もういい加減エビストのライブの感想をブログの記事にするのやめたいんだけどやっぱりまた書かされてしまったやつ(6thライブについての感想)

 5thの時にもう少なくともハニプラのライブについての感想をブログに書くことはないだろうと思っていた(し、実際5thは書いてない)んですが……。
 あれはやはり浅はかな予測だった。6thライブについての個人的感想を今から書かされます。
 そもそも5thについて書かなかったのは、自分が何を書くまでもない程に良いライブだったからだ。もう敢えて自分が何を言わずとも見た人が全てを理解できるようなライブが8/pLanet!!の5thライブだった。
 だったら以降はどのライブもそうなるはず。なのに何故6thについては再び編集画面と向き合わされているのか。
 その理由は別段大したものではない。6thについて感じたことをどうしても言葉にして書き残しておきたかった。それだけである。
 まあ、結局そうさせられるくらいには素晴らしく、衝動を湧き起こさせるライブだった。
 ので、もう何度目になるのかわからないその衝動と共に、6thによって得た自分の感動、というかお気持ちを綴っていこうかと思う。

 

 

 


 結論から書く。
 まず今回の8/pLanet!! 6thライブがどういうライブだったのかというと、〝至ってスタンダードなライブ〟であった。
 二次元アイドル――このジャンルのコンテンツのライブとしては非常に教科書通りの手堅い内容や構成。
 奇をてらった演出や斬新な試み等は一切ない、とてもシンプルでベーシックなものとして作られていたように思う。
 では、結局そんな風に8/pLanet!!の6thライブは何の変哲もない、極々普通のライブだったのかと言われるとそれも違う。
 本当に単なる普通のライブだったのであれば、今更再びこうして感想を書かされてしまうようなことはなかっただろう。
 つまり、内容的には普通のライブだが、その実態は普通ではなかったのだ。
 正確には、そういったスタンダードな様式というものを可能な限り極限まで研ぎ澄まし、磨き上げたかのようなライブだった。
 謂わば、ド真ん中へのストレートボール――それを徹底的に突き詰めて強化し、決め球へと昇華させたような感じと表現するべきか。
 それが8/pLanet!!の6thライブに対して自分の抱いた印象であった。

 

 

 

 

 さて、そう耳障りのよい表現してはみたものの、極論すれば今回の6thライブは『出来はいいが、捻りのないスタンダードなライブだった』ということでもある。
 その出来――クオリティーにしたって、同ジャンルの大手コンテンツであればこのライブ以上のものを叩き出しているのだろう。
 だと言うのに、今回そんなライブに対して何故こんなにも自分は衝撃を受けて、あまつさえ見事に感服させられてしまったのか。
 それには色々と複雑な心理的事情や状況的な理由があり、複数存在する別々のそれらが奇妙に絡み合うことでその感動が形成されているのではないかという自己分析に至った。
 その様々な事情や理由の込み入り具合というか、絡み合い方が結構面白いものだったので、エビストに関する一つの記録としてまたもやそれを書き残しておこうというのも今回の目的の一つである。
 では、以下からその事情や理由がどういったものであり、果たして今回の6thライブへの印象に対してどういう影響を与えているのかを分析していこう。

 

 

 

 

 まず最初に……そもそもの話なのだが、個人的には6thライブに対する期待値が開催前はかなり低かったことを正直に告白しておく。
 一応ファンの端くれでありながら薄情にも程があるのだが、そうなってしまってもある程度仕方ない状況だったという釈明もさせていただきたい。
 というよりも、6thライブにここまで感銘を受けた原因は結構な割合でその事前の期待値の低さと実際のライブの素晴らしい出来との振れ幅にあったりもする。
 なので、今から書いていく『6thライブの評価に繋がる複雑な事情や背景』というのは、殆どそのまま自分の6thライブへの期待値が低かった理由を説明していくものとなる。
 その全てはあくまでも自分の個人的な心境や印象でしかなく、6thライブ直前までのエビストの現状や全てのファンの心理に正確に当てはまるものではないことを理解した上で読んでもらいたい。
 結局のところ今回は自分の心の移ろいというものを書き残すことが目的の感想文なので、そう御容赦いただきたく思います。

 

 

 

 

 それでは、6thに対する期待値が低かった理由を順に挙げていこう。
 まず第一の理由は、『近年のエビストが変化球ばかりを好んで投げていたから』というものになる。
 5thライブ以降のエビストは二次元アイドルとして王道の8/pLanet!!よりも、どちらかと言えば邪道である2_wEiとB.A.Cを中心にライブイベントを展開してきた。
 その時期、およそ二年半。真っ当な二次元アイドルコンテンツとしてのライブではなく、エビストにしか出来ない独自の形式のライブや表現にばかり注力していたのだ。
 これは流石にもう「もしかしたらエビストは今後この路線だけを突き詰めていくつもりなのでは?」という憶測に至ってもある程度仕方のない状況だっただろう。
 別にそれに対して不満があるわけでもなかった。実際、そのエビストだけの独自路線といえる2_wEiやB.A.Cのライブは手放しで評価できる興味深くも面白いものだった。自分だけでなく、広くファンの間での評判も上々だったと思う。
 これまでのハニプラのライブと比較しても、案外この変化球のライブの方が王道の直球よりもクオリティーが上なのではと思えることもあった。
 そこに制作側の入れ込み具合の差を意識してしまうのも無理からぬことではないだろうか。もしかして運営が本当にやりたいことはこっちの変化球の方なのではないか。だからこそ、こちらのライブの方が出来が良いように見えてしまうのではないのかと。
 なので、相当な期間ご無沙汰だった王道的なハニプラのライブを本当に同じくらいの真剣さでやってくれるのかどうかについてかなり懐疑的にならざるを得なかった。
 誤解の無いように言っておくが、別に運営側を責めているわけではない。自分自身このエビストの放る変化球も当然好きだ。それを力一杯のびのびと投げてくれることに不満は一切なかった。
 ただ、同程度の力を込めて直球の方も放ってくれるような王道に対する熱意が今のエビストにあるのかどうかを疑わしく思っていただけである。それが6thへの期待値の低さに繋がっていたという話なのだ。
 それに、エビストが5th以降の活動において変化球ばかりを放らざるを得ない社会的情勢による事情というものもあった。
 そこら辺が色々と落ち着くまでは安易にこれまで通りのスタンダードなライブを以前と遜色なく開催するのは素人目に見ても難しいということは察せられていた。
 だからこそ、エビストも様々な社会的制限の中でやれることを模索した上で、時勢を逆手に取った変化球を積極的に放るというスタイルに舵を切った側面もあるのだろう。
 そして、悲しいことにそれすらもまた6thの期待値を下げざるを得ない理由であった。
 制限の中で行われる、これまで通りのスタンダードなライブは果たしてどうなるのか。
5th以降の時勢を利用した変化球的なライブに並ぶことが出来る面白さやクオリティーを発揮できるのかどうか、個人的には不安の方が大きかった。
 むしろ、本当にこれまでハニプラがやってきたようなスタンダードな形式のライブになるのかも怪しいかもしれないと密かに睨んでいた。遂にハニプラにおいても変化球に手を出すつもりなのではないかと。
 なにせ、最近では変化球嗜好が行き過ぎてある種のアナーキズムに傾倒しかかっていたエビストである。果たして今更まともな二次元アイドルコンテンツとしての思想に立ち返ることが出来るのか、失礼ながら疑わしく思っていた。
 とにかく、以上が第一の理由であった。

 

 

 


 しかし、そんな勘繰りをしていたところに思いっきりぶつけられたのが、あの6thライブだったのである。
 変化球的な手法など一切用いられていない、まったく何のてらいもない王道のド直球。どこまでも基本に忠実で、限りなく純粋な二次元アイドルコンテンツとしてのライブ。
 そりゃギャップでやられますわ。驚きと衝撃で撃ち抜かれるでしょうよ。あのエビストが!? ここまで真っ当で優等生的とすら言えるようなライブを!?
 この時の気分を例えるならば『傾奇者の前田慶次が作法に則った格好と態度で自分の前に現れた時の豊臣秀吉』である。

マジでこれ


 とにかく、この二年半、世間に対して斜に構えて反抗的な態度を貫き、時には真っ向から噛みついてすらきた二次元アイドル界の狂犬と呼んでもいいようなエビストくんからこんなにも真摯で綺麗なライブをお届けされた衝撃たるや相当なものだったことをどうかご理解いただきたい。出来れば共感もしていただきたい。
 しつこいようだが、別段自分は二次元アイドルとしてスタンダードな形式のライブだけを神聖視しているわけではない。変化球を放るエビストのこともその尖った生き様故に愛している側面もあるくらいに好ましく思っている。
 だが、それでもこのドロッドロの邪道に浸かりきったこれまでの状態から一転、どこまでも清く正しい王道に立ち返ってきた時の落差には素直にやられてしまった。
 恐らく、5thから予定通りのスケジュールで6thを開催出来ていたとしたら、ここまでスタンダードなライブであるというそれ自体に胸打たれることはなかっただろう。
 あくまで混沌とした世の中という昨今の社会情勢と、そんな中でどこまでも反抗的な態度を貫くが故に近年妙に殺伐としていたエビストのライブの雰囲気という状況があった上で、それらとの間に発生したギャップにより著しく増幅された感動である。
 今まで散々世間を斜めに見ては腐して時に嘲笑ってきたのが、まるで全てなかったかのように美しく無垢な今回のライブを繰り出してきた時は思わず膝を打ってしまった。まんまとしてやられた、そう感じた。
 下手をするとこのギャップを最大限増幅させることを狙って、最近のような展開をずっと仕掛けてきたんじゃないかとすら疑ってしまう。まあ、それはいつもの考えすぎだろうけども。
 だが、やはり、この落差や温度差の中にはある程度意図的にそれを狙ったものが存在しているようにも思える。
 何故ならば、あの運営が心の底からアイドルの美しさを信じて、この真摯なライブを作っている――そんな純粋で清らかな精神をしているとは到底信じられないからだ。勿論いい意味で、だが。
 世界を嘲笑うB.A.C、世界に楯突く2_wEi、世界を正しく生きようとする8/pLanet!!。この三つのユニットの在り方をどれにも偏らず均等に描くためには、その全てを俯瞰的に眺めている必要があるだろう。どれにも入れ込みすぎることなく、である。
 もしもどのユニットのスタンスも全てが心から正しいと信じて作っているのだとしたら、とんでもないサイコパスか多重人格者である(こちらの説にも捨てがたい魅力はある)。
 話が逸れた。とにかく、肝心なことは6th開催前のコンテンツが纏っていた妙にすれた雰囲気や態度と、実際に開催されたどこまでも真っ当で王道な6thライブとの間に相当な落差、温度差があったこと。
 さらに、それによって通常よりも増幅された精神的衝撃が自分の中に発生したこと。
 それはある程度向こう側が作為的に仕掛けたものなのではないかと個人的には疑っていること。
 要するに、ここで言いたかったのはそういうことである。

 そして、何よりも大事なのはその全てが自分にとても味わい深い感動をもたらしてくれたことである。
 恐らく、これによって本来以上にこの6thライブを面白いと思わされてしまった気がする。
 そして、そのことを今まで味わったことない奇妙かつ新鮮な感動として書き残しておこうと思ったからこそこうして長々と文章にしているのだ……と。まあ、第一の理由について書くのはこれくらいにしておこう。

 

 

 


 さて、それでは第二の理由にいこう。
 これはかなり生々しい話になるので率直に口にするのもどうかとも思われるのだが、濁したところでやはり意味も無いので正直に書く。ずばり『金の問題』である。

 いや……それでもやはりもうちょっと取り繕った話から入ることにしよう。
 まず、6th開催前までの個人的な見解を示しておく。『8/pLanet!!のライブは5thが今までで最高の出来だった』。
 様々な異論はあるかと思われるが、感情的なものを一切交えず単純にライブとしてのクオリティーだけで比較した場合の話である。
 5thは本当に素晴らしかった。シンプルにステージ演出やパフォーマンスなどの総合的な完成度が高かった。まあ、ハニプラとしては一番最新のナンバリングライブとなるのだからそれも当然かもしれないが。
 そう、本当に素晴らしかったのだ。恐らくこの5thライブがこれくらいの規模のコンテンツで開催できるライブとしては一つのゴールではないだろうかと思ってしまうくらいに。
 言い換えれば、あまりにも出来が良すぎてここが頭打ちのように思えてしまった。これ以上のライブを目指すなら、今後この時点でのそれよりも更にコンテンツの規模が発展している必要があるだろう。
 そう思わされるくらい、5thライブはこの二次元アイドルというジャンルの中の中堅コンテンツとしてやれる限界まで到達してしまったライブだった。と、個人的には感じた。
 だからこそ、6thライブは果たしてこの5thライブを超えられるのかどうか、かなり不安に思ってしまったのだ。
 何故なら、エビストはまさしくこの5thライブの時が一番景気の良かったコンテンツだからである。
 言うまでもないことだが、大きなライブを開催するためにはそれ相応のコンテンツとしての人気が必要だ。集客も見込めないのに広い会場を使うことは出来ない。
 同様に、ライブの品質も規模に応じた予算内に収めるしかない。豪華でリッチな内容のライブをするには相応の資金を稼ぎ出せるコンテンツとしての規模が要る。
 幸いにして、エビストは1stライブから5thに至るまでじっくりとではあるが順当に自身の規模と人気を拡大してきた。ナンバリングライブの数字を進める毎に、以前のそれよりも着実に内容を進化させてきた。
 様々な施策を重ねて、どうにかこうにかファンを増やしてコンテンツを発展させてきたおかげである。その発展の最高到達点こそが5thライブを開催した時期だっただろう。
 なので、6thライブを5thを超えるものにするためには当然この時よりも更にコンテンツの規模と人気が拡大されている必要がある。
 だが、あくまで客観的に見た上で包み隠さぬ印象を述べさせてもらうならば、エビストの規模と人気は5thから6thまでの間にさしたる伸張を見せてはいなかった。どう贔屓目に見てもそう考えざるを得なかった。
 それは当然と言えば当然でもあった。その期間にコンテンツには大きな動きらしい動きが殆どなかったのだから、拡大のしようがない。近年はアヴァンギャルドなTシャツを売るアパレルブランドとして糊口を凌いできたとすら半分冗談で言ってしまえる状況だった(半分は本気でそうかもしれないと疑っていた)。
 実際の数字がどうであるのかは運営側ではない単なる一ファンでしかない以上何とも言えない。
 ただ、その一ファンの肌感覚としては良く言って5thの頃から規模的には変わらず停滞していると感じられた(そんな風に維持できているのも案外大したものではあるのだが)。

 しかし、そんな現状にある致し方ない事情の一つに5th以降一変してしまった社会情勢というものがある。そこを汲めないわけではない。わけではないが、事実は事実である。それはどうにも無視できないし、覆しようもない。
 エビストは5thライブの時から6th開催までにコンテンツの規模と人気が大して変化してはいなかった。なので、果たしてそんな状況で5thよりも内容的に進化したライブを届けられるものなのかどうか疑わしかった。
 要するに、第二の理由とはそういうことになる。
 しかも、この近年の社会情勢というのもその疑いに拍車をかけてしまっていた。
 これによって現在のライブというものは楽しむ上で様々な制限を課されてしまっている状況にある。そんな制限がなかった時と比べると、楽しさや盛り上がりの面でどうしても物足りなく感じる部分が出てくることは否めないだろう。

 だと言うのに、一番出来が良かったとされる5thライブはその制限がまだ存在していなかった頃にのびのびと行えたライブだったのである。
 ただでさえ5thライブを超えることが出来るのか相当難しいかもしれないというのに、その上かつてはなかった制限付きとあってはますます不安は募る。
 これらに関連する不安の種はもう一つあった。金……言い換えてコンテンツの規模と人気に関しての問題に加えて、今度は『やる気』の問題である。
 5thライブ時点のエビストに一種のゴールへの到達、あるいは頭打ち的なものを感じたのは実はライブの内容に関してだけではなかった。
 コンテンツとしての規模と人気、それ自体も案外ここが限界点かもしれないという気配があった。
 無論、エビストのポテンシャルがこんなところで留まるものではないことを今でも自分は信じている。そういう話ではなくて、今のコンテンツの展開だけで到達できる限界はここまでかもしれないという気配を感じたのだ。
 ここより更に上を目指すのであれば、何らかのもっと大きく踏み込んだメディア展開が必要なのではないかと感じた。アニメ化や、あるいは更に積極的な宣伝活動、それらの後ろ盾となる強力なスポンサーの獲得などである。
 そこから生み出される勢いを利用して越えなければならない壁がこの先にあるように思えた。その壁を越えなければ今以上の規模と人気には辿り着けないような気がした。
 そうだというのに、6thライブまでのエビストにそれを目指すような動きは一切見られなかったことは前述した通りである。一体何故なのか。
 実はそれについては、近年明らかになってきた『エビスト運営はどうも反商業主義的な傾向がある』という疑惑が原因ではないかと考えられた。
 この疑惑に関しては何故かすでに自分の言いたいことを過去にまとめてくれていた先人が存在したので詳しくはそちらを参照されたい。

m-kichi.hatenablog.com

 その内容をかいつまんでここに書くと、『エビストは自分達のやりたいことに横やりを入れさせないために敢えてスポンサーをつけずに今の規模感で留まっているのではないか』というものになる。
 とにかく制作側にとって最優先事項はこのコンテンツを通じて自分達のやりたいこと、表現したい物語を誰にも邪魔されずに完遂することであり、商業的な利益はさほど重要視していない傾向が近年加速しているように見受けられた。
 それ自体については個人的には是としていることは上の過去記事で書いた通りだが、事がライブの品質に関わるようになってくると流石に賛同しきれない面も出てくる。
 きちんとしたライブを開催するにはどうあっても金がかかる。どれだけ商業主義に反発心を抱いていようと、理想を実現するにはそのための費用をコンテンツ自体で商業的に稼がなくてはならない。ジレンマである。
 そのジレンマに対する折り合いの終着点というのも、もしかしたら今のこの状況なのかもしれないと思われた。
 つまり、そのポリシーを遵守するために運営は今の規模と人気よりも上の段階へコンテンツを進める気がない。これより先は自分達の自由裁量権を引き換えにしなければならないからだ。
 そうなると必然的にライブの内容的な進歩もここで打ち止めということになる。進歩に必要な規模と人気が足りていないから当然だ。そして、繰り返すがどうも運営側にそれを積極的に獲得していこうとする意欲はなさそうである。
 要するに、『運営はもうこれ以上ライブのクオリティーを上げるつもりはないのではないか』と、個人的にはそんな推測に至ってしまった。コンテンツの自由度を維持することと、ライブを以前よりも進化させていく=コンテンツの規模を拡大・発展させることとを比較して、前者を選んだのではないだろうかと。
 もちろん邪推にも程がある、非常に根拠に乏しい妄想である。しかし、エビストにそこまでの金がない=コンテンツの規模と人気が5thライブ時点から大した変化がないこともまた厳然たる事実であった。少なくともずっと追ってきた一ファンの視点からすればだが。
 その状況に運営の思想信条が関わっていないとはどうしても言い切れないものがあるだろう。それこそが6thライブへの期待を低くさせる理由の一つである、『やる気の問題』であった。
 さて、第二の理由もまた思いつくままに書いている内にダラダラと長くなってしまったので、ここで簡単に要約しておこう。
 6thライブが前回の5thライブを超えるためには、5th時点でのコンテンツとしての規模と人気を更新していなければならなかった。更新された規模と人気がもたらすコンテンツの利益からより多くの予算を獲得し、ライブに注ぎ込めるようになるからだ。
 しかし、6th開催までに、エビストはどう贔屓目に見ても5thからコンテンツとしての規模と人気が発展しているとは思えなかった。故に、6thライブを5thを超えるものにするための予算の不足が危惧された。
 また、運営側もそのための積極的な動きをこれまで見せてこなかったため、果たして6thライブを前回よりも進歩したものにするつもりがあるのかどうか、『やる気』の面での懸念があった。
 これらが個人的に6thライブへの期待が低かった第二の理由である。

 

 

 

 

 それでは、実際これらの疑念に対して6thライブの出来は果たしてどうだったのか。
 まずは運営の『やる気』であるが、これは幸いなことにしっかりと存在していた。というか、こちらの想像を遥かに超えてありすぎるくらいにやる気があったと言える。そう思ってしまう程の結果を6thは叩き出してくれた。
 とはいえ、運営にしっかりとハニプラの6thライブを前回の5thを上回るものにする意欲があったこと、それ自体は確かに何よりも喜ばしいものだった。
 その点では、自分はすっかり運営の表向きの態度に勝手に騙されていたことになる。まんまとしてやられたというやつだ。

 しかし、それでも一つだけ言わせて欲しい。そもそもそんなところでしてやろうとするんじゃないと。
 ファンを欺こうとするんじゃない。徒に気を揉ませてんじゃあない。これに関してはそう言いたくもなる。いやマジで心配したんだぞ。
 好意的に考えればこの『やる気ないふりしといて実はメチャクチャありました』という落差によって6thライブの内容への衝撃が増していることも確かではある。あるのだが、それにしたって……なぁ!?
 ……まあ、その辺についての話はこれくらいにしておこう。
 それで肝心の6thライブの出来自体はどうであったのかというと、それについてはもはやここで事細かに語る必要もないくらいに素晴らしいものだった。そうとしか言いようがない。

 5thライブを超えられたのかどうかなどと一々考えるまでもなく、6thライブはあらゆる面で5thを上回っていた。進化していた。これについては自信を持って断言できる。
 細かく比較する必要もないくらい、パッと見ただけでも6thライブが5thライブよりも一回り豪勢な内容であることは伝わってきた。
 洗練された生バックバンドによる全曲生演奏。ステージ中央に陣取るありえないくらい解像度の高い巨大ディスプレイ。さらには楽曲ごとに作成されたイメージ映像がそのディスプレイによって後ろで流れるという気合いの入ったリッチな演出。2_wEiのお株を奪うような光学兵器と見紛うほどのギラギラのレーザー投影。きっちりと本番に合わせて磨き上げられてきた8/pLanet!!メンバーの卓越したパフォーマンス。今回も最強に可愛いライブ衣装等々、素晴らしかった部分については枚挙に暇がない。
 これまでの8 beat Story♪が数多くのライブ公演を通じて培ってきた技術、演出、ノウハウの全てを注ぎ込んだまさしく集大成のようなライブが6thライブであった。
 2_wEi、B.A.Cも含めたこれまでの全てのライブの中でも予算のかけられぶり、内容のリッチさでは間違いなく頂点に立つものだろう。ハニプラに対する大きすぎるくらいの愛とこだわりがビンビンに伝わってくるライブであった。

 こうしてまた見事に、そして何とも喜ばしい方向に自分の予想は裏切られ、開催前の懸念は無事にただの杞憂と成り果てた。
 しかし、この点に関しては結局全て単なる自分の勘違いや考えすぎであり、取り越し苦労でしかなかったというオチだけでは済ませられないものがまだ存在している。
 確かに自分は見誤った。間違った推測をしていた。けれども、弁解するわけではないがそれにも仕方のない部分があると思っている。
 何故ならば、この6thライブはどう考えても今の規模と人気のエビストから提供されて当然とはとても思えないくらいに質の高すぎるライブだったのだ。
 今回初めてエビストのライブに参加した方も当然おられることだろう。「ここまでやれるコンテンツだったなんて知らなかった」と衝撃を受けられたかもしれない。そして、「前々から参加してた人はずっとこんな凄いライブを見てきた」のかと思われたかもしれない。
 しかし、断言するが今まで追いかけてきたファンであってもここまでのものを見たのは初めてである。「ここまでやれるとは思ってなかった」という、まったく初参加の方々と同じような衝撃に自分も包まれていたことを素直にここで自白しておく。
 そもそも6thライブを見終わってからいの一番に浮かんだ感想も『明らかにこの規模と人気のコンテンツがやるレベルのライブじゃない』というものだった。
 それ程までに出来が良すぎた。これに関してはエビストの台所事情をある程度察しているようなファンであるほど予測できず、また受けた衝撃も大きかったことだろう。
 だが、そうなるとここで一つの疑問が浮上してくる。
 如何にしてエビストはコンテンツ規模に見合わぬ豪勢なライブを実現させたのか、特に予算の面で……というものだ。

 幸いなことに、その答えは至極単純にして明快なものが公式から提示されている。
 そのためにかなりの『無理をした』のだと。

 冗談としか思えない解答だが、こちらもその自己申告を信じる以外の選択肢はない。それ以外の説明がまるでつかないからだ。
 前回を超える素晴らしいライブにするためにエビスト運営は今回多少の〝無理〟をした。言われてみればまったく単純で、それしかないだろうという方法である。
 では、どうして自分はそんなことすら事前に予想できなかったのか。エビスト運営が6thライブを華やかで立派なものにする、そのためだけに採算をまったく度外視した無理をするということを。
 ……いや、予想できてたまるかそんなもん。いくらなんでも理想の実現のためにそこまで己を投げ打てる狂人だとはこちらも思っていなかった。
 結局、まだまだ自分はエビスト運営のイカレ具合を理解できていなかった。見くびっていた、過小評価しすぎていた。
 自分の6thライブへの感動の中にはこのことに対する衝撃も多分に含まれている。というより、この衝撃が感動を通常よりも増幅させていると言えるだろう。
 それに気づいた時の驚きをこれでもまだまだ全然表わしきれているとは到底思えない。
 とにかく、流石にこれ以上は無理だろうという所からさらに一歩を無理してでも進めてきたことには本当に度肝を抜かれたとしか言いようがない。マジで。

 

 

 


 ということで、今まで長々と書いてきた自分が今回の6thライブに大きな衝撃を受け、感服させられてしまった理由というのを最後に全部ギュッと圧縮して簡潔にまとめておこう。
 8/pLanet!! 6thライブは二次元アイドルコンテンツのスタンダードなライブとして確かによく練られ、洗練された、素晴らしい出来のライブだった。
 さらに、個人的な理由によりその印象はかなり強力に増幅されていた。その感覚と理由そのものが中々特異で愉快なものであったため、ここに書き残しておこうというのが今回の記事の目的である。
 まず第一の理由。近年のエビスト運営は、時勢的な要因もあるとはいえ、2_wEiやB.A.Cなどの二次元アイドルとしてはかなりの変化球的なライブばかり行っていた。
 ハニプラのライブも一度中止になって以降かなりの長期間開催されておらず、運営の心はもはやスタンダードな二次元アイドルコンテンツとしての在り方からは離れてしまったのではないかと疑われた。
 故に、どこまでもスタンダードなスタイルが売りのハニプラのライブに運営が2_wEiやB.A.Cほどの熱を注いでくれるのかどうかについても懐疑的になり、6thライブに対してあまり高い期待を持てずにいた。
 しかし、蓋を開けてみれば実際に開催された6thライブはどこまでも真摯にそのスタンダードさを追求し、磨き上げたものであり、これまでの奇抜なスタイルへの傾倒の面影すら感じさせないものであった。
 なので、普通に提供された場合より何倍もその真っ直ぐで正統派な内容に心打たれてしまった。数年かけて印象づけてきた反体制的な姿勢とのあまりの落差に増幅された感動を受けてしまったわけである。
 そして第二の理由。5thライブの時期をピークにして、6th開催までの間にエビストのコンテンツとしての規模と人気にはさしたる発展が見られなかった。
 また、運営の方もそれを積極的に獲得し、展開を大きくしようする動きを見せてはこなかった。

 それ故に、6thライブ開催にあたっての現在のコンテンツ規模から捻出できる予算と運営の熱意の両面に対する不安を個人的に抱いていた。
 前回の5thライブを超える出来のライブにする、そのための先立つものが今のコンテンツの現状で用意できるとは思えなかったのだ。
 また、そのためにコンテンツの規模を積極的に拡大していこうとする動きも見られなかったので、そういった熱意にも欠けているように思えた。

 なので、6thライブが前回の5thライブ以上のものになるとは信じられず、内容に対する期待は限りなく薄くなってしまっていた。
 しかし、実際に行われた6thライブはどうだったのかといえば、生バンドやその他ライブを彩る豪華機材や演出を惜しみなく注ぎ込んだ間違いなくこれまでで一番豪勢な内容であった。
 つまり、運営は6thライブについて前回の5thライブを超えるものにする熱意がないと見せかけておいて実はバリバリに情熱に満ち満ちていたわけである(何度も言うが意味もなくファンを不安にさせるような見せかけをするんじゃあない)。
 だが、いくら熱意に満ちていても先立つものがなければ実際にライブの内容を充実させることは出来ない。
 その問題を果たしてどう解決したのかと言うと、ただただ単純に己の身を削り、無理をしてそれを捻り出してきたのであった。
 とはいえ、先に書いたコンテンツの商業的な拡大を積極的に求めないスタンスを取りつつ、そのまま採算を度外視して利益を二の次にしたライブを行うというのはまともな商業作品の在り方ではない。まさしく酔狂を超えて狂人の振る舞いに近いと言えるだろう。
 そして、自分はそこまでエビスト運営が狂っていることを見抜けなかった。だからこそ、意表を突かれた、というより度肝を抜かれた。
 こうして普通に6thライブのクオリティーの高さに驚かされる場合より何倍も増大した衝撃を受けてしまったわけである。それは、これまでずっとコンテンツを熱心に追いかけてその台所事情をある程度察していればいるほどより受ける衝撃が増幅されるものであった。
 つまり、8/pLanet!! 6thライブとは今のコンテンツの規模と人気ではありえないようなクオリティーかつ、どこまでも実直で真摯なスタンダードスタイルの二次元アイドルコンテンツとしてのライブであった。
 それらの要素のどれもが今回のライブに組み込まれるとは開催直前までのエビストの様子からは予想できないものであった。故に自分の予測をある意味全て裏切られ、あるいは上回られたことによる衝撃で普通に感じる以上の感動を自分は受けてしまった。
 要するに、そういうことを書き残しておこうというのが今回の記事であった。

 

 

 

 

 ……といった感じで綺麗にまとまったところで、最後にもう少しだけ今回思ったことを書き足して終わりにしたい。
 6thライブについてそういった諸々の要素含めて素晴らしいものだったと感激しつつも、同時に「しかし、そうは言ってもそういう無理の上に成り立っているのは果たしてどうなのか」という考えも頭の片隅には浮かんでしまった。
 たとえば、その無理が末端に押し付けられているものだったならば言うまでもなくアウトだろう。本来かかるコストよりも安く仕事を買い叩き、様々な作業を担当する委託先へその皺寄せがいっている場合である。そうであれば流石に自分も全面的に否定する。ライブがどれだけ素晴らしいものであっても、だ。
 しかし、どうも外から見ている限りでもそういうことはなさそうなのである。
 無論本当の内情については関係者でないので断言は出来ない。だが、少なくともそのような形の何らかの搾取が行われている様子は一見する限りでは見受けられない。コンテンツに携わっている人達は上から下まで妙に和気藹々とした雰囲気で、不満もあまり抱かず仕事できているようである。

 では、一体誰が無理をしているのかというと、これはもうどうやら企画を統括している偉いおじさん達がしているらしいのだ。端から見ている限りでも、その可能性が一番濃厚なのである。
 つまり、コンテンツにおいて一番偉いおじさんが身を削って必要な予算を捻出しているらしい。それも回収できる見込みのある事業への投資としてではなく、採算を度外視した趣味の創作活動に注ぎ込んでいるようなノリで。
 そして、恐ろしいことにそうだとするとまったく問題がないのである。だってそうではないだろうか、幾人かの偉いおじさん達が誰に強制されたわけでもなく自発的かつ個人的に体を張って無理をしているのを本人達以外の誰に止める権利があるというのか。
 我々ファンにしてもコンテンツの発展と出来のいい成果物を見せてもらえることを常々望んではいても、そのためにおじさんに無理をしてくれなどと頼んだ覚えはこれっぽちもない。誰もそこまでしろとは言っていない、そのはずなのである。
 それなのにおじさん達が勝手に命を削って、我々がコンテンツ継続のための対価として払っている金額以上のものを提供してくるのでもはや困惑するしかない。いや、そりゃまあ嬉しいですけれども。

 そんな風に、今のところおじさん達が無理をしていてもこちらには何の損もないのである。悲しいことに、好き好んで自分自身を搾取しているおじさんの姿を見て戸惑いはしても心は全く痛むことがない。尚更止める理由も必要性もないことになってしまう。
 しかし、そうは言ってもその無理がコンテンツの寿命も同時に縮めてしまうこともまた確かだろう。それを考慮すれば、やはり否定的に見るべきなのかもしれない。
 明らかに収入よりも支出の方が多い状態でコンテンツを維持することは出来ない。いくらエビストだってそのはずなのだ。おじさんの無理で今のところそれが補填されているにしろ、やはり限度というものはある。

 とはいえ、である。それも実はコンテンツがまだまだ始まったばかりで若い頃、もしくは二、三年して熟れてきた頃にしか当てはまらないのかもしれない。
 確かに、まだまだここから輝かしい未来が訪れることを期待している段階なのに目に見える無茶によって勢いよく寿命が消費されているならばそれは危険視するべきだろう。
 しかし、エビストはのらりくらりと生き延びてきてもう六年目である。流石にコンテンツの未来、というより行く末については現実的でシビアな見方が混ざり始める。
 あと何年コンテンツは続くのか、8/pLanet!!はあと何回ライブが出来るのか。恐らくそう多くはないだろう。悲しいことだが、時間という絶対的な限界の前ではそれも仕方がない。

 そうなると、その残り少ないかもしれないライブの一つをより素晴らしいものとするために多少の無理をするのはむしろ大いにアリな選択肢だと思えてきてしまう。タイムリミットが近いこの状況であれば、無理はしてしまったもの勝ちなのである。やりたいことも出来ずに終わるくらいなら、後先考えずにやってしまった方が正解……なのかもしれない。特に、こんな御時世では。
 ということで、今のエビストに限ってはコンテンツが無理の上に成り立っていても問題ないという結論にどうしても達してしまうのだった。
 そもそも問題があるとして止めようにも、少数のおじさん達が自らの意志で自分自身を搾取するというある種の倒錯的なプレイめいた狂気のシステムなので誰にも手出しができない。なのでどうしようもない。
 これからも我々は適宜向こうから定期的に要求されるだけの金銭を支払いつつ、明らかに渡した金額以上の何かが返ってくるというこの異常なクラウドファンディングに粛々と参加し続けるより他ない。
 しかし、そうは言っても、やはりおじさん達の無理によって生み出されているものをひたすら享受するだけというのにも一抹の寝覚めの悪さを覚えてしまう。いくら自分達に損はないとはいえども。
 なので、これから先の楽曲サブスク解禁などの珍しく積極的な対外施策によってコンテンツに今よりも人が増え、今後のエビストを支えるものの中からおじさん達の無理の割合が少しでも減っていくことをひたすら祈るばかりである。