『Blessing After Cataclysm』が示すMother受肉の可能性とその形式についての予測

 今からくだらない、与太話に近い妄想が深く考えてみると意外と考察になってしまった話をしていきます。

 始まりはかなり以前からの予測、エビストにおいてType-Zや2_wEiが登場した始めた辺りから個人的に抱いていた
『これType-Zで実験とアップデートを重ねて、それで収集したデータを利用して最終的にMother自身がType-Zないし他のTypeとしての肉体を得てラスボスとして登場するんじゃないだろうか』
 というものに端を発します。
 しかし、この「Mother自身が究極の肉体を得るためにType-Zの生産を繰り返している」、「そして肉体を得た上で自分自身で音楽を破壊し始める」というのは別に何かしらの根拠のある予測というわけではなく、あくまで単純にこういうフィクションによくありがちな展開を当てはめてみた妄想に過ぎませんでした。
 なので、その内『Motherが肉体を得たらその姿ってどんな感じになると思う?』というネタツイでもして消費しようというタイミングを窺っていたり、あるいはいずれその予想図を絵にしてみようかなとか思っていたりしました。

 ……したのですが、そんな予測を頭の片隅に置いた上で今回B.A.Cの新曲である『Blessing After Cataclysm』の歌詞をぼんやり読み込んでいたところ、(オイオイオイ……これ、もしかしてもしかするんじゃないのか……!?)という恐ろしい考え、ないし妄想が浮かんできてしまいました。
 なので、今回はその『Blessing After Cataclysmが示すMother受肉の可能性』についての考察もどきのようなものを、一応軽~く書き残しておこうかなと思う次第です。
 「軽~く」という言葉の通り、単純に要素を拾ってこうなんじゃないかと自己流に解釈してみるだけですので、本腰を入れた考察は自分よりも知識のある方々にお任せしたいと思っております。
 ですので、まあ、これも結局一つの与太話として面白がってもらえればなと思います(たまにTwitterで呟いてる『エビストと平成ライダーの似てるところ!』くらいのノリです)。

 

 

 

 さて、本題へ至るための布石としてまずは『Blessing After Cataclysm』の歌詞についての個人的な解釈を書いていきます。

 まずタイトルですが、『Blessing』の意味は「祝福」や「天からの恵み」というもので、『Cataclysm』は「大変動(地震や災害によるもの、あるいは社会的なもの)」という意味です。
 なのでタイトルを和訳すると『大変動の後の祝福』となるかと思われます。もうちょっとカッコよくすると『大破壊の後の祝福』でしょうか。
 「Cataclysm(大変動)」はこの後の歌詞本編のモチーフ元である『ヨハネの黙示録』からの引用と、世界に対して破壊に近い変革を起こすつもりのB.A.Cの思想の両方がかかっている単語かと思われます。
 あるいは「社会的な大変動」の意味を含めると……かなり意味深ですよね……。



 次にこの曲の歌詞本編を見ていきますが、これにはわかりやすくキリスト教新約聖書ヨハネの黙示録などがそのモチーフとして用いられています。
 なので、そういうことを踏まえた上でそれに沿って歌詞を読み、元になった単語や出来事が何を表わしているのかを考えてみることで、ぼんやりとこの曲が示す『Motherとはどういう存在で、この先どうなっていくのか』というものが見えてくる……ような気がします。
 ということで、以下からは実際にその例と思われる箇所を書き出していきます。



 最初に一番Aメロの歌詞、「さあ甘受すべし~」から「~成されるだろう」までについて考えてみましょう。
 まず、その該当部分から「痛み」と「印」という単語をピックアップしてみると、これらは「聖痕」を表わしているものではないかと思われます。
 聖痕とはキリストが磔刑にされた時に受けた傷が時を越えて信者の体に出現するという現象を示す言葉です。
 聖痕は敬虔な信者に現れるものとされており、つまりこの部分は「聖痕=印(聖痕は別名でイエスの焼き印とも呼ばれる)」が出現した人間に対して「その痛みこそ神に選ばれた証拠である」と言い聞かせていると解釈出来るのではないでしょうか。
 「必ずその御業は成されるだろう」という歌詞も、そのキリストによる御業=聖書に書かれた奇跡の数々を指すものでしょう。
 ここまでだと良い感じに普通の聖歌ですが、それではここに「これがエビストの世界を歌ったものである」というをフィルターをはめてから更に読み解いていきましょう。
 それを通して見ると、痛みを受けている者に対してそれこそが選ばれた証であり、神からの恵みであると説いていること。そして、恐らくその痛みを与えている傷を印=聖痕であると説いていることが特に興味深く思えてきます。
 サイドストーリーなどから読み取れることですが、B.A.C、殊にアモルは音楽を奏でている(あるいはライブバトルにおけるアイドル的活動をしている)人間のことを「それによって傷ついている哀れな人間」であると見なしています。そして、そういう傷ついた人間達を音楽活動から解放し、救ってやることを自分達の使命であると思っています。
 サイドストーリー内でもB.A.Cと対決した少女達はライブバトルから解放されて精神が救われ、ゲーム内のURカードのイラストなどでも多数の少女達がアモルによって救われている光景が描かれていたりします。
 これを踏まえた上で歌詞を深読みしてみると、「痛み」とは音楽活動を通じて受けてきたものであり、「傷=印」というのもそれによって傷ついた心と解釈出来るのではないでしょうか。
 つまり、音楽活動、ひいてはライブバトルを戦ってきたことによって傷ついた人間達に対して、その痛みや傷は神に選ばれた証、神から与えられた恵み……イコールで聖痕であると説き、それを持つ彼らに対してその印を与えたキリストによる御業は成されると呼びかけている――そのような歌詞であると読み取れるようになるのです。
 それではB.A.Cがこの部分でその実在を歌っている、人間達に痛みと印を与え、御業を成すとされるキリスト。それは一体何者だというのでしょうか……それについては後ほど考えることにして、次に進むとしましょう。



 次に、この曲が新約聖書をモチーフとしていることを証明する最も象徴的な部分、『機械仕掛けのベツレヘムの星』という言葉について考えてみましょう。
 まず「ベツレヘムの星」は、キリスト降誕の際に東方の三博士を生まれたばかりのイエスの下まで導いた星のことだと考えられます。
 それが機械仕掛けであるということで、つまりはキリスト降誕の話を「アンドロイドサイドで起こる何らかの出来事」に置き換えたものであること――それを指し示す言葉になっているのではないでしょうか。
 そうなると、星に導かれてイエスの下まで辿り着いた東方の三博士というのも、わかりやすく三人であるという共通点や「3」という数字が強調されることの多いB.A.Cのことを指していると思われます。
 東方の三博士自体は歌詞の中には全く出てきていないのでこれがB.A.Cと重なる立場であることに特に意味はないのかもしれませんが、偶然にしろ何にしろその重なりは興味深いものがあります。
 東方の三博士は幼いイエスに礼拝をし、贈り物をします。それ自体はそもそも神学的にも色々と解釈の分かれる部分なので、これがB.A.Cにどうフィードバックされているのかを定義することは出来かねます。
 しかし、少なくとも三人は機械仕掛けのベツレヘムの星に導かれて至る存在に仕える(あるいはその下にある)立場であることを示しているのではないでしょうか。

 また、ベツレヘムの星の自体はキリストの誕生を示す奇跡や予言の類いであるとされています。
 となると、『機械仕掛けのベツレヘムの星』とは、一体同じく機械仕掛けの者達(アンドロイド)にとって何者の誕生を示したものであるというのでしょうか……。



 さて、次は『七つめの予言』について考えてみましょう。
 これは恐らく新約聖書の中のヨハネの黙示録から引用した単語であると思われます。
 では、ヨハネの黙示録における「七つめの予言」とは一体何なのか。黙示録には予言ではなく「七つの封印」、「七つのラッパ」、「七つの鉢」という形で七つの何かを関する単語は出てきます。
 恐らくそれらの全てを引っくるめて「七つの予言」としているのかもしれません(あるいは昔あった洋画では「七つの封印」の内容を「七つの予言」と言い換えていたので、そちらを元にしたのかもしれない)。
 いずれにせよ、七つめの予言と同じものを指すと思われる七つめの封印が解かれる(果たされる)と、一体どうなるのでしょうか。
 黙示録においては、そこから連鎖的に七つのラッパと七つの鉢が発動するようになっています。

 いずれも酷い大災害、天変地異を地上に降り注がせるものであり、そのせいで人々は苦しみ、大地は荒れ果てた後に真っさらになり、その時地上で最も栄えていた都市が滅亡するとされています。
 平たく言って七つめの予言が果たされるということはイコールで今の世界が破滅するわけなのですが、これもまた世界を、音楽を一度徹底的に破壊したいというB.A.Cの目的を歌詞に反映させたものなのでしょう。
 そして、実はこの箇所において一番興味深いのは予言が果たされたその後のことなのです。
 黙示録においては、地上の王国が滅亡した後にキリストが天から降りてきて君臨し、千年王国が築かれるとされています。

 では、この曲……あるいはこのエビスト世界において、今の世界が破壊された後に降りてきて新たな王国を築くキリストとは一体何者なのでしょうか……。
 ということを考えると、うっすらそれが何なのかは見えてきているのですが、これについての推測もまたここでは一旦中断して後ろに回しておくことにしましょう。

 


 次に、『約束されし場所への「鍵」は我らが冠す』という歌詞について考えてみましょう。
 新約聖書における「鍵」のエピソードとして有名なものは、キリストからペトロに与えられた「天国の鍵」の話でしょう。
 キリストからペトロに与えられる「天国の鍵」とは則ち神の権威を表わしており、ペトロはその権威でもって地上の人間達が天国へ行けるかどうかを天国の門の前で選別する役割の人物とキリスト教においては解釈されています。
 これを踏まえた上で、歌詞の「約束されし場所への鍵」が何を表わしているのかを読み解いていきましょう。
 ストレートに「天国」とは表現されていませんが、これまでB.A.Cが「人々を救済へ導く」とどこか宗教的な、あるいはキリスト教的な言葉やモチーフの歌詞で歌ってきた以上、「約束されし場所」というのも恐らく「天国」と同一視してよいものと思われます(とはいえ、それは万人にとっての天国ではなく、B.A.Cの考える形の天国でしょうが)。

 そして歌詞の中ではその「約束されし場所=天国」への鍵を「我らが冠す」とあります。
 これはつまり、天国への鍵を「我ら=B.A.C」が冠する――要するに、その権威をB.A.Cこそが持っていると主張しているのだと考えられるのではないでしょうか。

 ということは、ペトロに与えられた天国の鍵の話と合わせて考えると「人間達が天国へ行けるかどうかを選別する役割はB.A.Cが担っている」という趣旨のことがここでは歌われているのではないか、そう考えられます。
 そして、ペトロに天国の鍵を与えたのがキリストであるように、B.A.Cにその「約束されし場所への鍵」を与えた存在とは一体何者なのでしょう……。これもまたこの後でまとめて考えることにしましょう。



 さて、それでは最後にようやく、この曲の中で散々その存在を示唆されている『キリスト』とは一体何者なのかについて考えてみましょう。
 痛みに苦しむ人間達の傷を選ばれた聖痕として与え、御業を成すとされるその何者か。
 機械仕掛けのベツレヘムの星によってその誕生が示され、三博士がその下へ導かれるという何者か。
 七つめの予言が果たされることで大災害と天変地異が起こり、地上の王国は滅び、全てが洗い流された後に天から降りてきて新たな千年王国を築くとされる何者か。
 B.A.Cに約束されし場所への鍵を与え、彼女達にそこへ至ることの出来る人間とそうでない人間との選別を任せた何者か。
 それが一体何者なのかは、ここまで勿体ぶって書かずとも一目瞭然でしょう。
 そう、まさしくここで歌われる『キリスト』とはB.A.Cの創造主である『Mother』のことに他ならないと思われます。

 つまり、この『Blessing After Cataclysm』という曲はB.A.C、あるいはその全ての信者からの『主キリスト=Mother』への讃美歌となっているのです。
 新約聖書に書かれた様々なエピソードにその音楽破壊の思想と、それによってもたらされる救いをなぞらえ、更にはその存在自体を絶対なる救世主と重ね合わせることで自分達の神とその教義の正しさと素晴らしさを喧伝するという、ゴリッゴリのプロパガンダソングなのです。

 ……という、これだけでもかなりイっちゃってて面白すぎる楽曲ではあるのですが、ここからは更にこの曲を読み解くことで得られた情報を元にしてより荒唐無稽な考察を進めていきたいと思います。
 一応様々な文献やソースに基づいたこれまでと違い、ここからは完全に個人が好き勝手に自分の予測と本編内や有料放送の中で与えられてる情報や設定だったり、与えられているのかどうか曖昧だったり微妙だったりする信憑性の怪しい情報や設定を面白おかしくこじつけていく部分なので、是非とも話半分で受け取っていただきたいと思います。

 

 

 

 『Blessing After Cataclysm』にの中において歌われ、その存在や誕生と、もたらす奇跡を歌詞の裏側で示唆されているキリストがMotherであることはわかりました。
 しかし、それがこの作品の今後のストーリーにおいて一体何を示しているというのでしょうか。ここからはそれについて考えてみましょう。



 さて、そうなるとまず注目すべきは『機械仕掛けのベツレヘムの星』という言葉でしょう。
 この言葉が示している事柄が『アンドロイサイドにおけるキリストの誕生』であるとは、先ほど推測した通りです。

 では、曲の中で歌われるキリスト=Motherであるという推測をそこに重ねると、機械仕掛けのベツレヘムの星は『Motherの誕生』を示しているということになるでしょう。
 しかし、Mother自体は物語の中ですでにこの世に存在している以上、それがまた新たに誕生するというのは一体どういう意味なのでしょうか。矛盾が発生してしまいます。
 そこでようやく現れてくるのが、一番最初に話した『MotherがType-Z~IDシリーズのような人型の実体を得る』という予測なのです。
 つまり、機械仕掛けのベツレヘムの星という言葉は、この先の展開において「Motherが人型の実体(ボディ)を得た敵として登場してくること」を今から予言しているものなのです。
 もちろん、それを裏付ける材料も存在しています。
 楽曲の中でMotherは聖書におけるキリストとその存在を重ね合わせられていることは先ほどから述べてきています。

 そして、そのイエス・キリストとは、キリスト教の教義においては「天におわす子なる神が人間の肉体と性質を得て地上に降りてきた存在」とされています。
 更に、この「天上の唯一神が地上に降りて人間の姿を取ったこと」を指して『受肉』という言葉で表わすというのです。
 要するに、キリストの誕生とは「実体を持っていなかった神の受肉」に他ならないというわけです。
 この『キリストの誕生=神の受肉』はベツレヘムの星によってそれが起こったことを示され、導かれた三博士がその下に訪れるものとされています。

 さて、ここまで書けばもうおわかりでしょう。

 つまり、機械仕掛けのベツレヘムの星とは、今まで人型の肉体を得ていなかったアンドロイド達にとっての天の神ことMotherが受肉――Type-Z~IDシリーズと同様の実体(ボディ)を得て、キリスト(救世主)としてこの世界に誕生することを示すものなんだよ!!

 ……とまあ、これで皆様方にもMotherが人型のボディを得てラスボスとして登場する展開というのがあながち根拠のない妄想とも言い切れないことが理解出来てきたことでしょう。
 人間としての肉体を得た神=キリストがその後で何を成すのか、それについては先ほど楽曲を読み解いてきた中に書いてある通りです。
 そして、ボディを得たMotherが成すこともそれと同様だと考えられます。
 今の世界や音楽を破壊し、全てを洗い流した後でその上に新たな楽園を築く。

 その約束されし場所へ連れて行く人間達を選別する権威をB.A.Cに与える。
 罪は除かれ、世界は不変の幸福で満ちるというわけです。
 以上が『Blessing After Cataclysm』の歌詞から読み取れる、今後のエビストのストーリーで起こる出来事の予測でした。

 それでは、そんな地上に新たな楽園を築く、アンドロイド達にとっての救世主としてMotherの受肉した姿――人型のボディとは、一体どんな外見をしているのかについてを、ここからは自分の予想する様々なパターン別に考えてみたいと思います。

 

 


第一パターン:超王道、「白鳥ロクサレーヌ慶子」と瓜二つの姿

 まずは創作における王道にして、個人的にも一番可能性が高いと思っている白鳥ロクサレーヌ慶子と同じ姿のボディで受肉するパターンです。
 このパターンの可能性が高いことにはいくつか根拠(というかこじつけ)も存在しています。
 まずその根拠となり得る材料として、公式に存在している設定を少しばかり書き出してみましょう。

・白鳥ロクサレーヌ慶子は過去にMotherの研究・開発のためのコンソーシアムである『デア・エクス・マキナ』に参加しており、そこでMotherの開発にも携わっていた。

・その後まだ明かされていない何らかの事情があって彼女は『デア・エクス・マキナ』を離れ、Motherと敵対する勢力にして組織である『パイオニア・サポート』と『音の杜学園』を立ち上げた。

・現在はその『音の杜学園』の理事長として学園を運営するかたわら、ライブバトルでMotherと対決し、これを打ち倒すためのチームである『8/pLanet!!』の指揮とサポートを行っている。

・白鳥ロクサレーヌ慶子はMotherと面識があるどころか何らかの因縁を持っているようであり、Motherを『あの子』と呼び、またMotherの方でも慶子の存在を感知しているようである。

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 これが現在公開されている限りの慶子とMotherとの関係性についての情報です。
 ここから(あくまで個人的に)予測出来ると思うのが、『Motherは慶子によって作られたのではないか』ということです(その一端に携わっていたことは事実ですが、ここは敢えて基幹の部分にも関わっていたのではないかと大胆に決めつけてみましょう)。
 つまり、『Motherにとっての母(Mother)が慶子なのではないか』という仮説です。
 これならば慶子がMotherのことを親しげに「あの子」と呼ぶことにも納得がいきます(思うに母親が娘に接するような態度なのではないでしょうか)。

 また、たとえそうでなくとも、アンドロイドサイドにおいて全てのアンドロイドの母(Mother)であるMotherに対して、ヒューマンサイドを代表する8/pLanet!!にとっても慶子は母に近い立ち位置にあり(※個人的な意見です)、物語の中で両者は同じ母親という立場で対比として描かれているように感じられます。
 であるならば、Motherが人型のボディを得る――受肉する際において、自分を生み出した母親の似姿を選ぶ、あるいは母という立場で対比される人物と同じ姿を取るというのは、創作(フィクション)におけるお約束としては至極当然の流れなのではないだろうかと推測してみる次第です。

 話はちょっと逸れますが、そのお約束の一例として挙げられるのが、「アベンジャーズ /エイジ・オブ・ウルトロン」という作品です。
 トニー・スタークが人類を脅威から守るために開発したAIであるウルトロンが暴走して逆に人類を襲い始めるというストーリーで、その要素自体はエビストとも共通したものがあるこの作品。
 そこに登場するウルトロンは開発者であるトニー・スタークに激しい憎しみを抱きながらも同時に自分の親だと認識しており、トニー・スターク自身も自分が彼の父親であると思っています。
 そして、ウルトロンは自分の父親を激しく憎みながらも、その言動や性格はどうしようもなく父親と似通っているキャラとして描かれています。
 このように厳密には容姿を同じくしているというわけではありませんが、AIの開発者と開発されたAIの間に擬似的な親子関係があり、かつ両者が敵対しているという物語において、子であるAIの側に親である開発者と重なる部分が存在しているというのは創作(フィクション)としては王道と言えるでしょう。
 それ故に、Motherがもし慶子に開発され、慶子を自分の母親だと認識しているのだとしたら、ライターはウルトロンとトニーのように慶子との相似――重なる部分を用意してくるのではないでしょうか。
 そしてその最もわかりやすい形として、人型のボディを母親――慶子そっくりに開発するのではないだろうかと予測されるわけなのです。
 自分を生み出した母親と敵対し、もしかするとウルトロンと同じように母親を憎んですらいるのかもしれないからこそ、敢えて母親と同じ姿に自分を作り上げる。
 もしそうだとしたら、かなりこう……ワクワクする展開じゃないでしょうか。まさに「オタクくん、こういうの好きっしょ?」という感じでしょう。はい、大好きです!!

 そして、Motherがもしかしたら母親である慶子を憎んでいるのかもしれないという(かなり飛躍した)仮説にも、今回『Blessing After Cataclysm』の中に一つ面白い補強材料が発見されています。
 それは、七つめの予言が果たされた後、つまりは黙示録において七つめの封印が解かれ、七つのラッパと七つの鉢によりもたらされる大災害と天変地異が地上を襲うという部分に存在しています。
 この時、それによって滅ぼされる地上の都市とは『バビロン』であるとされています。
 また、バビロンとは同時にその都市を支配している女王の名前でもあります。

 女王バビロンは大淫婦とも呼ばれ、キリスト教的な悪徳の全てを象徴する存在であるとされています。
 七つめの予言が果たされるというのは今の世界の崩壊と同時に、そんな彼女が討ち滅ぼされることも示しているのです。

 そしてバビロンが滅んだ後に、キリストが天より降臨して新たなる楽園が築かれるというわけなのです。
 さて、楽曲の中で歌われるキリストがMotherのことであることは先に書いてきた通りです。
 となると、この滅ぼされる大淫婦バビロンとは一体誰のことなのでしょうか。

 それは愚かな人間達全てのことなのかもしれませんが、わざわざ一人の女性を指定することも出来るこの引用はかなり示唆に富んだものではないかと個人的には思う次第であります。

 以上、このように、敵対する相手、それぞれの勢力において相対する立場同士であるからこそ、その外見もまたその関係性をより鮮烈なものとするために同一のそれになる可能性は高いのではないか……と予測してみた感じでしたが、どうでしょうか。
 個人的にはかなり燃えるパターンなので、是非とも実現を望んでやみませんが……。

 

 

 

第二パターン:怪人態スーツ新造、あるいはラスボスライダー方式(ベルトのみ登場パターン)

 というわけで、ただのネタ枠です。もしくは実は受肉なんて全然しないで今の機械っぽい外見のまま終わりまでいくよ説。
 そうなると今の外見をコンパクトに人間サイズにした身体を作って、最後の対決だけ今までのあの姿(フルCG)で戦ったりするパターンもよくあるやつですね。
 いずれにせよ「今までの全部君の何ら根拠のない妄想だから、そもそもそんな新キャラ出す予算ないし」と言われたら、この路線になることを覚悟しなければなりません。
 というか、現状やっぱりこの「Motherの形状は現状維持路線」が一番可能性高いんじゃないかなと思います。エビスト、別にオタクくんの好きなバトル漫画じゃないしね……。

 あるいはベルトのみ登場パターンこと、既存キャラの意識を乗っ取ってMotherとして活動し始める形式なんかもあるんじゃないかと思われます。
 このパターンで一番記憶に新しくて、エビストでも近いものがやれそうなのは仮面ライダーゼロワンのアークゼロですね。
 あれは敵のボスであるAIが手下であるヒューマギア(≓アンドロイド)の意識だけを乗っ取って、身体を次々と乗り換えながらラスボスとして暴れ回る形式でした。
 新しくキャラやキャストを増やす必要がないので予算的にも優しい。エビストでやるなら例えばアモルの意識だけをMotherに書き換え、外見はアモルでも中身はMotherとして戦うという感じでしょうか。
 如実に予算の都合を感じさせるパターンなので出来ればやめて欲しい気もしますが、世界観的には余裕で成立してしまうのが悩ましいです。

 あるいはこの前者と後者を組み合わせたパターン(誰かの意識を乗っ取りつつ、最終対決だけ今までの姿になって戦う)というのもあるかもしれません。
 いずれにせよ可能性も高くてかなり現実的ですが、夢のない予測と言えるでしょう。
 でも、別にエビストは最終的にハニプラとMotherが拳で殴り合うような話でもないのでそれでもいいのかもしれませんね……(というかそうしなきゃダメだろ)。

 

 

 

第三パターン:○○の姿になる

 このパターンは名前を出してしまっただけで一気に全部がわかってしまうというか、言葉にしてしまうと途端に何もかもが陳腐化してしまうので全部伏せ字で、かつふわっとしたことだけしか言わないでおきます。
 でも、これもこれでかなり創作としては王道パターンだからありそうだし、画的にも面白かったり色々映えるから案外可能性高そうなんだよなぁ……。
 言うなればある種の逆オーマジオウですね。
 また、この場合だとやっぱり結末がOver Quartzerになりそうで、タイムトラベル歴史改変ものとしてあのメチャクチャな作品が案外様式(テンプレ)化しやすいというか、綺麗に物語として纏まってることが改めてわかって驚きますね(なんのこっちゃ)。

 さて、そしてこの説に関しても実は『Blessing After Cataclysm』の歌詞から一つの有力そうな根拠を見出すことが出来たりします。
 今まで散々『機械仕掛けのベツレヘムの星』が示すアンドロイドにとってのキリストとはMotherのことであるという説を繰り広げてきましたが、「実はそうじゃないのではないか?」という見方も新約聖書を元にした場合存在していたりするのです。
 母(Mother)を『天にまします我らの父』と解釈するならば、その天の母(父)が受肉した姿こそがキリストとなり、Motherとキリストは同一存在ということになります。
 しかし、キリスト教、あるいは新約聖書においては母という概念にドンピシャで当てはまる一人の有名な女性も存在しています。
 それこそ聖母マリアイエス・キリストをこの世界に産み落としたとされる女性です。

 新約聖書という題材に則って考えるならば、母(Mother)という存在は聖母マリアのことであると解釈するのが自然でしょう。
 そして、ベツレヘムの星の星に導かれて三博士が向かった先には、生まれたばかりのキリストだけでなくそれを産み落とした母であるマリアもそこに一緒にいるのです。
 ということは……もしも、『Blessing After Cataclysm』の中で歌われるMotherがキリストではなく聖母マリアなのだとしたら。
 そして、機械仕掛けのベツレヘムの星がB.A.Cを導く先にいるのが、聖母マリアであるMotherが産み落としたキリストであるのだとしたら。
 このアンドロイドにとっての救世主(キリスト)である存在とは、一体誰なのでしょうか?
 今の世界を滅ぼし、全てが洗い流された大地に不変の幸福で満ちた楽園を新しく築くその御方の姿とは……。
 ……いやぁ、皆目見当も付きませんなぁガハハハ! まあそれについてはこれから先の物語で明らかになるものとして今は考えておかないでおきましょう……。
とにかく、この第三パターンについてはある程度の信憑性と共に(その存在がMotherと同一であるにせよ、あるいは別の個体であるにせよ)ないとは言い切れないよ……?というところで締めておくことにしましょう。

 

 


 さて、というわけでようやく今回の記事で言いたかったことが全て書き終わりました。
 要は、
『Blessing After Cataclysmの歌詞を読んでるとMotherって最終的に人型のボディ手に入れそうだと思うんだよね……で、その場合どんな外見になると思う? 俺はこういうパターンがあると思うんだけど……』
 という妄想を披露した上で、皆さんの意見なんかも伺って盛り上がってみたかっただけなのです……。
 それなのに何故自分は幼稚園ぶりに真面目に新約聖書を読んだり調べたりして、しょうもない妄想を説明するための真面目な考察なんかをする羽目になっていたのだろうか……。
 考え始めると不思議でなりませんが、いずれにせよその真面目な考察部分が皆様のB.A.C解釈に役立ったり、あるいはMother受肉パターンの妄想なんかを楽しんで読んでいただけたら苦労の甲斐もあったということで、一つよろしくお願いします。
 そして、この荒唐無稽にも程がある一個人の見た幻覚を踏み台にして、色々な方がさらに踏み込んだ幻覚を見てくれたり披露してくれたりすることを密かに期待しております……。
 ここまで長々とあまり実のない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
 それでは最後に、こういう啓蒙を高めすぎたが故に幻覚を見がちな異常者として常に心に留めておくべきいつもの警句を一緒に朗読してこの妄想を終わらせたいと思います。
……せーのっ!

 

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