現実を侵食する物語 -今の8 beat Story♪で何が起こっているのかについて-
※今回はオタクポエムじゃねえぞ!
残念ながらな……と言っていいのかどうかはわかりませんが、今回の記事はこれまでのようにライブへの感情を吐き出したものではありません。
そして、じゃあいつもの「エビスト面白いぞ!」っていうプレゼンなのかと言われるとそういうわけでもありません。
正直な所、どちらももう十二分にこれまでの記事で書ききったという思いにあるので、たとえ4thライブがどれだけ良いライブだったとしても、いや、むしろいいライブであればあるほど何も書かないでいようと心に決めていました。
その上で、それでももし何か書きたいと思ったならば、書かねばならんという事態に陥るならば、それは余程自分の予測を超えたことが起こった時くらいだろうと思っていました。
そして、今、まあこうして書いているわけですので、つまりはそういうことなのですが……。
起こりましたねぇ……。起こってしまいましたね、予測を超えた出来事……。
なので筆を取らざるを得ない、自分の心を静めるためにも。
さて、じゃあそれがライブの出来に関することならばいつも通りのポエムを書いていたでしょう。
みんなに知って欲しいと思う何かであれば、プレゼンを練っていたでしょう。
しかし、今回のものは実はその二つからきた衝動ではありません。
ありませんが、ある意味ではそのどちらからも衝動がきたと言うことも出来ます。
一体何と説明したものやら、非常に難しい。
そう難しい、なので、今回は言うなれば"考察"です。
「8 beat Story♪」というコンテンツについて改めて考え直し、推察をし、そしてそれを文章としてまとめておく。
そんな必要性が4thライブを通じて生じてしまったので、今こうして筆を取っているという次第なのです。
なので、今回は殆ど自分の思考をまとめておくためのノートみたいな文章になってしまうでしょう。
荒唐無稽かつ突拍子もない推論や仮説ばかりで正直何も面白くはないかもしれません。
ライブの感想で言うのならば、これよりももっと的確でわかりやすく面白いものも既にいくつか存在していますし。
考察にしたって更に短くてわかりやすくまとめられたものが既に書かれていたりもします。
それでも文章として不特定多数へ公開するに辺り、エビストを既に知り、プレイし、どっぷりハマっているという人には、これを読むことでコンテンツに対する不思議を解消する手助けとなり、また新たな考察勢として自分の意見を組み立てて発してもらえるように(何故ならこの件を解き明かすにあたって自分は切実に集合知を求めているからである)。
そして、エビストを知ったばかりの人、あるいはまだ全く知らぬ人にとっては、MMRや月刊ムーでも読むような気分で楽しんでもらえるように。
そうすることが出来るようにという目的も込めて書き進めていこうと思うので、これを読んでいる皆様方にはそこら辺を念頭に置いた上で、以下からお付き合い頂けたならば幸いでございます。
今回のライブで一体何が起こったのか?
そうは言っても、この後の論旨の展開を円滑にする目的でも自分の4thライブに関する感情を少し吐き出しておく必要がある。
4thライブね、良かったよ。良かったです。
良いライブでした。
本来ライブについてならばこれだけで「はい、おしまい!」ということで済んでしまう。
そして別にそれは悪いことでもなんでもなくて、むしろ非常に理想的な形と言えるだろう。
無論、そのただ良いライブというだけで収まらない限界を超えてきた場合は別ではある。
2nd、3rdとエビストのライブについての褒め殺しの感想を書いてきたのは、どちらも事前に自分の中で想定していた出来を大きく越えてきたからだ。
その点でいえば、4thは3rdを見た後ならばこれくらいは当然と思うレベルを設定して観に行ったし、そこには問題なく到達出来ていた。
何よりそういうものを大きく越えるというのは本来非常に難しく、2ndも3rdも凄かったことは確かだが、それが大きな感動を呼んだのは自分の中の設定ハードルが低かったことも要因の一つと考えられるだろう。
その点、4thは全体の出来で言うならば本当に何の問題もなく良かったし、最高レベルに設定していた予想に十分到達していた。
それはこれまで追い続けてきた既存ファンばかりでなく、初めてライブを見に来てくれた人達にも十分楽しんで貰える程のものを与えられていたように思う。
それでも、最高と限界を超えたライブでなかったということに少し寂しさを覚えたり、ガッカリしてしまう人もいるかもしれない。
自分自身もそういう気持ちが全くないというわけでもない。
しかし、詳細は後述するが、それでも悲嘆に暮れる必要もあまりないのではないかとも思える。
何故ならば、8/pLanet!!が最高を超えるべき物語は
さて、そんな風に今回のライブ全体の出来自体は問題なく良かったと自分としては感じたところである。
それでもなお、更にそこに付け加えておかなければならない重要な個人的印象がある。
それは、『ハニプラが100%のパフォーマンスを発揮出来ていなかったのではないか?』というものである。
これはもしかすると、多少ライブについての不満点であるかもしれない。
といっても、ハニプラの歌や踊り自体がどこか精彩を欠いていたというわけではない。
それらは紛れもなく全力だったし、誇れる出来映えだった。それは間違いない。
しかし、そうであってもなお自分の中には何故か「こんなものじゃないだろう」という思いが浮かんだことも事実だ。
そして、その原因は恐らくライブの構成にあるのではないだろうかと推察される。
まず、大きく目につくのはハニプラ全体曲の少なさだ。
ラストのBLUE MOONまで、まさかの一曲も全員集合する機会がなかったのだ。
このライブまでに全体曲には新曲が二つも実装されたというのに、それらも披露されなかった。
どことなく言いようのない不安や閉塞感のようなものを、その構成からは感じられるようだった。
「自分は8/pLanet!!のライブを観に来ているのに……」と思わされるような感じとでも言おうか。
ライブ終盤までその息苦しさのようなものを、自分はどこか払拭出来ないままでいたのだった。
そんなことを感じていたライブだったが、それはまだ見ている途中では最後には払拭されるものだと自分は信じ切っていた。
それでもきっと最後には8/pLanet!!に関する何かしらの嬉しい発表があって、僕達は盛り上がって、メンバーも喜んで、キラキラしてて……。
そして、作品のメインテーマ曲である「ファンタジア」を歌って踊ってライブを締めるのだと。そう考えていた。
そうだ、そうに違いない。だってここまでに一度もファンタジア歌ってないもんね。
許そう。許そうじゃないか、それさえあるならば。
それさえあれば、まだ僕達は明日を元気に生き抜くことが出来る。
8/pLanet!!の今後にも希望が見える。
もう完全にその腹積もりは読めちゃっているぜ運営ちゃん。
今目の前ではメンバー個別の挨拶もなく普通にアンコール最後の締め曲やっちゃってるけど、わかってる、わかってるよ。
でもダブアンやろ? ダブアンあるんやろ? あー、もうそのパターン完全に読めたわ。オッケー声出す準備しとくよ。
はい、メンバー捌けて、会場が暗くなって……よし!
この時点で、自分だけでなく他の観客もそういう読みでスタンバってたことは恐らく間違いがない。
会場に漂う空気が完全にそうだったからだ。「ダブアンいくぞ!」という一体感のようなものは漲りに漲っていた。
しかし、その直後であった。
そんな観客の行動を先んじて封じるかのように、会場の照明が一斉に点灯されたのは。
虚を突かれたようにダブアン用の声を失い呆然とするしかない我々に、更なる追い打ちをかけるような退場アナウンスが流れ出す。
その瞬間の、自分の中に溢れ出した絶望感は今思い出してみても筆舌に尽くしがたい。
その場に膝から崩れ落ちそうになりつつも、何とか踏み止まり、ヨロヨロとおぼつかぬ足取りでとりあえず会場から出た。
何故か途中の物販で謎の焦燥感に駆られながらラバストを三個買い足したりしつつも、外に出て気持ちを落ち着かせようとする。
お台場の肌寒い夜風に当たりながら、自分の心はまるでライブ直後とは思えぬ程に沈んでしまっていた。
今回のライブで自分がハニプラのパフォーマンスに感じた不満と不安のようなものの出所とは、つまりはそういう感じであった。
とまあ、以上のように当日の閉演直後はしばしそうやって打ちひしがれていたのであるが、こうして長々と個人的心情を語ってきて言いたいことが4thライブへの文句なのかというとそういうことでは全くない。
何故なら自分はこの時とりあえず真面目にその与えられた衝撃に打ちのめされながらも、同時に頭の片隅では酷く冷静に、ある可能性について考えていた。
「いや、これはおかしい」と。
「何かかがおかしい……」と。
別にそれはあまりに絶望的な現実を前に、これは事実ではないだとか、夢であることや、幻術にかかっていることや、何らかのスタンド攻撃を受けていることを疑っていたわけではない。
「いくらなんでもここまで不安を感じさせる終わり方をするのは、あまりに不自然ではないのか?」ということについて疑っていたのである。
何故なら先程まで自分が挙げてきた構成的な難のようなものは、少し考えればライブ制作側も事前に気づけるであろうものであるし、解消も容易な程度のものである。
3rdライブにおいてあれほど見事なライブとしての完成度を示してみせた運営が、この程度のことを本気で見落として構成を組んでいたとはどうにも考えづらい。
発表についてもそうだ。
これまで運営は全てのライブ、イベントにおいて絶対にコンテンツについての何らかの動きを発表して、ユーザーの希望を繋いできた。
そのことを思うと、たとえ大々的に発表出来る何かがまだ決まっていないにせよ、その情報開示が一切ないというのは逆に不自然極まりない。
それとも、これらはやはり不利な状況に追い込まれているのかもしれないコンテンツの立ち位置に向き合うことが出来ない自分の現実逃避的な妄想だろうか?
……わからない。考える必要がある。
そう、だからこそ自分は改めてこの4thライブというものと、そういうことを行ったコンテンツの意図するものについて考えていかなければならないのである。
今回のライブで行われたことは一体何だったのか?
さて、というわけでここからは今回の記事の本題であるところの『このライブの裏に隠されている真の目的』について考察していきたいと思う。
まずは、一体今回のライブにおいてどこまでが意図的に仕組まれていることだったのかについて考えていこう。
とりあえず、先にも挙げたようにまずは『8/pLanet!!に関する情報公開がなかったこと』が一番不自然な点であるということだが、これは真っ先に意図的であると判断出来うるものだろう。
いや、まあ、それでも四割くらいは本当にお伝えできることがなかったのではないかという可能性がなくもないのが、この今のコンテンツの立場の怖いところなのだが……。
しかし、たとえそうであったとしても、尚更そういう「伝えられる今後の活動情報がない」というショッキングな事実を、何らかの衝撃的な印象を観客へ与える目的で利用していることは間違いのないことと思われる。
これは確固たる根拠のある結論なのだが、理由は後述する。
次にセットリストの構成についてであるが、実はこれは非常に判断しづらい。
最大限魅力的なセットリストを練った結果全体曲が少なくなってしまっただけという可能性も勿論あるからだ。むしろ、そっちの方が正解かもしれない。
それでも恐らく一つだけ確かなのは、「ファンタジア」が意図的に今回のライブから省かれていたということだろう。
作品のメインテーマであり、8/pLanet!!の支柱とも言える曲。これまでのライブでも絶対に披露してきた大事なものである。
それがなかったというのは、やはりどうしてもそこに何らかの意図的なものを感じてしまう。
特に、前段でも書いたように希望を喚起するような明るい曲調や歌詞が印象的な曲である。
割とこれが流れるだけでも安心してしまうほどの依存がファンの間では生まれてしまっていると思う。
それ故に、それが披露されなかったことによる精神的動揺はやはりかなり大きかったといえるだろう。
事によると全体曲が少ないことによる「8/pLanet!!というユニットの活躍が抑えつけられていた」という印象よりも余程ショックだったかもしれない。
いや、むしろそれらが組み合わさることでよりそういった衝撃が強まるとも言えるだろうか。
いずれにせよ、8/pLanet!!という8人組ユニット関連のセットリストや構成にも、何かしらの目的が仕組まれていた可能性はかなり高いと言えるのではないだろうか。
さて、それではそんな二つの事象が組み合わさることで生まれるものとは一体なんだろうか。
それは一言で言うならば『抑圧』になるだろう。
そんな風に、今回のライブでハニプラは抑圧されている、抑え込まれているといったようなことを感じた人は結構多いのではないだろうか。
というか、まあ自分がそう感じたというのがまず第一なのではあるが。
そして、それはちょっと過剰反応過ぎるのではと言われたら割とぐうの音も出ないわけでもあるが。
それでも、そこに何かしらそういうものを感じさせようとする向こうからの意図がなかったとも言い切れないではないか。
『8/pLanet!!という8人組ユニットは、今何かしら不利な状況にある』ということを観客に印象づけたかっただろうことは、やはり恐らく間違いがないのではないかと思われる。
そして、それは別に大袈裟なものでも、大っぴらなものでもなく、最大限まずはライブを楽しんでもらった上で、それでも心に僅かばかり刺さるトゲのようなものとして用意されていた。
そうなると、ではその抑圧を感じさせるような演出の目的はどこにあるのだろうか。
単純にストレスを感じさせるだけでは、単に「ライブに行ったけど何かいまいちスッキリしなかった」という感想を生み出させたいだけの理解不能なサディズムになってしまう。
しかし実はその目的を解明する鍵は既に明確に、わかりやすく与えられていたりもするのだ。
その鍵とは何か? そう、『
元々今回のライブはハニプラだけのものではなく、2_wEiの乱入があることもあらかじめ公式で通達されていた。
であるならば、今回のライブの演出意図を解き明かすに辺り、この2_wEiの存在を考慮に入れることは必要不可欠だろう。
2_wEiはハニプラにとって競い合ったり、互いを高め合うような好敵手ではなく、明確に打ち倒さなければならない敵として、ライブの直前までにメインストーリーやその他では描写されてきた。
故に、このライブへの2_wEiの関わり方というのもそんな流れを受けての形となっていた。
2_wEiの二人は「キャラクターボイスを担当するキャストがそのまま歌って踊る現実の2_wEiとしても活動する」というハニプラと同じ形のユニットだが、今回はハニプラと違いキャスト個人としての挨拶や自己紹介等はなく、ひたすらゲームのキャラクターがそのまんま現実世界へやってきたかのような演技を引き継いだままのMCを繰り広げていた。
ライブだからという砕けた空気やお祭り的なノリはなく、ひたすら観客の不安を煽り立てるようなシリアスな雰囲気を維持していたと言えるだろう。
そして初出演とは思えぬ、有無を言わさぬような圧倒的なパフォーマンスを見せつけて観客の度肝を抜いていった。
脅威的な敵のまま出てきて、脅威的な敵のまま去って行く。そんな演出で2_wEiの出番は構成されていた。
そして、実は先に述べていた「今後の活動告知がゼロ」というのも、2_wEiにおいてはその限りではなかった。
正確にはハニプラの情報告知がゼロだっただけで、2_wEiの告知だけはちゃんと用意されていたのだ。
彼女達は自らの出番の終わりに、自分達の1stライブが半年後に開催されることが決定した旨の告知をしてステージを去って行った。
さて、以上のような2_wEiの4thライブにおける出番から見えてきて、また同時に感じられることは、2_wEiという存在のハニプラと比して決して劣ることのない実力と、コンテンツにおけるこれからの流れの大勢が彼女達に傾きつつあるという現状である。
2_wEiだけに関して言うならば、彼女達は何の制限もなく自由にパフォーマンスを繰り広げ、自分達だけに待つ明るい未来について告知をし、大満足でライブを終えたことになる。
これに関して果たしてどう思い、何を感じるかは個人の自由だろう。今の自分のそれに関しても、自分で量りかねているところはある。
しかしまあ、限りなく素直かつシンプルに、大多数の人があの時思ったかもしれないことを言語化するとしたらこうなるだろう。
「勝ち逃げ」だ。
「アイツらやりたい放題やって勝ち逃げしていきやがった」である。
さて、それでは同じライブの中でもそんな風に対照的に映った二つのユニットのライブ演出を、一つの一貫した流れとして組み合わせてみると浮かび上がってくるものは一体何だろうか?
まず8/pLanet!!のライブであったはずの会場に乱入してくるような形で2_wEiが参戦。
2_wEiは見事に実力を示してみせ、自分達の次に行われるライブを宣伝し、散々に場をかき回して去って行った。
反面、残された8/pLanet!!はというと、どことなく全力を出すのを抑え込まれているかのような印象を受けるセットリストと共に、明るい新情報や未来の展望を明かすことも出来ぬままにライブを終えることとなってしまった。
2_wEiが暴れ回り、ハニプラは抑え込まれ、その上次に待ち受けるものは2_wEi単独の手番であり、ハニプラの道は一旦閉ざされてしまった。
簡潔かつ大雑把に、そこからダイレクトに受け取ることの出来る印象をまとめてしまえばそういうことになるだろう。
そして、こうして一つのライブから受け取れるストーリーのような形にしてみた場合、実はこれが今ゲームの中で展開されているメインストーリーの状況と非常に似通っているというのにも同時に気づくことが出来るだろう。
なんということでしょう、つまり今回の4thライブとは作中ストーリーの再現の構図が当てはめられたものだったのである!
……とはいえ、単にそれだけであるならば「そうなんだ? ふーん、凄いね」くらいの反応で終わりであろう。
自分としてもそれくらいのことではここまで衝動を突き動かされるような衝撃を受けたりはしない。まあエビストがライブにおいて作中ストーリーを再現出来るくらいにシナリオが整ってきたことには感動するかもしれないが……。
では一体これの何がそんなに衝撃的なのかというと、実は深く考えてみるとこれが単なる作中再現などという生易しいものではなく、その先に一歩進んでしまった、あるいは道を踏み外してしまったと言ってしまってもいいかもしれないくらいに狂気に満ち溢れた産物であるということにその理由があるのだ。
そのためにも、今ここで二次元アイドルのライブにおける作中再現というものの例を振り返り、その定義を考えてみよう。
そういった例として第一に浮かぶのは、アニメーションやゲーム内でのMVや作中ライブシーンにおけるダンスを演者が実際にそのまま披露するものだろうか。
先にそれらの映像の中で使用されている衣装を、現実のステージにおいても作成して着用しライブを行うことなどもその一環と言える。
ステージ演出などを限りなく映像のものへ近づけるのも、より再現性を高めるために行われることが多い。
作中でそのライブに繋がるまでの展開を現実でもなぞり、再現するかのような小芝居をパフォーマンスの前後に挟むことなども効果的なものとして数えられるだろう。
色々と自分の記憶にあるライブにおける作中再現というものを列挙してみたが、大体こんなところではないだろうか。
これ以外に何か特殊な事例等あれば、むしろ考察を深めるための資料として切実に情報の提供を求めたい。
さて、こうして並べてみると、今の二次元アイドルコンテンツのライブにおける作中再現というものには一つの共通性――というよりは外せない主軸のようなものが存在していることがわかってくる。
それはつまり、「その再現とは作中、そしてそこから飛び出した現実の舞台においてもライブパフォーマンスに関するそれが主なものであり、そこから大きく離れることはない」ということである。
一つの曲におけるダンス、衣装、舞台演出、そして曲に関する前後の物語。
再現として向こうのものと重ね合わせられるのはそれくらいというのが殆どであろう。
というよりも、それこそが正しいものである。本来それ以上というのはあり得ないことなのだ。
その加減や範囲を間違えてしまえば、ライブではなくむしろミュージカルというものになってしまうし、演者はキャラクターそのものではなく別の個人である以上、現実におけるライブの中の物語は現実の演者が作り出す作中とは別個のものにならなければならない。
作中再現とは単なる一つの場面場面を切り取って重ね合わせるようなものに過ぎないし、そうあるべきなのが恐らく正しい姿なのである。
では翻って、今回の8 beat Story♪の場合を考えてみよう。
エビストは今回ライブにストーリーの場面だけをそれぞれ切り取ったものではなく、メインストーリーの構図そのものを重ねてきた。
かといって、じゃあそれはゲームにおける物語を全てライブにおいて再現するようなミュージカルになるのかというとそう言うわけでもない。
では一体何なのか。
説明が難しい、というよりもむしろこれに関しては言葉が正しくないが故の誤解が生じていると言えるのではないか。
フィクションの構図だけが持ち込まれ、重なることで、現実でのライブやコンテンツの今後の展開などに影響が及んでいるかのようなこれは、"作中世界の再現"というよりはむしろ"作中世界の拡張"とでも表現すべきものではないだろうか。
つまり、『作中再現』ではなく『作中拡張』。
これこそが今回のライブで行われていたものだったのである。
では、その作中拡張というのが一体どういうものなのか、もうちょっと詳しくその内容を考えてみよう。
まず大前提として、ライブにゲームのメインストーリーが持ち込まれていると言ってもそれは本当にうっすらとしたものであり、ライブの構成全てを支配するようなものではないというのがある。
ライブはライブ単体として問題なく楽しめるものとなっている。
ただ、先に挙げてきたような細かい所の演出意図などを紐解いていくと、今現在のメインストーリーの状況がそのまま現実にもスライドしてきているかのように感じられるのだ。
しかし、ここで重要なのが、それが実は”作中ストーリーの再現”とはなっていないところなのである。
では、ストーリーの再現とは一体何だろうか。
それは既に存在している物語を、シナリオを、演じるようなものだとしてみよう。あるいは、ある程度なぞるようなものだとしてみよう。
となると今回のそれは、そんな風にゲームの中のメインストーリーを舞台の上で”再現”してみせたものだったのか?
既にあるものを、演出として演じてみせたものだったのか?
既に作られていた流れに沿って、それを薄くなぞったような物語性を付加するようなものだったのか?
結論としては、どれも違うとハッキリ言えるだろう。
何故ならば、今回のライブで描かれたものは、ストーリーの最新話を知るプレイヤーである自分達でもまだ知らない物語だったからである。
確かに、ライブ直前までのメインストーリーの中でハニプラと2_wEiは対立関係にあった。2_wEiの実力の前にハニプラは押され気味であるという描写もあった。
しかし、だからと言って直接こうして現実のライブにおいても対決の構図を反映させてみた上で、現実の2_wEiが勝ち逃げをし、現実の8/pLanet!!までやり込められるとは誰も予想だにしていなかったのである。
物語の中だけのものだったはずの情勢が、現実にも確かな影響を及ぼし始めてしまった。
あるいは、そういう風になっていく路線に突入してしまった。
こうなってしまうと、これはもはや再現という言葉では留めることが出来ないだろう。
ライブは単体で独立した面白さを与えられる興行でありつつも、それだけでなく作中世界のストーリーの影響がその内容にまで及ぶという物語の一部と化してしまった。
物語世界の再現ではなく、物語世界の拡張。
そのように、以上のようなことを全て踏まえた上での『作中拡張』という表現であり、それこそが今回のライブで行われたことの正体なのである。
作中拡張の利点と問題点
さて、しかしこの作中拡張というエビストの突入してしまった新たな次元であるが、先だって狂気の産物とも表したように、面白い、途轍もなく面白いことはまず間違いないのだが、必ずしもコンテンツに利することばかりではないとも思われる。
利点と問題点、両方の存在する形式だと言えるだろう。
以下からはそのことについて考えていきたい。
まずはこの形式の利点であると同時に、前段の「作中の再現ではなく拡張である」という説を補強することにもなる要素として、『物語の先がまだ存在していない』ということについて考えたい。
これまで他の二次元アイドルコンテンツのライブにおいての作中ストーリーの再現というのは、既に一度完結している物語、あるいはキリのいいところまでのストーリーを切り取ってそのライブパフォーマンスや構成に重ね合わせるものであった。
いわば過去に既に起こっていることをもう一度振り返るような側面が強かったといえるだろう。
「再現」という言葉が「再び現す」と書く以上当然であるとも言える。
そして、比してエビストの今回のライブがその言葉の範疇に収めきれない理由であり、また新しい面白さを与えている利点が、このライブの中で示された物語こそが作品における最新のストーリーとなってしまっていることにあるのだ。
ゲーム内でのストーリーでは、2_wEiが登場してその実力を見せつけることで8/pLanet!!はピンチを迎えるというところまでが描かれている。
そして今回のライブではその流れを受けて、現実においても2_wEiの方へとコンテンツの軸が傾き、8/pLanet!!は抑え込まれているという構図が出現することが示された。
重要なのはこの時誰も、今のメインストーリーの後がこうなるというのを知らないままにライブへ来たということにある。
そしてまた、誰もこの先が一体どうなるのかを知らないのである。
このように、コンテンツにおけるライブで示されるものがメインストーリーの最新内容となることで、現実の世界で行われるライブというものが物語の一部となってしまった。
これこそが物語が現実の世界を侵食し、その範囲を拡張してきたと表現したい大きな理由である。
考えてみると、既にこれだけでも大分面白いのではないだろうか。
何故ならライブに行く理由が、単純にライブを楽しむためだけではなくて、もしかしたらストーリーの全容を解明するためというものにもなるかもしれないのだ。
ライブに足を運ぶことでコンテンツの世界観がアップデートされる。最新の物語の状況が示される。
まさに本格的な複合型とでも言うしかない、新しい形だと個人的には思うところである。
我々はこれまでのことを振り返るためだけではなく、同時にこれから先の未知の新しい物語の展開を見るためにもライブへと足を運ぶことになる。
これこそは、まさしく二次元と三次元の重なりにおける新しいパターンなのではないだろうか。
さて、そのように物語世界が現実世界に拡張されて、現実がゲームの世界の一部となったことで、更にもう一つ非常に面白い現象が発生することとなる。
それは、「単なる一ファンであり、観客でしかなかったはずの自分達まで拡張されてきた物語の世界に生きる一部となってしまう」というものである。
それは一体どういうことなのだろうか。
つまりは今の現実におけるコンテンツの情勢そのものが物語の一部であるわけなのだから、それに対する観客それぞれの反応もまた、それぞれの物語になり得るということなのだ。
なのだが……難しい、これは言葉では非常に説明しづらく、感覚でわかってもらうより他ない気もする。
何と言うべきだろうか、現実が物語の一部と化したのだから、つまりは現実に生きる我々自身もまた物語の登場人物と化してしまったと言ってしまうのが一番わかりやすいだろうか。
2_wEiのライブが決まっていること以外は全くストーリーの続きが未知数な今、最新の物語の更新である今回のライブを見た後の観客それぞれのスタンスもまたというべきか、こそというべきか、それが次のライブ、あるいはストーリーの更新までの物語を作り上げるものとなるのはないだろうか。
そのように、自分達にも自由にこの先のアップデートまでの物語をそれぞれが紡いでいく権利が委ねられた。
すなわち私達の反応こそが、4thライブの後の8 beat Story♪の物語となっているのである。
なので、今回のことに関して私達はどんな反応を取ってもいい、どういう立ち位置を選んでもいいのだ。
ライブで示された構図に打ちひしがれるようなショックを受けてもいい。
2_wEiへの優遇に対して素直に反発してもいい。
自分が先生であるという立場を全うしたいならば、とことんまでハニプラに肩入れをするのもいいだろう。
そういう立場によりなりきって、ハニプラ復権のための活動をするのだっていい。
ヒューマンサイドの過激派になってもいい。けどやりすぎは駄目だぞ。
あるいは、2_wEiの受け入れに賛同しても構わない。
2_wEiの方により心を掴まれたっていい。彼女達の破滅的なパフォーマンスとカリスマ性に魅了されたっていい。
2_wEiだけを応援してもいい。2_wEiだけがこのコンテンツを追う目的であっても全く構わない。
彼女達の境遇に同情し、今から何となく肩入れしてしまってもいい。
アンドロイド共生派として活動するのもいいだろう。あるいは自分がアンドロイドになってしまってもいい。まあ病院に連れて行かれない程度にな。
確かに言い切れるのは、どんな態度を取ろうがそれらは全て正解だということであろう。
何故ならこの現実こそが8 beat Story♪の世界であり、私達はまさにそこに生きる人間となってしまったのだから。
行動は全て紡がれている途中の物語の中の出来事であり、そこに正解の態度というものは未だ存在していないのである。
なので、私達は大いに現実と空想を混同して楽しめばよいのだ。
それこそがこの作中拡張の醍醐味とも言えるだろう。
この境界のあやふやになってしまった世界で、物語のような現実の出来事にのめり込んでみるのもいいだろう。
それによって動かされる感情というものが凄まじいことは、個人的な体験からも保証が出来る。
あるいは一歩引いた視点で冷静に状況を観察してみるのもいい。
この異常とも言える現在の世界観は、観察して深く考えてみるのに少しも飽きることはないと思われる。
もしくは斜に構え、全て予定調和の内のことだろうと冷めた目で見下ろすのでも構わない。
それも一つの正解であり、あの世界に存在する人間の可能性なのだ。
そういう点では、もはや全くの無関心で存在すら知らないことすらもまた正解なのではないだろうか。
ひっそりと行われている彼女達の戦いを、大多数の人間達は知らないままで終わってしまう。
この世界がそういう結末となってしまうのも、また一つの可能性なのだから。
いずれにせよ、一度組み込まれてしまった時点で我々の行動も感情も全てそのまま向こうの世界の人間のそれとなるのである。
私達は否が応でも自分の中の8 beat Story♪を創っていくこととこれから向き合わなければならないだろう。
それはとても愉快で楽しく、そして何とも狂気に満ちたことだとは思わないだろうか。
これを非常に面白いと感じる裏に、どことなく一抹の不安も漂うような感覚。
これこそが現実拡張の一番の面白さであり、そういうものを提供出来ることこそがもしかすると最大の利点なのではないだろうかと、個人的には考えている次第である。
しかし、この作中拡張という手法、前段で書いた通りに途轍もなく面白いということは確かなのだが、必ずしも作品にとってプラスの面ばかりが存在するというわけではない。
ここからはこの手法に対して個人的に感じた問題点というものを考えていきたい。
さて、まず誰にでも最初に理解出来て、かつ最大の問題点とは一体何だろうか?
それはやはり、「8 beat Story♪のシナリオを全てまともに読んだ上でライブに参加している人は、参加者全体の中でも実は過半数に達しているかいないかくらいの割合かもしれない」という部分になるだろう。
これが正確な調査に基づくパーセンテージであるかどうかはともかくとして、ライブにはやはり少なくない人数の曲だけ推し勢、ユニットだけ推し勢、あるいは何もかも初めてでとりあえずライブから入門しようという人であったり、誘われたから何も知らないけど来たという層が存在していることも確かである。
では、そういう人達が全く楽しめないライブなのかというとそうではない。それは間違いなく断言出来る。
初見の人達にも楽しんでいただけるし、魅力的に思って貰えるようなパフォーマンスは4thでも健在であったし、むしろこれまでよりも成長していたことは間違いない。
そうなのではあるが、しかし上に長々と書いてきたような裏の意図をそういう人達が理解して、そこも含めて全部楽しんで貰えるのかというとそれはやはりノーだと言わざるを得ないだろう。
それに、この作中拡張という部分はライブにおけるメインという訳でもない、あくまでもまず普通のライブがあった上で、その裏で楽しめるような副産物である。
しかし、ソレが今エビストというコンテンツにおいては一番楽しく面白い部分であることも間違いないのだ。
そして、そういうものをより多くの人達に知っていただいて、楽しんで貰いたいと自分としてはどうしても思ってしまう。それをこれまでにない新しい魅力と感じて、色々な人の興味を惹ければと考えてしまう。
これは単なる自分の我が儘であるかもしれない。楽しみ方というのは人それぞれであり、強制できることでもない。
それに、何よりやはりそれを理解するためにゲームのメインストーリー全部読んでキャラ設定も読み込んで世界観を全て把握してから来いというのはあまりにも敷居が高すぎる。
どれほどエビストより人気の同種コンテンツであろうと、ライブに来る全員がそこまでに達している割合というのはそこまで高くもないだろう。
故に、第一の問題としては『その現実拡張を楽しんで貰うハードルが高すぎる』というものがあると思われる。
さて、ではそのハードルを下げるためには一体どうすればいいのだろうか。
エビストにおいてはまず「ゲームのストーリーを開放するのにかなりの手間がかかる」というのがネックの一つであると考えられるとしよう。
ならば、誰もがもっと簡単に触れることが出来て、ストーリーを手っ取り早く理解出来る別の媒体が用意出来ればいいのだろうか。
たとえばテレビアニメなどは、そういう点では一番強力なものだろう。
これなら多くの人が比較的容易にストーリーと世界観を知ることが出来るし、ライブの中に散りばめられた物語と現実の重なる部分に気づける可能性も高くなる。それは間違いがない。
しかし、それも実は作中拡張という手法においてはあまりそぐわないのではないかという問題がここで浮上してくる。
どういうことかというと、テレビアニメという形態はストーリーを展開するスパンがあまりにも早すぎるのだ。
ライブというのはそれほど短期間に多く開催出来るものでないのに対して、テレビアニメは一週間毎に確実にストーリーが進み、最短三ヶ月で物語に決着がついてしまう。
ライブがストーリーの一部であり、物語の途中であることが魅力である作中拡張において、二次元の方で展開されるストーリーの速度をコントロール出来ないテレビアニメは持ち味を殺してしまう結果になるだろう。
物語に一応の決着がついた後で、その要素を受けてのライブでは単なる従来型の作中再現でしかない。
それ故に、実はこのソーシャルゲームのストーリーがメインの物語である形態は、スピードコントロールの面では非常に理に適っている。
というよりも、そういう形式であるからこそ作中拡張という試みが成功したとも言えるかもしれない。
ソーシャルゲームの中でリアルタイムアップデートされていくストーリーをテレビ放映されている番組のように、あるいは雑誌連載されている漫画のようにプレイヤーで共有して楽しむというのは、「Fate/ Grand Order」などのストーリードリブン型ソーシャルゲームの流行を見るに、かなり最新型かつ強力なコンテンツの在り方ではあるのかもしれない。
しかし、それもプレイヤー数が桁違いの人気ゲームであればこその話でもある。
そういうレベルのコンテンツになった後でライブにおける作中拡張という手法が行われたならばその爆発力は凄まじいものだったであろうが、如何せん悲しいかなエビストはまだまだ人気を獲得していかなければならない中途段階にある。
そう、これは恐らく規模が拡大しきった後であれば絶大な効力を発揮したであろう一手であるかもしれないが、発展途上において人気を獲得する目的にはあまり適していないのかもしれないのである。
参加のハードルを下げられる媒体での展開に向いておらず、目指すべきコンテンツ規模の拡大に繋がりにくい可能性、これも今のエビストにおいては作中拡張が利点ばかりではない問題の一つである。
では、規模が拡大しきった後であればそれらの問題が解決されるのかというと、それも必ずしもそうとは限らない面があるのではないかと思われる。
それは一体何故なのか。説明するためにも、今一度今回のライブについて思い返してみよう。
さて、これは作中拡張が狂気の産物と評される理由の一つでもあるが、今回それを実行するためにエビストはある意味ライブを一回分犠牲にしているのである。
それはつまり、先に個人的なライブへの感想でも書いた通り、ハニプラに120%のパフォーマンスをさせずにライブを終えていることを指す。
一回一回に全力を尽くし、観客を喜ばせ、あらゆる人に笑顔で帰ってもらうのが最高のライブであるならば、今回ハニプラが不利な立場に追い込まれた印象を与え、不安を煽るようなことはまず間違いなくタブーであろう。
そのタブーを敢えて犯してみせたからこそ度肝を抜かれたところもあるのだが、そんなことが許されるのはもしかすると今くらいの規模だからこそであるかもしれないのだ。
例えばこれよりも大きな規模、大きな会場でやっていけるようになれば、そのために関係する各社様々な利益や思惑が絡み合い、柵に囚われる結果としてライブ演出の自由度というものはかなり低くなってしまうだろう。
物語との関連性に拘る形式の今のようなライブがスポンサーにどこまでも受け入れてもらえるとは普通に考えにくいものがある。
ライブ自体の出来は問題なく良いものであったとはいえ、同時にそれくらい特殊な試みが行われていた公演でもあった。
それに、規模が拡大すればするほど、作中拡張からは臨場感というか真実味のようなものが薄れていく側面もあるのではないかと思う。
無論、今回のことは全てがフィクションであり、演出であるということは前提として理解は出来ている。
しかし、一寸信じ込んでしまうような危うさというか、現実と空想が重なるようなコンテンツ自身の状況も存在しており、それこそは今の規模感から生じているものでもあった。
それをここよりも規模が大きく、立場も盤石なコンテンツからやられたとしても、むしろ見え見えの茶番のように映ってしまうのではないだろうか。
そして、それは普通に全力のライブをやるよりも確実に悪い結果となるような気もする。
いずれにせよ、今回の作中拡張というのは実は今くらいの規模だからこそ出来た試みであるかもしれず、そうとなるとこの路線を続けていくにはやはりコンテンツの人気拡大という目的とは相反し続けなければならないのかもしれないのである。
今回の作中拡張についての総論(と、締めのポエム)
さて、これまで以上のように長々と作中拡張について定義し、その利点と問題点について考えてきたのだが、最後に結論としてそれらを簡潔にまとめておきたい。
つまりここだけ読めば全部わかるパートである。
今までのことを律儀に読んではきたけども結局どういうこっちゃという方も、ここを読んで再度スリムになった論旨を理解していただけるようになることを願う。
作中拡張の定義
前半の結論:今回の4thライブで行われたことは単なる作中再現ではなくむしろ作中拡張であること。
→では作中拡張とは一体何なのか?
定義:現実におけるライブの演出やユニットの活動展開にもゲーム内のストーリーの内容が反映されること。
→定義の詳細
・今後の現実での活動までもが物語の一部となるのかもしれない可能性。
・それらのように物語世界が現実世界へ拡張されることを指して作中拡張と表現。
その形式の利点とは?
・現実でのイベントやライブにストーリーと関連した新しい価値が付加されるかもしれないこと。
・ゲーム内のストーリーが作用して変化するかもしれない現実、あるいは現実での結果が影響するかもしれない物語、双方向への交差の面白さを描ける。
・現実世界に物語が拡張されることで生じる、各々がこの物語の世界に生きているのではないかという錯覚により、個々人の物語への没入感が高められる。
その形式の問題点は?
・この形式を楽しむために身につけておくべき基礎知識やストーリーの読み込み等の行為的なハードルが高い。
・そうであるのに、そのハードルを下げるような物語提供の形とこの手法とがマッチしにくい。
・結果コンテンツの規模拡大という目的に繋がりづらく、むしろ規模が拡大するほど形式の実行が難しくなっていく。
作中拡張の定義、その利点と問題点とをわかりやすくまとめるとこうなるだろうか。
このように面白さと興味深さに溢れた新しい試みであることは間違いないが、同時に不安を感じる部分も正直少なくないことは否定出来ない。
この手法に好ましさを感じるかどうかも、個々人の好みによって分かれる可能性が今後大きくなりそうにも思える。
さて、ではこれを書いている自分自身はといえばどうなのだろうか。
そんなわけで、最後にこの作中拡張に対する個人的な感想を、4thライブで行われたものも含めて示しておきたいと思う。
正直な話、最初は普通にとてもショックだった。
どことなく全力を出し切れていないようなハニプラ、ファンタジアなしで終わってしまったライブ、何の発表もなかったユニットの今後。
全てのことが自分の心に突き刺さり、ライブ自体はとてもいいものだったにも関わらず終演後はリアルに胃にズンとくるものがあったし、油断したら涙すら出てきそうであった。
しかし、実はそれもわざとそういう感情を自分の中で否定せずに楽しんでいた向きもあった。
それらのことが何らかの演出意図の下で行われていたことは明らかであったし、仮にそうでなくともとりあえず2_wEiのライブはこの先にある以上コンテンツとユニットが今すぐどうこうなるわけでもない。
ならば、そうすることで運営の与えたかった印象というものには本気で乗っておいた方が面白そうだとも思っていたのである。
とはいえ、全部が全部制御出来ていた感情というわけではない。
打ちひしがれるような思いの七割くらいは真実からのものであった。
だが、じゃあそれで4thライブが自分の中でハニプラ的には中途半端で良くないものだったことになるのかというとそうではない。
むしろ、そういう感情を抱けたからこそ、4thライブは自分の人生の中で結構上位に食い込むほどの印象深い、物凄いライブになったと思う。
ライブにおいて重要なのは、どれだけ観客の心が動かされるかだと個人的には考えている。
パフォーマンスで、演出で、曲で、歌で。それら全てで人々の感情をありったけ揺さぶることが出来たならば、それは文句なくいいライブであろう。
だが、もしかするとその動かされる感情のベクトル自体は常にプラスのものでなくてもいいのではないだろうか。
今回そういうことに、ライブが終わってから色々とグルグル考え続ける中ではたと気づけた。
我々はエモーショナルなこと、つまりはエモいという感想を得る場合、常々感動的なもの、明るい気持ちから生じるものを思いがちだが、感情が動かされるという結果だけを見るならば別にそれは悲しいものや暗いもの、衝撃的なものでも全然構わないのではないだろうか。
演劇においては悲劇というのも欠かせないジャンルの一つであるし、バッドエンドを迎える作品でも好まれているものは数多い。
マイナスな向きだとしてもエモいものはエモいのである。
翻って、じゃあ今回の4thライブはエモいのか?と考えた時、あれほど絶望的で泣き出したくなるような感情にさせられてしまったことを思うと、エモいどころかエモエモのエモとしか評しようがないではないか。
自分の信奉するヒーローが打ちのめされ、絶望的なピンチを迎えたまま、しかし話は次回に続く!で終わってしまうという展開にこれほどの純なショックを受けたのはガキの頃以来であろう。
今回の4thライブで一番凄かったところは実はそこなのではないかとも思うのだ。
コロンブスの卵的な発想であるが、つまりライブを見ることで動かされる感情はハッピーなものでなければならないというわけでは必ずしもなく、むしろ正反対のものでも成り立つのではないかということと、あまつさえそれを躊躇なく実行に移してしまったことである。
正直、それに関しては素直に頭がおかしいとしか言いようがない。
考えてもみて欲しい。
あなたは一度でも意図的なバッドエンドで終わるライブを見たことがあるだろうか?
自分はない。完全に初めての経験である。
プロジェクトやユニットのファイナルライブ等はある意味バッドエンドとも取れるかもしれないが、それにしたって観客を悲しませて絶望的な気分にさせようという意図の下行われることはないだろう。
しかし、今回の4thライブは完全にそうなのだ。狂っている……。
それも、何度もライブが行えるわけではない、まだまだ継続に不安の残る程度の人気のコンテンツにおいて、今までで最大規模の会場で、勝負を賭けているとも取れるアニバーサリーのワンマンライブで、それをやってのけたのである。
そういう状況も、ライブ後の衝撃に拍車をかけたことは言うまでもない。
わざとか? ……わざとなのだろう。
凄い。凄すぎる。そうであるならば驚く程完全に術中にハマってしまった。
無論、これらのことは自分がオーバーに捉えすぎているという側面も多分にあるだろう。
ライブ自体も普通にポジティブな感情だけで終わることも出来るくらいにはいいライブだったし、別に落ち込む要素なんてなかったと感じる人もいるだろう。
これほどのショックを与えようとまでは、運営側も考えてはいなかったのかもしれない。
ただ、それでも、少しでもそうしようと思ったであろう演出が存在していたことだけは厳然たる事実である。
実際は小さなトゲのようなものなのかもしれない。然程の違和感も覚えず飲み込めるものなのかもしれない。
しかし、それはコンテンツに入れ込んでいる人ほど、のめり込んで気合い十分に未来を夢見て期待を抱いて希望を持ってライブを観に来た人にほど、より深く致命的にぶっ刺さるものでもあったと思うのだ。
やたらヒートアップしているが、別に文句を言っているし言いたいというわけではない。
何度でも言うが、褒めているのだ。褒め称えているのである。
ライブはお客さんを喜ばせ、幸せになってもらうもの、素敵な明日を迎えられるようにするものということをこれまでハマったコンテンツから教えられて信奉して生きてきた自分にとって、今回の「明日が見えねえ……」という絶望を抱いて終わるライブというのはまさしく天地がひっくり返るような心地であった。
そういうライブがあってもいいんだ、そういう感情の動かし方もありなんだというのは、実際考えれば考える程に途轍もなく大きな発見であるように思える。
とはいえ、それが全く何の背景も脈絡もなく突然行われたのだとしたら単なる悪趣味でしかないし、最後にいきなり今後の活動はないですと告げられる地下ドルのライブという何処にでもよくある悲劇と大差はないだろう。
一番重要なのは、これがゲーム内のストーリーが現実世界に拡張された結果として生じたものであるということなのだ。
現実が物語の一部になり、そしてそこでならバッドエンドも許される。
そういう前提があってこそ成り立つ今回の4thライブであり、そして個人的に作中拡張という手法で一番凄いと感じたところもそこなのである。
マイナスでもいい。悲劇でもいい。バッドエンドでもいい。
ライブが物語になってしまえば、通常なら避けるべきことを自由に描いてしまえる。
そんなライブを体感出来たことが、今回本当に、脳髄が痺れるほどに衝撃的だった。
個人的に、作中拡張で一番の利点かもしれないと思っているのはこういうところだったりもする。
さて、そんな風にさっき挙げた利点を一言でまとめてしまえば、『従来よりもライブに意図的な物語性を付加しやすく(というよりもライブ自体を物語にしてしまう)、またライブが与える印象の方向性にある程度の自由が利くようになる』ということになるだろうか。
あくまで自分個人の感覚としてのものであるので、本来の利点よりは話半分程度で意識しておいてもらいたいところである。
もちろん他にも作中拡張から個人的に感じられた恩恵は存在している。
それは何かというと、2_wEiの扱いについてである。
正直なところ、ライブの前までは彼女達については若干複雑な心境を持っていた。
キャラクターとしての彼女達には問題はない。
明確に敵とされたキャラクターであるし、そのため物語上多少の反感を抱かせるような造型とはなっていた。
サイドエピソードで設定が掘り下げられてからは単なる敵というだけではない、より深みを持ったキャラクターとして好感を抱いてしまっていた程である。
問題は、演者がユニットを組んで出現する現実の方での2_wEiの存在であった。
正直に言って、4thライブに彼女達が乱入してくることについては非常に複雑な心中であった。
何だったら、現実での結成についてもそうであったかもしれない。
これはエビストに限った話ではなく、コンテンツの途中から追加されるユニットの扱いというのはどこであっても非常にデリケートなものが存在するだろう。
それまで一から一つのユニットが規模を地道に大きくしてきたところに、突如何食わぬ顔で何もしていないのにぽっと出の別ユニットが乗っかって来られることを思えば当たり前の話ではある。
特に作品の顔としてのメインユニットが一組しかなく、ユニットメンバーの人数も多くないというタイプの作品では尚更であろう。
このタイプの作品は、メンバーの数が非常に多くて作品内に複数のユニットが存在するようなタイプと違って、メンバー数を絞ってユニットも一つにまとめて意識を集中させることで強固な固定ファンを作り上げることが出来るというのが強みである。
故に、そこにいきなり別の追加メンバーでユニットを作って輪の中に加えさせることで、それに対して少なからず反感を抱いたり反発したりするファンはどうしても発生してしまうと考えられるだろう。
それはどこのコンテンツでも多かれ少なかれ抱えている、普遍的な問題である。
なので、今回エビストでも当然それは起こり得た。というより起こることは最早確定していたと言ってもいい。
何故なら自分自身が反発までは行かずとも、多少面白くない気持ちを抱えてもいたのである。
いずれにせよ、今回のライブの後で2_wEi肯定派と否定派に割れて争いが勃発するだろうことについては目に見えていた。
それに対して公式側が打てる対策というのも多くはなく、また何か決定的なものがあるわけでもない。
追加されるユニットの演者本人のキャラクターを押し出して人間としての好感を抱かせ、元から存在していたユニットの演者達とステージ上での融和ムードを見せつけることで、何とか角が立たないように受け入れてもらえるように努めるのが一般的であり、精一杯であろう。
何だったら主題歌なんかを一緒に歌わせてもいいかもしれない。
とにかく公式が融和を受け入れて欲しいという明確なスタンスを示すことで、公式に反発する方を主流から外れたとして封じ込めてしまうより他ないのである。
エビストにおいてもそんな悲劇が遂に起こってしまうのだろうかと思うと、ほとほと憂鬱な気分になるしかなかった。
まあ、ここまで悲観するのは自分の思い込みと偏見によるところが多分にあるとは思われるが、それほどまでに2_wEiというのは難しい存在であったことも確かなはずである。
しかし今回、そんな追加ユニットの扱いについて一つの画期的な事案が発生した。
先にも書いたように、2_wEiは演者個人のパーソナリティを発することなく、あくまでストーリーからそのまま出てきたような敵としての態度で現れ、そして最後まで8/pLanet!!と交わることなく敵として去っていったのである。
これによって、2_wEiというユニットの存在は物語におけるスタンスと同一のものとして現実にも拡張されることとなった。
つまり、公式に物語的な正解が未だ存在しない以上、今のところは彼女達の扱いについて君達の自由に決めろと丸投げされたわけである。
そこには何が正解であるという基準は存在しない。
徹底的にその存在に反発してもいい。
あるいは徹底的に受け入れて、何だったら乗り換えたっていい。
2_wEiについてはこれまで与えられてきた物語の中での印象と、この現実でのパフォーマンスを見た上で総合して、自分の中の今のエビストの物語として定義しなくてはならなくなった。
これが今回、本当に画期的で素晴らしいことだったと個人的には思うのだ。
ここに関しては殆ど救われたかのような気分になったとさえ言ってもいい。
2_wEiをどう思うかは、今はまだ自分達で自由に決めていい。
正解や見方を押しつけられるわけでもなく、物語の途中として彼女達を判断しろ。
今回のライブにおける作中拡張で生じた2_wEiについてのこの扱いは、実際かなり面白い試みであると思う。
これによって確実に紛糾することは間違いなかった2_wEiに関するファンの間での議論が、全部作品世界における一般人の世論に置き換わってしまうわけなのである。
争えば争う程、ぶつかればぶつかる程、より自分達は8 beat Story♪の世界を体感していることになる。
これは正直、かなり楽しい。
自分の感情を勝手に作品の一部とされることに不快感を覚える人も中にはいるかもしれないが、個人的にはそれが不快どころか本当に今回だけじゃなく今までのエビストというコンテンツの動きで一番面白く感じていたりする。
正直、2_wEiに関しては未だファジーな心持ちでもある。
キャラクターとしての彼女達を敵として憎みたい気持ちと、その境遇にどうしようもなく惹かれてしまう気持ちが混ざり合った、何とも言えない感情を抱いている。
現実での彼女達についても全面的に受け入れられているわけでもないだろう。
いきなり割り込んで来たことに対する不安や面白くない気分は抜け切れていないが、必死に自分達の在りようをパフォーマンスだけで証明しようとする姿はキャラクターのそれと重なってハニプラよりも魅力的に映る部分もある。
そして、それが全部恐らく自分の中の正解なのである。
自分の中に委ねられたエビストにおいての正解なのだ。
どう思うかは自分で決めろ。
実際言葉にすると当たり前のようだが、ここまで全部それを肯定してくれたコンテンツは見たことがない。
まあ、丸投げとも言えるかもしれないし、この先においてそれがどうなるかはわからないが、しかし今だけは全てが正しいことも間違いない。
今、エビストのメインストーリーをジャックしつつある2_wEi。
ハニプラを差し置いて、未来の展開を奪った2_wEi。
そうして敵として憎まれつつも、自分達が生きていることを証明しようと足掻く2_wEi。
それがこの先、2_wEiの1stライブに向けて一から自分達の何かを積み上げようとし、そして1stを経ることでどう変化していくのか。
彼女達へ向ける感情が一体どうなっていって、どうなることが正解になるのか。
それが今から楽しみで仕方がない。
全ての人の意識を統一出来るのか、それとも曖昧なままに揺れ続けるのか。
味方になるのか、敵のままなのか。
融和するのか、対立したままなのか。
善か、悪か。
2_wEiの物語をここまで盛り上げ、反発を含めた全ての感情すら利用してみせた今回の手腕には本当に舌を巻くしかないものがある。
それも全て現実をも物語の舞台にしてしまった作中拡張の恩恵の一つであるならば、相当大きいものがあったと個人的には思っている次第である。
さて、ここまで4thライブにおける作中拡張の個人的に感じた良いところばかりを声高に褒め称えてはきたが、勿論今回のことはそればかりではなく同時に様々な問題点も抱えたものだとも思っている。
中には信者としての贔屓目であっても無視出来ないようなものも多く、やはりそのことについても個人的な所感をしっかりと述べておきたい。
ではまず、その一つが何なのかというとやはり『物語の再現性のなさ』が挙げられるのではないだろうか。
4thライブは上にも長々と書いてきたように非常に度肝を抜かれる出来事ではあったのだが、根本的な話、そういうことをいくらこうして伝えてみたところで、それを読んで興味を持った人が「へぇ、じゃあ自分も一度見てみたいなぁ」と思ってくれても全く同じものを提供することが出来ないのである。
今からでもゲーム内ストーリーはまだ最初から最新まで全部読むことは出来る。あらすじを知ること自体はそう難しいことでもない。
しかし、今回のように一度しかないリアルイベントで物語を体感するということは、参加を逃すと二度と出来なくなってしまう。
これこそは、やはり現実に物語を拡張する上での最大の問題点であろう。
物語と違って、現実は何度も繰り返せるというものではない。
むしろ繰り返す程に現実味が失われていく。
作中拡張というのが物語を現実に再現するような演劇とも異なる以上、その骨子にある妙味が薄れていくような再演などは行えるものではないだろう。
ライブ等のリアルイベントに作品のストーリーの一部を委ねることで、新たな付加価値を生み出す。
それ自体は非常に面白い試みではあるが、物語の全容を知るためには常にコンテンツに参加し続けなければならず、後から逃した欠落を埋める手段が存在しないということは、やはり無視することの出来ない大きな問題点であるように思われる。
そして、その「再現性のなさ」から更に新たな問題も発生してくる。
それが前章の問題点の部分でも挙げたように、リアルタイムでの参加が必要となったり、それまでの物語をある程度読み込んだ上で備えなければならないようなことによる、コンテンツを追う上での敷居の高さが増大することである。
更に、たとえその敷居を越える熱意を持っていたとしても、重要な物語の一部を今のところ二度と体感することが出来ないことに失望したり、気持ちが萎えてしまう人もいるかもしれない。
そう、そのように、仮にこの先何かしらコンテンツのファン人口が一気に増加することが起こった時に、ライブ等で行われた体験型のストーリー展開を体験してきた世代と、体験出来なかった世代に大きな断絶が発生する危険性があるのではないかと思うのだ。
無論そんなものは熱心に追ってきた者と追って来なかった者の差でしかなく、個人責任だと言ってしまえばそれまでではあるが、それでも自分はなるべくならばその差は少なくあるべきだと思うし、自分が体験した途轍もなく面白い今回のようなことはより多くの人にもそのまま体験してもらって、感想を語り合いたい。
そして何よりその断絶が大きければ大きいほど、コンテンツに参加したいと思う新規層は尻込みをしてしまい、結果コンテンツが拡がることはなくむしろ古参だけを抱え込んだまま先鋭化していってしまうのではないかと危惧出来るのだ。
それが単なる過去のリアルイベントやライブに参加したか否か程度の経験の違いであるならまだしも、作品のストーリーの内容に関わってくることだと既存層と新規層の断絶はより深刻さの度合いを増すように思う。
前章の繰り返しのようになってしまったが、規模拡大の途上にあるコンテンツにおいてこの危険性は無視することの出来ない、大きなものであると個人的には考えている。
そう、そして、そんな新規層獲得に繋がらなさそうな難しさ、規模拡大の目的と相反しているのではないかと推測出来ることが、実はまだ自分の中でもまだ消化出来ていなかったりする。
面白いものが見たい、思いもつかないようなことを体験してみたい、自分は確かに常々そう思いながらコンテンツを追いかけている。エビストも例外ではない。
そういった面から見れば、今回の作中拡張は今までのエビストで最大級とも思える成果に辿り着きつつある。それは歓迎すべき事態だろう。
しかし同時に、8 beat Story♪と8/pLanet!!が今よりももっと大きくなり、人気になり、より多くの人々にその存在を知られて、スターダムへの道を駆け上がっていって欲しいという願いもまた同じくらい強く抱いてしまっている。
その視点に立って見ると、そんな願望にどうしても直結しづらいように思えてしまう作中拡張というものを不安視してしまっているのも内心の実情でもある。
今回のハニプラが不利な状況に追い込まれたかのような演出にあれほどのショックを受けたのは、何もその演出意図に綺麗に引っ掛かったからというだけではない。
色々な企画が道半ばで倒れていく昨今の同ジャンル業界事情、そんな中で安定しているとは口が裂けても言えないコンテンツの立ち位置。
勝負のライブと口にしていたメンバー達、今までで最大規模の会場、なのに正直満員では埋めきることの出来なかった現実。
着実に進歩はしているが、大きな拡がりは実感出来ず、何かしらの起爆剤が必要とされているコンテンツの展開状況。
正直そんな様々な不安材料を抱えたまま、それでもその全体に漂っていた閉塞感のようなものを大きく吹き飛ばしてくれる何かが用意されていることを縋るように期待して臨んだ4thライブだったのである。
ここで何かしらないと厳しいのでは……。
いや、それは向こうもわかっているだろう。きっと、必ず何かしらあるはずだ。
これまでだってそうだったんだから。
そんな心持ちでいたところにアレが直撃したわけである。
その場で泣き出さなかっただけ大したものではないだろうか。
仮にそれらの状況全てがあの衝撃を与えるために織り込み済みのことだったとしたら本当に恐怖としか言いようがないが、やはりその確率は限りなく低いだろう。
残念ながら、状況はそれでも依然変わらず厳しいままだと判断せざるを得ない。
そして、それを覆せるほどの起死回生の力が今回突入した新たな路線にあるのかというと、それもまた厳しいのではないだろうかと個人的には思ってしまう。
理由は上に長々と書いてきた通りである。
いずれにせよ、不安と共に胃を痛める日々はまだまだ継続するのであろう。
とはいえ、そんなコンテンツの状況と立ち位置が、今の作中ストーリーを現実にも重ね合わせるにあたって途轍もない臨場感を与えているのもまた間違いない事実なのである。
それを思うと、やはり現状をきっちりと認識した上である程度は狙ってやっていることなのだろう。ファンの不安を物語の肥やしにしてんじゃないぞと言いたくなる気持ちもあるが。
これが例えば、コンテンツがもうほとんど先行きを心配することなく見られるくらいに盤石な地位を得てから実施されていたとしたらどうだろうか。
正直、単なる茶番としてしか映らなかった可能性は高いだろう。
そういった意味では、これは紛れもなく今この時に、この規模にある内にしか出来ない試みであることも確かだ。
手応えのある発展途上にありつつも、同時に立ちはだかる壁の厚さに行き詰まってしまっている。
そんな状況がこちらと向こうで上手いこと重なっているからこそ実現出来る、ある種の奇跡なのかもしれない。
そうであるならば、今しかない今をエビストとハニプラは全力で駆け抜けている真っ最中なのであろう。
そして、そういう点についてだけならば、それはやはりこれ以上ない正解の選択肢だったのかもしれないという思いもまた自分の中には存在している。
例えば、今ここでコンテンツの規模拡大と発展という目的のための最善手は何だろうか。
個人的にはテレビアニメ化だと考えていた。
では仮にそれが果たされていたとして、歩む道は今エビストが突入しているそれよりも面白いものだったのだろうか。
何とも断言は出来ないが、少なくともその道は過去に前例の存在している、エビストだけが歩めるオリジナルなものではないだろう。
あるいは現状を極端に変更したり利用したりせずに、穏やかにファンを喜ばせ続けながら潮目が変わるのを待つという道もあったかもしれない。
これ以上の規模拡充にはちょっと物足りないが、それでも緩やかに、細々と生きていくには十分な人気は今でもあるのではないかと贔屓目には思われる。
だが、そうやってただ死んでいないだけのコンテンツになったところで一体何の楽しみがあるのだろうか。面白いものが見られるというのだろうか。
この作中拡張という路線は、もしかしたらこれ以上という壁を結局突破することの出来なかったエビストが今出来る中で精一杯の、少しでも面白く、楽しめるものを提供しようとして実行されたものなのかもしれないと考えてしまうこともある。
あるいは全然そんなこともなく、順風満帆、安全安心の旅路を行けたところを敢えてドロップアウトして、今しか行くことの出来ないオリジナルスターな道を選んだのかもしれない。
いずれにせよ、その根底にはギラギラと輝くような生への渇望が存在しているように自分には感じられるのだ。
コンテンツが必死で生きている姿を見せつけたいという願望を感じるのだ。
死んでるように生きたくない。まさしくひたすら生きるためだけに生きている。EAT, KILL ALL. EAT, KILL ALL.なのである。
話が大分逸れた。
何にせよ確かなのは、この作中拡張が恐らく物語と現実の状況が重なる今この時、この規模でしか臨場感をもって実現することは出来ない代物であり、発展と安寧を今掴めたかもしれない可能性を捨て去ってでも8 beat Story♪というコンテンツはそれを実行することを選んだということである。
そして、そうであるならば、正直それでも捨て去ることの出来ぬ安定したスターダムへ駆け上がっていくことへの希望との板挟みではありつつも、自分はその選択を支持したいと思っている。
まあ、この作中拡張が人気拡大に繋がらないと決まってしまっているわけでもない。
もしかしたら自分の思いも寄らない奇跡が起こってここから爆発するのかもしれない。
それに結局の所、人気が出ただの、出ずに終わっただのは単なる結果でしかない。
生きようと足掻いた先についてくる結果でしかないのだ。
肝要なのはまず生きようとすることなのである。
ならばエビストがこれ以上もなく生きようとしてくれている今というのは、このコンテンツに求める全てが満たされている状態とも言える。
アイドルにとって生きるというのは輝くことである。
つまりは彼女達が輝くために生きている限り、個人的には心配はあれど、やはり不満は全くないのだ。
何故か最終的にポエムになってしまった。
要は個人的には利点も問題点もどっちも多いのではないかと感じるけれども、それが今しか出来ないかもしれないことであるのはわかるし、やりたくてやるというのならば文句はないし、その先を見届けてもみたいということが言いたかったのだ。
個人的な感想と見解を短くまとめてしまうならば、そんな風に全く面白みのないものとなる。
そんなことにここまで長々と付き合わせてしまって大変心苦しくあるが、それでももしかしたらここまで我慢して読んでいただいた、まだエビストに触れていないというような方がいるかもしれないことを信じて、最後にもう少しだけそういう人達を勧誘出来るようなまとめを語らせていただきたい。
さて、これまでに散々中途参戦の難しさを危惧してきたわけではあるが、それでもまだ、まだ今からでもエビストには間に合うという考えも自分の中にはある。
まずいきなり全部のどんでん返しとなってしまうが、実はこれまで考察してきた全てのことが単なる自分の考えすぎでしかない可能性もあるのではないかとも思われる。
結局今までのことは全部自分がゲーム内のストーリーを読み、今回のライブに参加をした上で感じたことや思いついたこと、推察や憶測をダラダラと書き連ねたものに過ぎない。
それを裏付けるような何かしらの公式的なアナウンスがなされたりということは未だないし、絶対的な根拠となり得るような証拠がハッキリと存在しているわけでもない。
唯一、それに近いものがあるとするならば、公式からの意味深なツイートである。
それにしたって、一体どこからどこまでが計算で、どこからどこまでが偶然の産物であるのかは正直全く読めない。
全部が全部計算尽くであるような底知れなさも、考えを重ねてみるほどに確かに感じられる。
しかし、今まで一から追ってきた身からすると、単なる偶然をこれ幸いとばかりに利用して思いついたことをやっているだけのようにも思える疑惑もまたどうしても拭いきれない。
いずれにせよ、結局そこら辺のことは細かく作品について掘り下げると出てくる要素でしかなく、表面的に軽い気持ちで楽しむならば考えすぎや偶然ということにして脇に置いても今のところは問題ないというのも一つの事実なのだ。
ライブだって、何もそればかりを意識しなければ楽しめないものでは全くないということは散々語ってきたところである。
何も知らなくても、とりあえずは普通のアイドルものとしては十分以上に楽しめる。それは間違いなく保証する。
曲だけが好き、ユニットだけが好き、メンバーだけが好き、別にそういう付き合い方でも全く構わない。
とりあえずはそこから始めてみて、興味を覚えたらより作品に深く関わっていけばいいのだ。
そうした時に、思ってもみなかった程に深くて興味深くて、何より面白い鉱脈が広がっていることも、これまで延々と語ってきた通りなのである。
あるいは今までの内容から、二次元と三次元を交差して描かれる物語の方に興味を持ってくれているような人もいるかもしれない。
そして、もしも乗り遅れを気にしているならば、是非ともそんなものを気にせずに飛び込んで来て欲しいと思う。
何故ならこれまでのことなんて正直この先何の役に立つかもわからない。
一から追ってきた我々でさえ毎回毎回突拍子もなく新しいことを見せられているような気分なのだ。
経験の断絶などと仰々しく書いてはみたが、実際この次の段階を見る瞬間に既存ファンと新規ファンの違いはそこまで存在しないようにも個人的には思う。
何せエビストは本当に毎度毎度、ライブを重ねる度に絶えず変化し続けているようなものなのだ。今回の常識が次回には通用しなくなっている可能性も十分存在する。
やっぱり作中拡張は次までにやめてしまっているかもしれないし、また別の路線を思いついてそちらに切り替えてしまっているかもしれない。
今回のことにしたって突然降って湧いたような出来事だったのだ。
「今更追っても……」なんてことを考える必要はない、ライブの度に全員等しくまっさらな状態になるのだから。
肝心なのは、その瞬間を見るか見ないかである。
それに、ゲームのストーリーも、現実のストーリーもまだまだ全然途中なのである。
終わりが見えてもいない。
そこら辺は本当にテレビアニメのような媒体と違って、のんびりと物語を展開出来るソーシャルゲームの利点が活かされているように思う。
まだまだ乗っかるのに遅すぎたなんてことは全くない。次のライブにしたって半年近く先だ。
むしろここで半年も物語の進展にお預けをくらうの!?と思うと既存ファンとしては発狂しそうな心持ちである。
そう、実は今からでもエビスト始めるのに全然遅くはないし、物語を読んだり設定を知るハードルも、次までに与えられた猶予期間を思えばそれほど高くはないと思うのだ。
だから、本当に少しでも興味を惹かれたならば是非ともこのコンテンツに参加してみて欲しい。
とまあ、こんな風に熱心に新規層を誘うのにも一応理由がある。
それは、単純にスターダムを駆け上がる8/pLanet!!が見たいというのもそうであるし、今行われている作中拡張やエビストのストーリーについて知ってもらって、その感想や考察を様々な人達から聞いてみたいというのもそうではある。
だが、もしかしたらその理由としては「すっげえエンディングが見たい」というのが自分の中では一番大きいのかもしれない。
考えてもみて欲しい。
作品中の出来事がこうして現実にも影響を及ぼすのだとしたら、その逆もまた然りなのではないだろうか。
現実で起こったことも、ゲームのストーリーに影響を与えることが出来る。
仮にこれまで考察してきたことが全て運営の思惑の内の出来事なのだとしたら、それくらいは当然やるはずである。やってのけるはずである。
ならば、もしかしたらゲームの方のハニプラの行き着く先は、現実におけるコンテンツの到達点によって様々に変化するのかもしれないのだ。
その場合、トゥルーエンドに辿り着くためには果たしてどうすればいいのだろうか。
……正直なところを言うと全くわからない。攻略情報の一切ないギャルゲ―の初回プレイに挑んでいるような心地である。
だが、それでも一つだけわかっているのは、少しでも人気が出て人が増え、コンテンツの寿命が延びれば延びるほど、少なくともより素晴らしいエンディングへ辿り着く可能性が上がるのではないだろうかということである。
この運営のことだから、たとえ思ったよりも人気が振るわなかった場合のエンディングも用意されているのだろうとは思うし、物語主義者的にはそんなノーマルルートBくらいの内容も気になってしまうところではある。
だが、それでもやはりイケるならば、途方もない奇跡の先のトゥルーエンドを拝んでみたい。
来たるべき8/pLanet!!反攻の折りに、今回よりも素晴らしい舞台と展開を用意させてあげたい。
そのための物語に影響を与えられる力を、僕らは一人一人が今回の作中拡張で持つに至ったわけなのである。
現実が物語を書き換える。
今回物語が現実を侵食してきたというのならば、そのせいで精神が打ちひしがれたというのならば、我々は今度はそれをやり返すべきである。
最高の物語を、自分達の手で作らせる。
運営がコンテンツの置かれた状況までも利用するというのならば、最高のそれを用意して利用させてやればいい。
"先生"という立場にはそれが出来るのかもしれない。
それは非常に面白い可能性だと自分は考える。
どうだろうか? 面白いとは思わないだろうか?
別に傍観者のままでも構わないと言えば構わない。何も知らぬままに過ごすというのも一つの与えられた役割である。
だが、そんな風に現実ではなく物語の中を変えられるかもしれない可能性を少しでも面白いと感じたならば。
その可能性の一つになってみて欲しい。
方法は簡単だ、ゲームを始める、ストーリーを読む、そして次のライブに来る。
それだけでいい、そして来たるべき日に備えればいい。
それがいつ来るかは、幸いなことにまだ誰にもわかっていない。
だからどうだろうか、その瞬間を作るために、多少は自分達も力になれたと思いながら、それを一緒に迎えようじゃないか。
……何だか結局3rdライブの時の感想と大体同じみたいなポエミーな締めになってしまったが、まあいいか。
なんにせよ、8 beat Story♪の世界は今や現実となってしまった。
真実はそう考えている狂人が一人いるだけなのかもしれないが、そう思い込んで狂ってみるのも楽しいものだ。
そして、そこでどういう身の振り方、考え方をするかは自分次第である。
願わくば彼女達の物語とこの現実に、幸せな結末の訪れんことを。
そのために行動を起こしてみるのもいい、ただ見守ってみるのもいい。
作中拡張の真の意義とは、そうやって自分で彼女達とその世界との関わり方を決められることにあるのかもしれないのだから。