさん、ドドリアさんのそれですよね。滅多に出来ない希有な体験でしたよ本当に。

 ここまで持ち上げに持ち上げるとそんなに凄いの……!?と大きな期待を寄せてしまうかもしれないので一応弁明しておきますが、あくまで自分個人の感覚として今回のハニプラを見た場合それ程の衝撃だったというだけではあります。

 本当にそこまでに感じるかどうかはやはり人によるでしょう。

 という予防線を張りつつも、しかし今回はやはりそこら辺を踏まえてなお客観的にもこれはかなり凄いと感じて貰えるのではないかという期待を抱いてしまう程でもありました。

 とにかく、そう、まずステージを見ながら最初に感じたのが「この規模じゃない」ということでした。

 そうなんですよ、今回の会場は前回の会場とほぼほぼ同じ、若干こっちの方が広いかなくらいの500人程度のキャパシティで、ステージも前回より少しだけ大きくなった程度でした。

 そして、ハニプラのパフォーマンスはもう完全にこれくらいの規模のステージでやっていいそれじゃあなかった。

 会場が小さすぎる。あまりにも小さすぎたんです。こんな理由で会場が小さいことを悔やんだことは過去一度もありません。

 もうこんな会場じゃハニプラのパフォーマンスを受け止めきれねえ。

 いや、いやもうホンマ……もったいない!!

 見てる間中ずっと思ってましたよ! もったいないんですよ!!

 この規模の会場で、この程度の人数の前で、見せていいようなステージじゃない!!!

 会場の役が不足しているどころじゃありません。こんな事態がありますか!?

 それ程までにハニプラのパフォーマンスのレベルは上がり過ぎていたんです。

 もう、もうも、それに気づいてからはずっと「ここじゃないところで見せてくれー! もっとデカい会場で見せてくれー!」って思いながらステージ見てましたからね。

 半端じゃない。

 よく同じ会場で期間を空けて二回ライブをやることで「この会場は攻略したな」って感じることあるじゃないですか*3

 あの感覚結構好きなんですけど、今回のはもう攻略なんてものじゃなかった。蹂躙ですよ。檻に閉じ込められたコングが暴れ回ってたに等しかったんですよ。

 そんなことを思いながら、圧倒され続けたまま昼の部を全部見終わった後に、呆然としつつ自分は悟りました。

 ライブが始まる前は、見終わった後で「これはもしかしたらもしかするかもしれない……!」と、少しでも感じさせてくれたならそれでオッケーだ、などと考えていました。

 しかし、今回のこれは既に「もしかするかもしれない」なんて段階じゃありません。

 これはもう、今現在進行形でもしかしている状態なんですよ。

 本当に、電撃に打たれたかのようにその気づきを得ました。

 ハニプラはもう、今、完全にもしかしている最中のユニットなのです。

 「君達は何をどこまで出来るんだ」と問われたら、「私達はこういうことをここまで出来る」というのをもうハッキリと今回見せつけてくれました。

 

 

 しかし何だろう、何がそんなに凄かったんだと、見ていない人は気になることと思いますが、どうも自分にも上手くそれを説明出来ないのです。

 

 パフォーマンスが凄いということは、つまりダンスが凄いのか?

 

 確かにダンスは良いんです。

 コレ系のユニットの中において比較しても、実に高レベルで踊れるユニットであることは間違いないです。

 振り付けも方向性がハッキリしていて、見ていて分かり易く、そして楽しい。

 1stよりもレベルは格段という言葉で片付けられない程に上がっていました。

 しかし、それでもなお突き抜けていると言い切れるものではないことも確かです。

 びっくり人間のような動きをするわけでもないし、PVとのシンクロダンスみたいな明確な他とは違う売りがあるわけでもない。

 ダンスに根拠を求められるという線は薄いかもしれません。

 

 では、歌が凄いのか?

 

 確かに歌も素晴らしい。

 今回は音も良かったためか、改めてハニプラの歌声の綺麗さというものもライブでありながらも存分に味わうことが出来ました。

 歌声はそれぞれ個性的で一人一人のそれを聴くだけでも楽しいし、何よりこの8人はそれぞれの声が重なった時のハーモニーがとても美しいというところが最大の魅力であるユニットです。

 それを根底から支える楽曲達も言うに及ばず素晴らしく、クオリティの高い魅力的でかつ個性的な曲が揃っています。

 しかし、それをして最大の魅力と言い切るのもまた難しい。

 何故なら歌声に惹きつけられるものがあるとは評しつつも、それは歌だけで全て持っていってしまえる程上手いというわけではないからです。

 曲も、人によって好みは分かれるところですし、ハニプラのそれが今この業界全てのシェアを奪える程最高とはどう頑張っても言い切れはしないでしょう。

 ダンスと同じく、歌だけにも根拠を求めることは出来ません。

 

 そうなるともう「え、じゃあ何が凄いの!?」となるでしょう。

 正直自分も「うるせえ、俺にもわかんねえんだよ!!」とぶん投げたいところなのですが、それでも無理矢理に理由をつけてみるならば、その「よくわからないけど何か凄いものを見た」と思わせる力こそがハニプラの強さであり、むしろアイドルの不思議なパワーそのものと言えるのではないでしょうか。

 言葉遊びでもあり哲学のようでもありますが、一度でもアイドルにハマったことのある人ならわかるでしょう、いや、わかってくれ!

 そのアイドルパワーとでも呼ぶべき不思議な力――キン肉マンかよという感じですが、それが「突き抜けているわけでもない踊り」と「上手すぎるというほどでもない歌」を奇跡的なバランスで混ぜ合わせて、抗いがたい妙な魅力に仕立て上げてしまう。

 そんな力を、ハニプラも勿論持っていて、そして恐らくそれが物凄く高いレベルであり、彼女達の今一番の強みでもある。

 そして、その力こそはきっと、ダンスの技術よりも、歌の才能よりも、それらよりも何よりもアイドルが一番の芯として持っていなければならないものなのです。

 アイドルとしての才能!

 1stライブの感想で自分はハニプラのそれを何となく目が離せなくて応援したくなるものだと書きました。

 そして今回の2ndではそれをよりパワーアップさせて、明確に、何となくなどというレベルではなくそのパフォーマンスに惹きつけられて魅了させられてしまうようなものにまで仕上げてきたのです。

 ハニプラの2ndライブにおけるパフォーマンスの凄さを無理矢理にでも説明しようとするとしたらそんな感じでしょうか。

 無論、これは全て自分個人の意見です。

 自分の貧相な表現力と語彙では伝えられないこと、伝えられていないことは数え切れない程にありますし、人によってハニプラのパフォーマンスを見た時に感じたこと、または感じることはそれぞれ異なってくるとは思います。

 しかし、それでもなお自分は主張したい。

 何かがある。

 言葉には出来ないけれども、何かがハニプラのライブにはある。

 あるからこそ、自分は今こんなにも熱い衝動に突き動かされて支離滅裂な文章を書いているのだと。

 そして、あの時あの場にいた多数の人がその何かをそれぞれ感じてくれていたはずだと。

 そして、それは今後この文章を読んで、あるいはそれぞれ様々な理由でハニプラのライブを初めて見に行くだろう人達にも感じて貰えるはずだと。

 そう信じてみたい何か不思議なアイドルパワーが8/pLanet!!にはあるんです。

 今はハッキリとした形にはなっていませんが、いずれ形になるかもしれない。

 そんなオーラのような、華とでも呼ぶべきなのか、そういうものこそがハニプラの強さであり、実力であり、セールスポイントであり、2ndライブは凄かったと言わしめるものなのです。

 

 

 とまあ、以上がハニプラの2ndライブを今回見に行ったことで自分が感じたことの全てであります。

 とはいえ、結局溢れ出る感情に任せて思いついたままをとにかく書き殴っただけでもあるので、何のことなのかわかりにくい部分もたくさんありましたでしょうし、そもそも何か勝手に納得して良い感じに締めた風になってるけどこっちは何も納得してないぞと思われることでしょう。

 なので、以下からは2ndライブを経たことによるエビストとハニプラの変化をまとめつつ、これが今最高に推せるコンテンツである理由もわかりやすく説明し、皆様にその魅力をプレゼンテーション出来るよう頑張ってみたいと思います。

 ここまで延々益体もない感想文を読んでいただき恐縮ですが、まだもうしばらくお付き合いいただけたらと願います。

 

 

 

 

 

8/pLanet!!の2ndライブにおける成果

 まずは「2ndライブって上では長ったらしく冗長な感想書いてたけども、結局のところ本当は何が凄かったの?」ということについて簡潔に自分の意見をまとめたい。

 本当にライブがそこまで凄かったのかどうかということについては、結局最後は個々人の主観に寄ってしまう部分なのでそこに何か絶対的な根拠を見出すことは出来ないだろう。

 少なくとも自分にとっては最高のライブだった。それは間違いがない。

 しかし、実は主観を越えた客観としても良いライブであったこともまた間違いはないのではとも思えるのだ。

 では、先に否定したはずのその根拠を一体何処に置くのかというと、それは「1stライブとの比較」という部分になるだろう。

 あるいはもう少し拡げて「それまでの8 beat Story♪というコンテンツに対する評価との比較」とした方がわかりやすいかもしれない。

 二次元アイドルコンテンツ全体という枠の中ではなく、あくまで8 beat Story♪というコンテンツだけ、8/pLanet!!のライブという枠の中だけで定義するならば間違いなく2ndライブは凄かった。

 1stに10倍近くの差をつけて2ndライブは良かった、とまで言い切ってもいいかもしれない。

 そうは言っても、別にハニプラの1stライブがそこまで酷かったから相対的にそういう評価になるというわけでもない。

 正直、1stライブは1stライブとして素晴らしい点も多々あったし、「これくらいならまあ、他と比べても全然、いけるでしょ」くらいにはいいライブだった。

 結構やれるじゃん。この規模のコンテンツにしては全然やる方じゃん。可能性は感じるよ。次に期待だね。

 1stライブの正直な感想としてはこうなるだろう。

 楽しいし、何かは感じるけれど……でも、まだまだ。

 それが8/pLanet!!の1stライブであった。

 ではそれから半年、比して2ndライブである。

 このライブは、恐らく何かを見せることが求められているライブであっただろう。

 それはファンからもそうであるし、ファン以外、8 beat Story♪と8/pLanet!!の動向を見守る様々の人達からもそうであったろうと思われる。

 プロジェクトが世に出てからもうすぐ一年、比較的のんびりとゆっくり進んできた企画ではあるが、いつまでもずっとそのペースのままでいられるわけもない。

 ファンも、それ以外のこの企画に注目する人達も、全員がこの2ndライブにエビストとハニプラの"本気"を見たいと願っていた。

 このコンテンツに賭けてみようと思わせる何がしかの可能性、いやもはや可能性だけでない確かな実力を見せて欲しいと願っていたのだ。

 そして、果たしてそれは達成された。

 ハニプラはこの2ndライブで、かけられていた期待以上の、求められていたレベル以上の実力と可能性を見せつけたのだ。

 それが、それこそが恐らくこの2ndライブで一番凄かったことなのである。

 2ndライブが良いライブであると確信出来て、このライブの一番の成果であると思える部分もそこなのだ。

 つまり、「8/pLanet!!とは成長出来るユニットである」ということをまざまざと見せつけたこと。

 それが2ndライブにおける一番の成果であろう。

 何故ならば、これでようやくエビストとハニプラの"強み"とも呼べるものが出来たことになるからだ。

 別に今までのエビストとハニプラにいいところが全くなかったというわけではない。

 しかし、"これ"と言えるもの、決め手のような何かが欠けていたことも事実ではある。

 最初期から追っていた人達はその決め手の代わりに、曖昧にではあるが確かに感じる何か才能の片鱗のようなもの、成長の可能性というものを拠り所にしていた。

 しかし、あらゆる人がそれを信じられるものでもなく、またその小さな芽が開くかどうかはその存在を信じた人達にも確信が得られるものではなかった。

 そんな中で、今回の2ndライブにてエビストとハニプラは自分達が成長したことと、成長が出来るということをまざまざと、立派に、見せつけた。

 まだ極少数の、最早変人とも言える人達が信じた何かはしっかりとそこにあり、その芽がちゃんと伸びて葉を開いた。

 そして、その成長はしっかりとした花になることを十分に予感させるものだったのだ。

 やたらと比喩的な表現になってしまったが、これこそが今エビストとハニプラの最大の強みであると言える。

 そして、その強みはこれから先の様々な可能性へと繋がっていけるかもしれないものなのだ。

 

 

 

 

 

8/pLanet!!を今推す理由

 そう、そして、8 beat Story♪と8/pLanet!!を今自分が推し、皆さんにもオススメしたい理由というのもまさしくそれなのである。

 それ。つまり「成長するユニット(コンテンツ)であり、成長出来るユニット(コンテンツ)である」ということ。

 それこそが今エビストとハニプラの最大の魅力でもあるのだ。

 この二次元アイドル飽和のご時世、自分達の力で一から立ち上がろうとするコンテンツは少し目を向ければ正直たくさんある。

 今まではエビストも単にその中の一つというものでしかなかった。

 そんな一からの何かを応援したいというなら、単にエビストだけに限定する必要も無く自分がビビっと感じたものを選べばいい。

 そういう点では他と比べてここが!と押し切れる部分も少なかったのだ。

 しかし、今回の2ndライブを経てエビストはそこから大きく一歩抜け出してみせた。

 孵るかどうかもわからない卵を温める段階から、殻を破って雛になった。

 「ウッソ!? この卵孵った!? 孵ったよ!!」、という驚きに包まれているのが今なのである。

 そして、この小さな雛はまだまだよちよち歩きではあるが、その内でっかい鳥になるかもしれない予感が十分にある雛なのだ。

 何が言いたいかというと、結局そういう一からというコンテンツの中で本当に成長出来る力を秘めているのはシビアな話だがやはりほんの一握り程度なのである。

 そして、その一握りの中に自分達がいるんだぞということを、エビストとハニプラは今回の2ndライブでしっかり証明してみせた。

 それが皆様にオススメ出来る理由となる。

 何故ならば、やはりしっかりと成長をするコンテンツとユニットを追いかけることほど楽しいことはないからである。

 小鳥の翼が大きくなり、羽ばたいていく様ほどにこれまでの応援が報われるものはない。

 そういうことがもう一度味わえるかもしれない、そのポテンシャルがエビストとハニプラにはある。

 だからこそオススメするし、応援してもらいたいのだ。

 

 

 そして、それは特に、あの奇跡を今度は最初から見たいと願うような人達に。

 こういう勧誘の仕方はいやらしいかもしれないが、あれ*4を最初から追っていた者として言わせてもらうと一番近い感じはこれなのだ。

 あの奇跡に繋がる萌芽が今存在するのは、言い切ろう、恐らくここだ。

 奇跡を起こし続けていた頃のあの姿から存在を知って、魅了された人達にとっては確かに一見この子達は物足りなく映るだろう。

 絵は何だか芋っぽくて、お話もいまいちどうなのかよくわからなくて、曲はいいけど微妙なゲーム。

 周りに知っている人も全然いなくて、まるで追いかけているのが自分しかいないように感じる程度の人気。

 駆け出しの新人ばかりで全然顔も名前も知らないけど、やる気と才能だけは満々なキャラクター達とその担当のメンバー達。

 列挙してみると中々に散々な状況ではあるが、しかしそれこそがまさしく最初期であり、そこからこそがあの姿に繋がる前段階なのである。

 そして何より、そんな状況こそがもしかしたら一番楽しい時期でもあるかもしれないのだ。

 そりゃあ毎日悩むだろう。

 自分の応援しているアイドルがどこまで行けるのか、不安で仕方ない日々を過ごすことになるだろう。

 いまいち広がらない知名度にやきもきするし、思い煩い苦しむことも多いだろう。

 しかし、裏を返せばそれこそが醍醐味なのだ。本当に。

 そして、それはやはり最初から成功が約束されているような大きなコンテンツでは決して味わえないものなのだ。

 小さかった存在が経験と成長と幸運を重ねて凄いことになっていく、それがフィクションと現実で重なる感覚は言葉にならない。

 あれに魅せられたならばあらゆる人が知っている感覚であろう。

 その最初なんて本当に、こんな感じなのだ。でも、それこそが何よりも素晴らしい。

 そして本当にかつてのあの瞬間に自分も居合わせることを今も望んでいるのならば、是非ともここに来て見て欲しい。

 この8 beat Story♪と8/pLanet!!に。

 まあ、果たして本当に凄いことになるのかの結果は今のところ保証は出来ないが……。

 しかし人生、たまには分の悪いことに全力になってみるのも一興ではないかと思う。

 そして何より8/pLanet!!自体が結果は別としてとても魅力的で素晴らしいユニットであることは今からでも太鼓判を押せる。

 いいぞ、ハニプラ……。かわいいぞ……!

 本当にかわいいぞ……! 

 

 

 しかし、上に書いてきた理由は全てあの6年間に最初期から関われなかったことを後悔し、それをもう一度追い求めている人向けのものでしかない。

 もしあの奇跡を全部見た上で、それがもう一度単なるあれの繰り返しになるのならそこまで惹かれるものはないと思う層もいるだろう。

 だが、自分としてはそういう人達にも敢えてもう一度このエビストとハニプラをオススメしたい。

 正直このコンテンツは確かにあの作品へのリスペクトもりもりで生まれて、純粋にあんな風になりたいと思って頑張っていることには間違いがない。

 それが単なる模倣でしかなかったり、柳の下を狙っているだけのように見える人も多いだろう。

 いや、実際そんなとこがあるのも否定はしない。

 しかし、それでもこのコンテンツ、そしてユニットとしての彼女達があの奇跡と全く同じ道筋を辿れるわけがないこともまた明白ではあるのだ。

 これもやはり何度も言ってることなのだが、同じ場所――というか、憧れとしてあの姿やあの到達点を目指していても、結局殆ど必然的に全然違う足取りや歩幅、あるいは道のりで目指さなくてはならないのだ。

 何故なら、エビストは正直優等生ではない。

 かつてのあの作品が生まれつきの龍であったとするならば、全然、今はまだ龍に憧れる鯉くらいの実力しかないだろう。

 なので、全く同じことが出来たりであったり、出来ているわけではないのだ。

 そしてそればかりでなく、このジャンルにおいてはそれこそ歴史の繰り返しはうんざりだと思いながら厳しい目を向ける層も少なくはない。

 なので、必要としても必然としても、これまでにないアプローチでオリジナルな成功を目指さなくてはならない。

 これはエビストとハニプラにとっては明白な前提である。

 では、そういうオリジナルスターなやり方、形に将来的に辿り着ける――あるいは今すでに辿り着いているのかどうか。

 正直それも今はまだ全然、ただただ同じように同じやり方で必死に走ってみているだけであったりする。

 しかし、だ。

 しかし、今この時代にそういうものがどうなるかを見守る――そこまでではなくてもあるいは見届けてみるというのは、凄く……言い方は少々悪いが、凄く面白いと思うのだ。

 いや、興味深いと言った方がいいかもしれない。

 それが本当に新しい何かになるのか、それとも模倣のままで終わるのか。

 そして新しい何かになっても結局失敗だったのか、模倣のままでも成功へ辿り着けるのか。

 それはもう、全然今はまだ誰にもわからないだろう。

 そして、それこそが途轍もなく面白いと思うのだ。

 どうだろうか。

 こう、本当に成功も失敗も全然どの未来に繋がるのかもわからないというのは、ある意味一番面白い時期でもあると個人的には思っている。

 何より、我々はそれを当然一回経てきているではないか。

 いや、あれはもう懲り懲りだと思う人もそれはいるだろう。それならそれで仕方がない。

 あの結果で、あの一度の奇跡を見られただけで十分満足だ。そういう人もいるだろう。

 それはそれで本当に素晴らしいことだし、自分もこれまでは正直そうありたいと願っていた。

 でもね、でも――あれはやっぱり毒じゃないですか。

 結局あの毒に侵されたまま自分は抜け出せなかった、そしてそんな人が自分の他にもいるのだとしたら。

 そして、もしいたとして、まだどこにも行けず、自分の渇きを癒せていないままなのだとしたら。

 ここだろう。ここに来てください。ここに来て、一緒にその姿を見届けてみてくださいと言いたい。

 自分達が打ちのめされたあの奇跡に、真っ向から憧れて全く無謀にもそれを目指そうとしている存在がいる。

 それはきっと自分達が一番なりたかったものであり、そしてなれないと絶望したものでもある。

 そんなものが本当に、まさか現実に今出てきているのである。

 そして必死に、前だけを向いて走っている。

 なんというか……上手くは言えないが、そういった存在をもう一度追いかけてみることは、見守ってみることは、決して単なる繰り返しだとか、ループにハマっていることにはならないと思うのだ。

 あの抱えきれないような奇跡があって、それでもそれに続くかもしれない何かを見ることで、ようやくあれを消化なり昇華出来る気がするのだ。

 それを含めてようやく、この一連の物語のようなものが終わる気すら自分はしているのである。

 だから、そうなのだ。

 自分のような者は、物語をきちんと終わらせるためにも新しい物語を読まなければならないのだ。

 そして、これまでの余りにも情けない心情吐露に少しでも共感を覚えてくれるような人がいて、その上でもし今も迷い続けているのなら――その新しい物語にエビストとハニプラを選んでみて欲しいのである。

 

 

 

 

 

8 beat Story♪と8/pLanet!!の物語

 話が前後してしまうが、皆さんにオススメしたいもう一つの理由が先にも書いたそういったエビストとハニプラの持つ物語性の部分なのである。

 知名度も人気も最初からある程度存在するなどということは全くなく、今時正気かと思うほど何もないところからこのコンテンツとユニットはスタートしている。

 誰からも期待も見向きもされていなかったところから、地味かつ地道に様々な活動を行ってきた末に、今ようやく2ndライブを終えて一周年を迎えるところまで来られた。

 そして着実な成長と共に、もうちょっと大きな場所へ羽ばたこうと頑張っているのが現在である。

 今時こんなベッタベタな物語が見られるところも中々ない程にベタで泥臭いストーリーを彼女達は今駆け抜けている真っ最中である。

 そして、そんなベタな物語をひた走っているのは何も現実のユニットであるハニプラメンバーだけではない。

 それを支えて取り巻くコンテンツ、そして彼女達と重なる向こうの世界のキャラクター達も含めてみんなで成長し、進んでいっているような感覚がここにはあるのだ。

 というか本当に、本当にハニプラと合わせてエビスト本体もコンテンツとしてジワジワと、本当にジワジワと成長していっている。

 ゲームもゆっくりではあるが着実に良くなってきているし、システムは何度もアップデートされて遊びやすくなり、弱かったストーリー部分も補強されて最初の頃よりもずっと面白くなってきている。

 追加される曲も(最初からそうではあるが)本当に良いものばかりが揃っていてクオリティが下がるということがなく、加えて歌うメンバーの実力も最新作になるにつれてレベルアップしてきている。

 また、遂にファン待望のコミカライズも連載が開始された。

 本当にジワーッと、ゆっくりとではあるが、しかし着実に8 beat Story♪全体が成長していく途上にあるのだ。

 そして、その成長がコンテンツに関わっている人間全員の本気によって成り立っているというのが何より気持ち良いし、感銘を受ける部分でもあったりする。

 そう、本気。

 エビストに関わって仕事をしているスタッフはみんな熱っちいくらいに本気なのだ。全力なのだ。

 ユニットメンバーだけではない、ゲームの制作スタッフ、衣装や振り付け等のバックアップ、音楽制作チーム、その他細々とした部分までみんながみんなこのコンテンツを本当に良いものにしようと必死で頑張ってくれている。

 それが様々なところから伝わってくるような作りになっているのである。

 だからこそ、その本気にこちらも心が動かされてしまうところがある。

 無論出されるもの自体が良いものであるという以上に、それをこちらへ届けてくれる頑張りにも胸が打たれるのだ。

 そして、こちらもそれに対して何かしてあげたいと思わされてしまう。

 応援したい、支えてあげたい。

 行きたい場所があるならばそこまで行けることを願うし、叶えたい夢があるならそれが叶って欲しい。

 むしろ自分自身がそのコンテンツに夢を見て、それを一緒に叶えたいと願わされてしまう。

 そんな風に、全員で進んで全員で叶えていくような感覚が、このコンテンツには今ハッキリと存在している。

 それこそが今のエビストとハニプラの強みである物語性であり、オススメしたいポイントなのである。

 

 

 とはいうものの、些かこの物語は出来すぎている面がないでもない。

 上の文を読んでそう感じる人も多少はいるのではないだろうか。

 いや、実はそれも否定はしないし、出来ない。

 みんなで奇跡を夢見て叶えていく物語というのは実際完全にかつて存在したあれの姿と重なるし、ある程度重ねる意図があってのものでもあるとは思う。

 そう、実はこの物語性というのは偶発的にそうなっているわけではなく、ある種意図して作り出されているのだろう。

 実際エビストはどうも端々からそういう最上位にいる何者かのコントロールを感じることが多々あったりもするのだ。

 話は多少逸れるが、実はエビストというのはどこがお金を出して、誰が儲かっていて、どこが仕切っているのかの背後関係がいまいち不透明なコンテンツだったりする。

 一応ゲームや音楽制作やらそれぞれを担当している会社はわかるのだが、それらを統括しているところ、黒幕が一体何者なのか――個人なのか会社なのかすら全く表に出てこないので誰もわからないのだ。

 しかし、実際その黒幕とでも言うべき人物が誰であれ、恐らく相当のやり手であることは間違いがない。

 ここまで自分、あるいは自分達の存在を隠して、コンテンツの発展の段階と速度をコントロールしている様は素直に驚嘆に値するだろう。

 そう、ここで一端逸れた話がまだ戻ってくるのだが、エビストとハニプラの物語は正直その存在X(と、仮に呼称する人物)が現実であるこの世界をキャンバスにして描こうとしている理想のアイドルストーリーという側面も存在していたりするのだ*5

 話が急にやたらオカルト染みてきた感があるが、実はこの「エビストは存在Xの手によってある程度コントロールされて動いている物語である」という部分を自分は必ずしも否定的には見ていなかったりもする。

 むしろこの部分こそ、上記のように美辞麗句を並べ立てたエビストの物語的特色を鼻白むような人にオススメしたい裏の楽しみであったりもするのだ。

 まあ聞いて欲しい。

 実際のところ、エビストは今の時点で恐らく全く儲かってはいない(であろう)。

 新興コンテンツなんて軌道に乗るまで全部そんなものでしょと言われるとそれまでだが、どこもある程度短期間で軌道に乗せられるならばそれに越したことはない動きをするものである。

 それに余程の大手でもない限り、少なくとも半年以内にある程度の結果が得られないと企画は頓挫するだろう。

 しかし、それらと比してもエビストの興味深いところは、どうもこの企画のビジョンが恐ろしく長期的なものとして設計されているらしいことが覗えるところなのである。

 それも、その間少なくない量の血を流し続けることを覚悟の上でそんな長い道のりを走っているのである。

 それが、さっきも言ったように余程の大手が企画してのことならば納得は出来る。

 どこかの大手企業が社運を賭け、宣伝やコンテンツ周りの整備にも大いに力を入れて、当たるまで続ける消耗戦をしているというのならそういうものかと理解も出来る(※何らかの具体例のある例えではありません)。

 ところが再三言っているように、エビストは全くそういう類いの大手が噛んでいる痕跡が見当たらないのだ。

 嘘じゃない。

 こういうコンテンツが企画されるにあたり絶対一枚、二枚は噛んでくるであろう、これ系の業界における暗黒メガコーポであるK社やB社等の影も形も存在していない(※具体的な対象の存在するアルファベットではありません)。

 一種異様ですらある。

 では見方を変えて、大元のアプリゲーム開発・運営会社が他に太いコンテンツを持っており、それを元手とする投資の一環として力を入れているケースではないかと考えることも出来るだろう。

 しかし実際、そのゲーム開発運営元であるC社も儲かって儲かって何かにお金を使わないと仕方がないような会社とは到底思えないようなところである。

 唯一大手と言える関連会社としては某大手芸能事務所であるH社が存在しているが、それにしたってあまりにも痕跡がなさすぎる。

 「ウチが今これ力入れてやっとりまんねや!」みたいな、公のバックアップが一切ないのだ。

 とはいえ消去法的に考えるとやはりそこが一番お金を出して全面バックアップしていないと事実に説明がつかないのだが、あまりにも繋がりを伺わせる情報がなさ過ぎて困惑しかない。

 話が大分逸れてきたのを強引に戻すが、とにかくエビストの描いているであろうビジョンは相当金のかかった、かつ恐ろしく気の長い、本当に大きいところが損を承知で行うようなものであるのに、実際どこの誰がそれを動かしているのかまるでわからないのだ。

 あるいはH社が実際の黒幕であるのに、その上からそれを殆ど隠すように指示して仕切れるような何者かが存在しているのである。

 実際、そんな人物がいるのだとしたら恐らく相当やり手であるし、失礼ながらむしろ狂人の域であろう。

 何故ならその恐ろしいまでの手腕は全て金儲けではなく、理想のアイドルコンテンツとそのストーリーを現実へ顕現させるために振るわれているからである。

 自らの存在を隠し、スポンサーの影すら隠し、少なくない資本を惜しみなく注ぎ、損失すら厭わず、コンテンツとユニットの歩く方向とスピードを完全にコントロールする。

 それは何故かというと、泥臭いながらも感動的なアイドルのサクセスストーリーの純度を極限まで上げるために他ならないだろう。

 何もないところから一歩ずつ努力して大きな場所へ向かうというのは、アイドルに限らず古今に通じる物語の理想像でもある。

 それを心血注いで作り上げることはどこも理想とするプロデュースの方向性であるとはいえ、今時ここまで綿密に、ガチガチに、本気でやろうとしているところはない。

 それも二次元アイドルコンテンツで、だ。

 そういう狂気の見え隠れする物語の裏の部分を楽しんでみるのも、またエビストの一つの興味深い楽しみ方として、キラキラと純粋な輝きに飽いた人にもオススメしてみたいポイントであったりする。

 

 

 とはいえ、むしろそういうしっかりとしたレールが敷かれ、きっちりとしたバックアップがあること自体を面白くないと思う人もいるかもしれない。

 全部が計算尽くだなんて、冒険していないじゃないかという人もいるかもしれない。

 自分にもその気持ちは大いに理解出来るところではある。

 しかし、それでもそんな計算に基づいたレールの上を走っているとはいえ、それが必ずしも冒険をしていないことにはならないし、面白くないということにもならないということをここでは強く主張したい。

 何故ならば、完全に一から作り上げるアイドルコンテンツというものはそうやってある程度のレールを敷き、その道を進むための兵站を整えて始めて冒険に出られるのであり、ようやく賭けが成立するものだからである。

 何も考えてないけどやってみれば何とかなるでしょ、というのは悲しくも厳しいことだがフィクションの中だけの話なのだ。

 そう、アイドルものというコンテンツには絶対に、明確なビジョンというものが必要不可欠なのである。

 それがないことには賭けにすらならない、単なる婉曲的な自殺でしかない。

 冒険の海へ出る前にそのための船を作りながら死ぬようなものである。

 むしろその最初の一歩を踏み出すまで行けるかどうか自体がすでに冒険であり、賭けでもあるのだ。

 一から積み上げるというのはそういうことである。

 そういう点でもエビストはすでに今普通に歩き続けているだけで常に様々な要因による突然死と隣り合わせの冒険という心臓に悪い状態なのだが、このコンテンツにはその上更に我々の心を落ち着かせることのない狂気が詰め込まれている。

 それはどういうことなのかというと、上記の部分でも散々解説した存在Xの描くビジョンが、ガチガチに計算され尽くした舗装道というよりはむしろ偶発的な要素にも期待した作りになっているらしいことなのである。

 偶発的な要素――もうハッキリ運と言い換えてもいいかもしれないが、エビストとハニプラが意図された段階へ進むためには必ず実力と運が求められるようになっているのだ。

 こう書くと当たり前のことに思えるかもしれないが、凄まじいのはこう進むことが出来ればいいよねという道をしっかり作っているのに、そこへ進めなかった場合を恐らくあまり想定していないところなのである。

 出来なくても資本力とか色々なところでカバーするよ、とかいった様子があまりないのだ。

 むしろ、どうもその段階に進めなければここで討ち死にする他ないとでも思っているようにすら見えるのだ。

 それを如実に感じたのが他ならぬ今回の2ndライブであった。

 様々なことが求められていた今回の2ndライブ、結果としてエビストもハニプラも確かな実力を見せたことで次の段階へ進めたように思えるが、もしここでこの成果が出せなかったらと考えると正直ぞっとするばかりである。

 無論今回のことは実力ばかりでなく様々な運もあっただろうし、そもそも実力以上に運がなければ大成も望めはしない。

 とはいえ、エビストは伸るか反るかが運任せなところも多すぎる向きもある。

 ビジョンはしっかりしているのに、そこに乗ることが出来るかは運試しという局面の連続なのである。

 それが果たしてやはり超大手の噛んでいないがためのそれなりの予算故なのか、それとも存在Xがそういうヒリつくような狂気のギャンブルが好きなのか、自分程度ではもはや判別が出来ない。

 それでも、これだけはハッキリと言える。

 エビストとハニプラが順風満帆に用意された道を行っていると思っているのならそれは大きな間違いだと。

 むしろ生まれた瞬間から今まで心臓に悪い賭けと冒険ばかりを繰り返していて、自分は彼女達を応援し始めてから正直心の一部は安まったことがないぞ、と。

 しかし、勘違いしないで欲しいのは上でも言ったがその不安すらむしろこの段階においては楽しいということなのである。

 無謀な賭けが、命懸けの冒険が見たいのならば、新興二次元アイドルはどれもそうだとは言えるけれども、敢えてこのエビストに乗ってみるのも一興ではないかと思われる。

 そういう点でもギャンブル好きにはオススメであるし、何よりそういう命懸けのベットを繰り返してきたことで今彼女達は相当に強い。

 賭けておそらく損はないということも、この界隈における予想屋崩れとしてはまた保証するところである。

 

 

 

 

 

結論

 簡潔にまとめると言いながらも結局またもや話が様々な方向へ豪快にとっ散らかった気がするので、最後に今一度全てをわかりやすくまとめることに挑戦したい。

 つまりはまあ、8 beat Story♪というコンテンツ、そしてその中の8/pLanet!!というユニットは目下のところ絶賛成長中であり、また今後も大きく成長することが期待出来るハッキリとした実力を持っている。

 故に、そういう成長を見守ることが好きであったり、あるいは凄い何かがまだ凄くなる前、そして成る瞬間が見たいという人がいるならば是非とも応援して追いかけることをオススメしたいのだ。

 またその成長に不随した立志伝的な物語性も魅力的な部分であるし、その現実に描いていく物語の純粋な部分にしろ、あるいは計算された部分にしろ、それらを総合的に見ても非常に面白い動きをしていることは間違いがない。

 なので、応援や入れ込み以外でもこのコンテンツに注目してみることは興味深いところがあるし、損をさせない何かを見せてもらえるのではないかなと個人的には思う次第である。

 そして、それらのどの道から入っても興が乗ったならば、改めて気に入った曲を買ってみたり、これまで宣伝してきたことを確かめるためにライブに参加してみたり、発展していく途中にあるアプリゲームをプレイして課金してみたりもして欲しい。

 とまあ、結局とりとめもなくクダを巻いてきたことの中核とはそんなところである。

 そして、その上で最後にここまで読んできた人が抱くであろう懸念を一つ、取り除いておきたい。

 恐らく少なくない人がこう思っているのではないだろうか、

 「そうは言っても始まってから一年経ったコンテンツだと、最初から見てきたことにはならないのでは……」、

 「美味しい瞬間って実はもう終わってしまっているんじゃないの……?」と。

 確かにそうかもしれない。正直否定は出来ない。

 今回の2ndライブ含め、この一年にあった様々な美味しいイベントはもう取り返しがつかないことは事実だろう。

 しかし、だからと言って、そんなことを理由に諦めることほど損でつまらないこともないとまた断言することも出来る。

 何故ならば、それでもまだ、その一年でもまだエビストとハニプラの歩いてきた距離は微々たるものだからである。

 伝説のあれに例えるならば、実際まだその1stライブ前くらいの感覚なのである。

 嘘じゃない。

 何故ならハニプラは3rdライブの開催もすでに決まってはいるのだが、その会場がようやく赤坂BLITZだからである。

 つまり、どんぶり勘定でも、あの子達と違ってハニプラはその三倍の時間をかけなければ前に進めない存在なのだ。

 そして同時に、三倍の時間をかければ同じところまで進むことの出来るかもしれない存在であるとも言える。

 だから、まだ全然遅くはない。

 この支離滅裂な文章が公開された今、そしてそれを読んでいる今。全然遅くない。

 BLITZでのライブには遅くないのだ。

 多分そこではきっと凄いものが見られる。

 いや、断言するのはやっぱまずいな。見られる、かもしれない。

 正直確実にどうとはまだ言えない。ぶっちゃけ今でもマジで賭けだ。

 エビストとハニプラが伸るか反るかは、2ndライブでは一端乗り越えたが、また次の3rdでも極上のギャンブルである。

 でも、そこからだ。

 エビストもハニプラもそこからなのである。

 そして勝敗はともかく、そこからの瞬間が見られるチャンスがあるならばまだ全然遅くはないのだ。

 だから、今からでも二の足を踏まずに飛び込んでみてもらいたい。切にそれを願う。

 全身じゃなくてもいい、まずは片足だけ浸けてみるのでもいいんじゃない?

8 beat Story ~アイドル×音楽ゲーム~

8 beat Story ~アイドル×音楽ゲーム~

  • Chronus Inc.
  • ゲーム
  • 無料

 

play.google.com

 

 

 曲だけ追うのでも全然ありだよね。ゲームをプレイするなら無料で聴けるし。こういう視聴動画もあるからね。


【8 beat Story♪】iTunes&レコチョク配信決定!

 

 

 ストーリーもゲームで読める。ゲームが面倒ならコミカライズも始まったし、手軽に読めて面白いよ?

medibang.com

 

 

 一周年記念関連のイベントも今色々開催中だから、メンバーに興味あるならそこからでもいいね。イベントスケジュールは公式側がわかりやすいようにこういうものも作ってくれてるし……。

http://chronusinc.jp/8beatstory/schedule/

 

 

 ハニプラTVっていう珍妙なバラエティー番組もあるんだ。でもそこから入門は大分コアかな……。

 

 そして、何処から入るにせよ、それ以上に凄い何かが見たいのならば、やっぱり次の3rdライブだろう。

http://chronusinc.jp/8beatstory/3rdlive/form

 

 何かに成るかもしれない。やっぱり成らないかもしれない。

 そんなヒリヒリするような無謀な賭けと、夢を叶えるための冒険を、これからしたいと願う人も、かつてしてきた人でも、今この時代に求めるならばここなのだ。

 ここでやってみないかと言いたいのだ。

 その理由を、今までこうしてグダグダと語ってきたのだ。

 だから、ここまで読んできて少しでも何かが琴線に触れた人は、どこからでもいいので入り込んできて欲しい。

 結果の保証はしないし、出来ない。それこそが醍醐味でもある。

 しかし、それでも二つだけ保証出来ることはある。

 それは、このコンテンツ自体の楽しさと、何より元気と勇気を貰えるところだ。

 

 

 そうなのだ。

 今まで散々コンテンツの成功を願って様々なオススメポイントをこの愚にも付かない文章の中に書いてきたわけではあるが、実際そこら辺のことはどうでもいいのかもしれない。勿論関わった人全てが報われて欲しいのは当たり前ではあるが。

 『DREAMER』という彼女達の新曲の歌詞にも「どこまで行けるかなんて考えないで 前見て振り返らずに全力で駆け抜けてこう」とある。

 結局このコンテンツの、いや、自分が好きな「アイドル」の本質はそこかもしれないのだ。

 エビストもハニプラも全力で走っている。

 前だけを見て、自分達が今やれる全力で。

 こちらとしては無謀としか思えなかったあの道を、少しも恐れずに笑顔で走って行っている。

 先のことなんて、本当は考えていないのかもしれない。

 結果のためにやってすらいないのかもしれない。

 そして、だからこそ美しく見えるのだ。

 心が突き動かされる。その後ろ姿から、勇気を貰えて仕方がない。

 勿論それらは全て錯覚かもしれない。単なるポエり*6すぎかもしれない。

 しかし、それでも向こうが全力であることには間違いない。

 生きるためにであれ、走るためにであれ、今この時期にあるアイドルは絶対に全力だ。

 そして、その全力にこそこちらの心が打たれることもまた間違いがない。

 その全力から、感動と元気を貰える。たまに呪いも受けたりする。

 事の本質とはそこである。

 エビストはそんなアイドルの臓腑(はらわた)を持っている。

 そして、恐ろしくも貴重なことにはその臓腑の見せ方をきっちりとわかっているのだ。

 それを悪趣味と思う人もいるかもしれないが、しかし自分達はその臓腑に魅せられてこの魔境に入り込み、そして抜け出せないでいる。

 だから、その自覚があるにせよないにせよ、今自分が言っていることに何らかのシンパシーを覚えるならば、選んで欲しいのはエビストとハニプラなのだ。

 予想外に変な文章になったので強引に流れを戻すが、綺麗な言葉に置き換えるならばアイドルから元気と感情を貰いたいならば恐らく今一番はここなのだ。

 それだけは間違いなく断言出来る。

 彼女達の全力疾走には、言い表せない魅力がある。

 人を惹きつけ、動かす何かがある。

 だからそれを見て欲しい。

 そう、例えば最初は上にも挙げたように、この曲からでも(ダイレクトマーケティング)。

DREAMER

DREAMER

  • 8/pLanet!!
  • アニメ
  • ¥250

 

 

 

 しかしそれでも、最初から一貫して言っている通り、彼女達の明日は正直まだ誰にもわからない。

 自分としては「この才能ならば……!」と、割と楽観視出来そうな向きも2ndライブを経ることで生まれてきてはいるが、たまにどうしようもなく不安になったりもする。

 それに一体何をもってして成功とするのか、どこまで行けたらばゴールなのか、誰にも定義は出来ないことでもある。

 それでもやはり確かなことは、人が集まれば集まるほど、彼女達には何らかの奇跡が舞い降りる確率が高くなるだろうということである。

 そして、8/pLanet!!はそんな風に規模が拡大していってもきっと受け止められるだろうポテンシャルと可能性があるということも、また確かなのである。

 だからこそ、今はこのコンテンツに人を呼んでみたいと思っているのだ。

 もし奇跡が起こるならそれがどんな形なのか確かめたい、し。

 純粋に全力なアイドルを多くの人に知っても欲しい。

 どこまで行けるか見てみたい。報われて欲しい。夢が叶って欲しい。

 思うところは純にせよ不純にせよ色々とあるが、諸々全部引っくるめて応援したいという気持ちの中に入っている。

 そして何より今もそうだが、その道のりこそが最高に面白くて楽しいのだ。

 そう、8 beat Story♪は面白い。

 以前は表現しようがなくて凄すぎると書いたが、今なら胸を張って言える。

 8 beat Story♪は面白いのだ。

 だから勧めたい。

 結局のところ、結論はそれだけである。

 だから、よろしくお願いします。

 8 beat Story♪を、一緒に追いかけてみてください。

 

 

 

*1:スマートフォン用音楽アプリゲームである。

*2:同ゲームの内と外で活躍する派生アイドルユニットである。

*3:筆者個人の勝手に生み出した俗説であり一般例は存在しない。

*4:察していただきたい。

*5:実際は筆者がそう勝手に睨んでいるだけでもある。

*6:※自分に酔いまくった痛いことを呟くこと。ポエムから転じた隠語。

何故自分はラブライブサンシャインに心惹かれなかったのか

 

 

 ラブライブサンシャインを見終わった。
 そして最後まで見た結果、別にこの作品に対して自分が怒っているわけではないことがわかった。嫌っているというわけでもないことも。
 作品としての出来や筋書きに大した不満があるわけでもない。いや、やっぱり多少はあるかもしれない。しかし、概ねないと言っていい、本当に。それが何かの理由になるほどの感情でないことは確かだ。
 ある程度の納得すら得られたと言ってもいいくらいだろう。
 そうだ、アニメを最後まで見ることで、ラブライブサンシャインAqoursに対して自分は確かに理解と納得を得られた。
 しかしその上で、また改めてハッキリと理解(わか)った。
 自分はこの作品とユニットにどうにもアツくなれないし、これから先アツくなることもないのだろう、と。
 何故だろうか。正直自分の中のそういう気持ちは自分自身きっちり原因が理解出来ているようでもあり、ひどくふわふわした曖昧なものであるようにも思える。
 そこで、今回血反吐を吐くような思いでそれを自分の中から引きずり出して言語化し、纏めてみることでより深い納得を得たいと考えた。そのために、今これを書いている。
 何より、この作品に対してモヤモヤしたスタンスを取り続けるのも疲れたので、正直ハッキリとそういうものを示しておきたくもあった。
 自分はラブライブが好きだ。μ'sが大好きだ。人生の中の大切なものを結構な量捧げ尽くしたと断言出来る程には。
 しかし、だからと言ってそのままサンシャインをも受け入れ、愛せるわけではないのだ。
 もしこんな長文クソポエムに興味を抱き読んでくれている方がこの向こうにいるのならば、世の中にはそういう人間もいるのだということも理解していただきたい。
 そして、そうなってしまった理由と原因も。

 

 

 

 しかし、出来と話に概ね文句はないと言ってしまった。
 それに嘘はない。やれる限りの結果は尽くした作品だっただろう。
 では一体何が自分の心の中で引っ掛かっているのだろうか。
 正直、原因は自分でも既にわかっている。それはアニメが始まってすぐにわかったし、もしかしたらそれ以前から薄々感じていたことでもあった。
 自分がサンシャインにアツくなれない一番の原因、それはこの作品がウソをついている作品だからである。
 サンシャインはウソをついている。
 いや、正確には『自分達が現実的に置かれている状況と作品内で描かれている立場に大きな乖離が生じている』と言った方がより正確だろう。
 それを指してウソをついているとは少し強すぎる表現かもしれないが、ある種の真実ではあるので敢えてこの言葉を使わせてもらう。
 ではそれはどういったウソなのかと言うと、別にそれは何ら複雑なことはない、拗れてもいないし、悪辣というわけでもない、内容は至ってシンプルだ。

 上に一度書いた言葉で全て表されているが、よりわかりやすく言うならこうなる。
 つまり、『サンシャインという作品――あるいはAqoursというユニットは現実において数万人規模のファン層を抱える圧倒的大人気アイドルグループでありながら、物語の中においては単なる片田舎の駆け出しスクールアイドルとして描かれており、両者の間には大きな隔たりが生じている』ということである。
 それこそがサンシャインのついているウソであり、自分がサンシャインについてどうにも引っ掛かりを感じる原因であり、全ての問題における結論でもある。
 では、一体それのどこが問題で、何故自分にとって全ての原因となり、自分の中のサンシャインへの印象に暗い影を落としているのか、以下から順を追って説明していこう。

 

 


 とはいえ、それについて説明出来ることなど本当に言葉少なく済んでしまうのだ。

 だってそうではないだろうか? 本当は全員が理解しているのではないのか?

 現実には彼女達は映画は興行収入28億、関連映像メディアの売上は数えるのも馬鹿らしく、数十万人を動員するようなライブを行えるようなコンテンツ。

 その正統なる続編として、前作が築き上げてきたそんな基盤をそっくりそのまま受け継いでいる。
 そんなユニットなのだ。そういうユニットのはずなのだ。
 しかし、アニメや誌面の向こうの彼女達はまるでそんなことはなかったかのように駆け出しで、何も持たない新人アイドルのように振る舞っている。
 自分にはこの両方の間に存在するギャップがどうしても受け入れがたかった。
 現実と物語の差異が余りにも大きすぎるように思えたのだ。
 いや、しかし、それを言うとそもそも何故現実と物語を混同して見ているのだという指摘が飛んでくるかもしれない。
 「フィクションとリアルが同じじゃないのがイヤ!」とか、正直自分で今書いてても(頭大丈夫かこの人……)と思わないこともないほど荒唐無稽な論であることはわかっている。
 だけれども、だ。
 だけれども、その荒唐無稽をやってのけたからこそラブライブとμ'sはあの場所まで登り詰めることが出来たのではないのか。
 勿論あんなものは一回こっきりの奇跡でしかないし、一度しか成し得ないことであるのはわかっている。
 全く同じことはどんなユニットにも出来ないし、最初からしようと望むべきではないだろう。
 しかしだからこそ、サンシャインとAqoursにはそんな自分達の置かれた特殊な状況、殆ど逆境と言っていいほどのものを自分は正直に描いて欲しかった。
 逆にそんな環境や出自を利用して力に変えて、μ'sでも描けなかったAqours独自の物語を描けたはずだし、それをこそ期待していたのだ。
 だが、現実は片方、二次元の方が現実に対して背いてしまった。
 両方の描いていく物語が重なってこそ初めて奇跡が起こる可能性が出てくるのに、片方がウソをついてしまったらそれは達成されないだろう。
 μ'sとは違う立場としてμ'sと同じ手法を用いないためとも言えるかもしれないが、その結果が一方をウソにしてしまうことというのなら、それはむしろ退化なのではないかと個人的には思うくらいである。
 無論、そうしたラブライブとμ'sの手法こそが至高というわけでは勿論なく、全てがフィクションだと理解した上で楽しむ、楽しめる作品も数多く存在している。というよりは、むしろそっちの方が基本であろう。
 先達であるアイドルマスターや同期であるアイカツなどはそういったあくまでもフィクションの中の世界を楽しむ作品である。
 そういう作品達とこれからは同じやり方でやっていき、同じ土俵に立つことにしたと本気で言うのならば別にそれについては文句はない。
 しかし、実際はどうだろうか、どうにも中途半端に以前からのラブライブとしての手法にも引き摺られてしまっており、どっちつかずなことになっているように個人的には思えるのだ。
 それをやるならば徹底的にAqoursとしてやればよかった、いややるべきなのに、半端にμ'sと同じ軌跡を辿らせようとしているせいでどうもチグハグなことになっている気がする。
 そして、そうなっている原因もなんとなく理解出来るような気もするのだ。
 結局のところ要はアイドルものとして一番美しくておいしいパターンがその『何もないところから始めて、全力で走る』というものなので、失敗を許されない立場的にもそこから外れた新しい物語というものを描くという博打が打てなかったのではないだろうか。
 あるいはラブライブとμ'sが作り上げてきたそんな物語が最早伝統と化していて、それに一番囚われてしまっているというのもあるかもしれない。
 いずれにせよサンシャインのアニメにはシリーズとしての伝統や形のない御約束から本当は脱却したいと願いつつも、結局それに囚われざるをえないというパラドックスが全体に漂っていた。
 そして、作中でサンシャインとAqoursが唯一叫ぶことの出来た自分達の真実こそがそれを最もよく表している。
 私達は0だ。私達はまだ何も築き上げられていない0だから、1になりたい。
 自分にとって完全なフィクションの中で唯一、現実と重なって見えた主張はそこだった。
 μ'sと同じじゃない、μ'sとは違う、Aqoursとして私達は見られたい。
 クライマックスに掲げられたそのテーマからは、そんな悲痛なほどの叫びが聴こえてくるようだった。
 『0から1になりたい』というよりはむしろ、『自分達が0だということを認めてほしい』と叫んでいるようにすら感じた。
 ……確かにその主張には納得も理解も出来た。それこそ一つのAqoursの真実なのだろう。
 だけど、それをよりにもよってμ'sが築いて、μ'sが遺していった基盤の上に立ちながら叫ぶのか。
 無理なのだ。結局どうしたってそこは曲げられないのである。
 μ'sと同じじゃダメなのだというのはわかる。
 μ'sと違う自分達にならなくてはいけないということも、様々な重圧の中で感じていることだろう。
 しかし、逆説的にはその時点ですでにμ'sと違う存在になることが出来ている、あるいはなってしまっているのじゃないのだろうか。
 桁外れの基盤を引き継いでしまった上でどうしていくのか、どう藻掻いていくのかという姿の真実こそが彼女達のオリジナルスターだと自分は思っていた。
 そんな中で、その事実に蓋をして覆い隠してしまい、そこから逃げ出すことで自分達になりたいと願う。
 それもまた一つの方法であり、選ぶことの出来る道ではある。
 しかし、結局は完全に逃げ出せてなどいない。抜け出せてなどいないのだ。
 どれだけ否定したとしても、Aqoursは本当のゼロから走り出しているわけでも、走り出せるわけでもないのだ。
 この規模の基盤の上に立ちながら、自分達には何もないと叫ぶのはハッキリ言って茶番だ。
 他の同類に対して失礼ですらあると言える。
 例えそうした欺きの上にゼロである自分達になったとしても、その上で目指す恐らくの理想像、理想のルートがμ'sのそれと大差ないと思われるのはあんまりにもあんまりではないだろうか。
 元々AqoursにはAqoursだけの、まだ誰も走ったことのないルートを走れる権利と環境があった。
 だが今回のアニメは結局それを全て捨て去って、μ'sが歩いてきた道をまたそのまま辿ると宣言したようなものではないだろうか。
 μ'sになっちゃいけないと呪文のように唱えながらも前作の築いたスタイルにがんじがらめに縛られている様は喜劇を通り越していっそ悲劇的ですらあった。
 そう考えみると、Aqoursが自ら築き上げられたものは何もなく、ゼロであるというのは確かに真実であろう。
 そしてここから、今から、0から1になりたいという叫びの悲痛さも理解出来るところではある。
 だが、そう叫びながらも結局そのフォーマットに乗り続けているのならば、それは真実ではなく単なるパラドックスでしかないのだ。
 Aqoursが本当にただのAqoursとして見られたいのならば、本当のゼロから走り始めたいと願うのならば。
 それならば何故、ラブライブという名前をつけてしまったのだ。
 それは単なる肩書きに過ぎないなどという言い訳は通用しない。
 六年をかけて築き上げられたパターンをそのまま踏襲し、その基盤の上にしっかりと乗りながら、それでもそれをなかったことにしてゼロからの存在として応援してくれというのは、ハッキリ言おうただのウソだ、ウソっぱちでしかない。
 たとえ全てに目をつぶりそれに乗ってみたところで、結局その存在が辿る道と見ていく景色は以前のそれと恐らく大して変わりがないのである。
 というよりは、あらゆる誰かが逸れようとする度に何度も舵を切り直してそのルートを辿らせようとするのだろう。
 そうしてたとえ形だけは同じでも、明らかなウソが混ざって歪になってしまったその景色をどうして再び見たいと願うだろうか。
 それをして結局、致命的な"ウソ"が根底にある作品ということであり、自分がサンシャインとAqoursにアツくなれない恐らく一番の理由であるのだ。

 

 


 さて、ここまで散々にサンシャインとAqoursを悪し様に罵ってきてはしまったが、じゃあ全ての責任が彼女達にあるのかというと必ずしもそういうわけではない。
 それなら誰が一番悪いのだろうか? 誰のせいでサンシャインとAqoursはそうなってしまったのか?
 実はアツくなれないその原因がわかった後で、さらにそうなってしまった元凶を考え続けていると、これはどうも結局ラブライブとμ'sのせいなのではないだろうかという結論にどうしても辿り着いてしまうのだ。
 Aqoursがμ'sの作り上げた基盤を引き継ぎ、維持するための存在であるという切り離しきれない自分達の真実を、真っ当で綺麗な物語にするためには結局のところμ'sの協力、あるいは御墨付きを与えるような何かが必要不可欠だった。
 実際Aqoursアイマスアイカツにおいて描かれたような輝きのバトンを繋ぐ物語においてこそ、最も自分達の魅力を発揮出来るように作られた存在であるのだ。
 しかし、そんなアイドルもの恒例の輝きの継承をμ'sは劇場版――あるいは自分達の終わりにおいて断固として拒否してしまった。
 それは今までのアイドルもので誰もなし得なかった新しい形であり、また素晴らしい思想だったと個人的には信じているのだが、結局ことAqoursにおいては自分達の存在を歪めさせる原因となってしまったのではないかと今にして思う。
 μ'sは、自分達の築き上げたものを誰にも受け継がせることなくこの世を去ることに決めた。
 というよりは、その築き上げたものを己の地位ではなくスクールアイドルという存在全ての向上に転換させて、それが正しく伝わることを願って幕を引いた。
 そんな物語の後で、それはそれとして次はこの子達が作品の名前を背負って活動しますので、と言われても「いやちょっと待ってくださいよ」とならざるをえないだろう。
 後継者を指名しなかったからこその美しさの後で、明言はせずとも実質的後継者が存在してしまったら、それは矛盾としか言いようがない。
 構造的な歪みだ。ウソである。
 つまり、サンシャインとAqoursのウソはそこから始まってしまっていると言っていいだろう。
 その上で更に不幸なことは、サンシャインとAqoursが恐らくそんなμ'sの描いた理想を誰よりも理解しており、尊重しようとしてくれていることであろう。
 その輝きは誰しもに平等に配られた、だからこそ自分達は後継者を名乗らないし名乗れない。独立した存在であるべきだ。
 不自然なほど互いに触れ合わない現実でのμ'sメンバーとAqoursメンバーというのも、そんなラブライブが描き出した理念を守るための努力なのだろう。
 その意味では、サンシャインとAqoursに関わる全ての人間は最大級の努力をしてくれていた。
 最後まで見ることでアニメ本編に対してもそう感じることが出来た。
 同じものを守ろうとしてくれていたことは、本当に感謝して然るべきだろう。
 そして全てがフィクションの中のものとして許される世界であったなら、サンシャインとAqoursは続編としてこの上なく正しく、美しいものだっただろう。
 しかしもう一つ重ねて不幸なことに、同じ名前を抱く以上この作品はラブライブとしての特色をも果たさなければならなかった。
 則ち、現実でのユニットもまた物語の中のユニットと歩みを同じくするというものである。
 だが、現実では物語と同じくまっさらな駆け出しであることも、輝きを継がない独自の存在であることも許されない。
 許されないし、なれるはずもなかった。
 何もない場所から駆け上がろうとする物語の方のAqoursに対して、現実の方は結局駆け上がりきった後のレールを維持するAqoursなのだ。
 そうしてここに致命的なウソがどうしても発生してしまうのだ。

 

 


 けれど、そんなものは結局作品を楽しむ上では全く大した欠点ではないのかもしれない。
 大多数の人にとってもそのはずだ。それはわかる。
 だけど自分が大好きなアイドルは、大好きだったアイドルは、大好きだった作品は、二次元の向こうの存在と現実でのこちらの存在が手を取り交わっていたからこそ好きだったのだ。
 真実と虚構の境界が混ざって曖昧になったその中で、一緒に一時の夢を見ることが出来たからこそ好きだったのだ。
 そして、それはやはりどちらかが片方に対して明確なウソをついてしまっていては成り立たない類いの奇跡なのだ。
 それなのに、その幻影にすがるように無理矢理それを目指そうとするところを見ると、やはりどうしようもなく冷めてしまうのだ。
 Aqoursには、真実のAqoursとしてそうすることの出来るきっと理想的な形があった。
だがそうさせなかったのは他でもないμ'sだ。
 μ'sが自分達の理想を実現させたがために、そのツケを全部Aqoursが被ることになったのだ。
 どうにも、何度考えてもそういう結論に至ってしまう。そして恐らくそれは何より正しい。
 そして、正しいが故に、人間の小さい自分にはどうしても認め難いものがあった。
 自分はμ'sが終わり際に描いたあの理想を何よりも美しいと思ってしまった。
 そして、そうすることの出来たμ'sが大好きだった。
 しかし、それが結局はサンシャインとAqoursという存在に尻拭いを押しつけたが故のものだと自覚することはあまりにも残酷すぎた。
 自分はとどのつまりそんなAqoursを生け贄として捧げる行為に自ら荷担した上での感動にどっしりと身を置いていたわけなのである。
 それを思うと非常に心苦しくある。
 罪悪感も責任感も重すぎるほどに覚えてしまう。
 そんな理由から、Aqoursを真っ直ぐ見ることが出来なくなってしまっている自分というのもいるのだ。
 しかし、そうは言ってもそれは流石に自分の考えすぎや思い詰めすぎという側面の方が多分にあるだろう。
 サンシャインとAqoursにしても、これまでのアイドルものの類型としての輝きの継承というストーリーが本当に彼女達にとって理想的な形だったのかも誰にもわからないところではある。
 また、ウソがあるからといってじゃあ今の形が美しくないのかというとそんなわけは勿論ない。
 そして、必ずしも物語の中と現実との二つのAqoursの間にウソしか存在していないというわけでもない。
 その最たるものが、クライマックス付近に持ち上がった作品テーマとしての『0から1へ』なのである。
 きっと様々な重圧やしがらみ、制約を背に、それでもその一つだけは中と外で重ねて進んでいく物語なのだろう。
 大きすぎる何かの去った後で、必死に藻掻く者達の物語。
 それがサンシャインとAqoursなのかもしれないと、アニメを最後まで見てから色々考え続けてようやくそういう結論に至ることが出来た。
 そして、それもまたラブライブとμ'sのそれとは違う、彼女達のオリジナルスターとして面白く思えるようになっていくのかもしれない。
 いずれにせよ、頑張って欲しいと思うことは確かである。
 しかし、そうは思えても、結局自分にとってどこまでいってもその感情は同情からのそれでしかないのだ。
 今では本当に、サンシャインとAqoursが嫌いなわけではない。
 かといって、やはり心からアツくもなれないのだ。
 苦境や逆境に立たされる中で健気に頑張る姿に同情はすれども、心を掴まれ、魅了されての応援という段階には至れなかった。
 そして、同情だけでしかない応援を理由に入れ込むことは、確実にどちらにも悪い結果をしか残さないだろう。
 だからこそ、もう静かに手を引く。
 アニメの放映中はさんざっぱら振り回されダークサイドに堕ちかけたりもしたが、ようやくまたこの結論に戻ってくることが出来た。
 ラブライブサンシャイン、今こそ言おう……アニメ面白かったし好きだったよ。本当に。
 だからこそ、身を引いてクールに去るぜ。
 これからサンシャインとAqoursの歩いていく道が何かの1となれることを本当に願っている。
 その輝きを遠くから眺められる日が来ることを祈って、年に二枚くらいのハガキならキャッチするくらいの距離で過ごそう。
 それがようやく辿り着けた、サンシャインへの自分の立ち位置である。
 つまり一言で纏めると『クソめんどくせえオタクがごちゃごちゃ絡んできたけど何か勝手に納得して立ち去っていった』ということになる。
 それでいい。それでよかったのだ。
 そういうことにしておいて欲しい。