虹ヶ咲学園(普通の)スクールアイドル同好会について
ニジガクのアニメ、何と言うかあまり本来的な使い方でない意味で面白さを感じているので、その感覚をいずれ言葉にしてまとめたいなと思っていたのですが、三話を見てようやく自分が感じていたことが気のせいじゃないように思えてきたので今回は少しばかり長々とそれについて書いてみようかなと思います。
さて、ニジガクアニメことアニガク、第一話を見た時点での自分の感想は本当に全く「普通だなぁ……」というものでした。
演出やライブシーンやストーリーから曲に至るまで全部が普通、正直言って心が動かされるようなこともなければ何も光るものを感じませんでした。
有り体に言ってしまえば、二次元アイドルものとしては「凡庸」そのものな作品だと思います。
そして、その感想は三話まで見終えた今でも全く変わっていません。アニガクは自分の目には変わらず凡庸な作品のままです。
けれど、自分はこれを別に悪口や批判として書いているわけじゃないんです。……いや、信じがたいかもしれませんが、本当なんです。
というかむしろ、この「凡庸さ」こそがアニガクの一番良いところだと自分は思っています。
アニガクは何と言うか、全体に渡って何も気負ったようなところがないように感じられます。良い感じに肩の力が抜けているというか、何か凄いものを作ろうという意欲がないというか、ギラギラしたものを全く感じません。
そういう感想が一話を見た時には浮かんできて、そのあまりのちょっとどうかと思われる内容に公共の場で呟くことも出来ず、自分はもう変なバイアスなしにラブライブを見ることが出来ないのかと結構真剣に悩んだりもしたのですが、三話まで来てようやく「そうか! これがアニガクの良さなんだ!」という確信に至ることが出来ました。
それをどう言うべきか……とにかくこの凡庸さというか、凡庸であることを許されている感じが、作品全体に漂う明るい開放感のようなものを生んでいるように思います。
恐らくですが、アニガクは「何にもならなくていい作品」なんじゃないでしょうか。
無印ラブライブも最初は「なるかならないかはどちらでもいい作品」でしたが、後から振り返ってみると「何かになってしまった作品」と言えるように思います。
そして、続くサンシャインは「何かにならなくてはいけない作品」だったと思います。
しかし、それらと比してアニガクは多分「何にもならなくてもいい」と思われながら作られているように思います。
しかもそれは無印のような「でも出来ればなってくれ」という願いを込められたものでもなく、明確に「なろうとしないこと」を意図されているように思うのです。
ラブライブにならなくてもいい、シリーズとして定義されるような特別な何かを求めなくてもいい、全くの普通でありふれた二次元アイドルアニメでいい。
そんな風なことを、アニガクという作品全体の気負いのなさやゆったりとした雰囲気から自分は感じ取れるような気がしています。
そして、そこがいい。それこそがこの作品の面白さなんじゃないかと思っています。
特別面白いところがないことこそが面白いと書くと何だか禅問答のようですが、これは恐らく作品自体よりも作品を取り巻く構造的な面白さというか構造的に描きたいものを優先していることで発生しているパラドックスなんじゃないかなと思われます。
シリーズとして確立されつつあるものを敢えて逆手に取ることで生じる面白さと言いますか、これも概念の破壊によって新しいものを創造しようという試みの一種なのかなと考えます。
ラブライブは特別な何かとなるべき作品で、そのための気迫に満ちていなければならない。
そこを敢えて外して、まったく特別さの感じられない、何の気負いもない、凡庸ともいえるような作品を出してきた。
つまり、そこから見えてくるこの作品の主張は「『特別』じゃなくて、『普通』でもいい」ということになるのかなと思います。
そして、それこそがアニガクの目指している、自分達のおかれた立場を利用、あるいは物語に反映して描く構造的なテーマなのではないでしょうか。……いや、考えすぎの感は凄いですが。
しかし、その辺りのテーマは第三話でストーリーの中にも現れ始めたのかなという気もしています。
「ラブライブなんて出なくてもいい!」という台詞なんかはその最たるものではないでしょうか、あまりにも直接的な内容に過ぎる気もしますが。
ラブライブという大会を目指さなくてもいい。自分がやりたいからスクールアイドルをやるだけでもいい。
何かや誰かのためじゃなくて、自分のためにアイドル活動をしたっていい。
それが、アニガク三話で描かれたことだったと思います。
とはいえ、それは無印一期でも描かれていたことではありました。
ある目的のためにスクールアイドルを始めて、しかしその目的が達成されてしまい続ける意味はなくなった。
そうなってしまった時に、一度はやめようかと迷うも、それでも自分達がこれをやりたいからスクールアイドルをやるんだという結論に辿り着いてもう一度歩き出す。
これもアニガクのそれと同じく「自分のためにアイドルはやるものだ」というテーマでしたが、最終的に無印はそうやって自分達のやりたいことをやっていく内に望む望まざるとに関わらずそれに世界が動かされて、何かが大きく変わっていくことになる、そんな物語になっていきました。
無印はその自分達のための活動が意図せず特別な何かになっていってしまう辺りが実に爽快で魅力的だったのですが、しかしそれが後の作品に重荷を背負わせてしまったようにも思います。
それとは反対にサンシャインは最初自分達のために始めたはずの活動が後から何かのためという目的を背負わされていくようになり、最後まで誰かのためや何かのためにスクールアイドルを続けていく物語となっていたように思います。
どうしても特別な何かになりたい、ならなければいけないと必死に頑張る少女達の物語は、その是非はともかく大きく感情を揺さぶられるものがありました。
しかし、アニガクはそれらの流れを踏まえた上で「別に特別な何かになる必要なんてないんじゃない?」ということを、その物語の中でも描こうとしているんじゃないかと個人的には思えます。
アニガクのストーリーには今のところアイドルをやることで何かを変えなければならないような差し迫った状況というものは存在していません。
学校は超がつくほどのマンモス校ですし、廃部になったはずのスクールアイドル同好会はたった三話で潰した本人まで復帰する形で復活してしまいました。
アニガクのスクールアイドルはみんな、誰かや何かのためじゃなく、自分がやりたいからスクールアイドルをやっていくというものになっています。
それに、何だったら結果も追い求めなくてもいい。大会出場やそこでの成績なんかを考えずに、ひたすら自分達がそれぞれなりたいアイドル像だけを追い求めていく。
それは多かれ少なかれアイドル活動で何かを成すか成そうとしてきたシリーズにおいて、完全に真逆を行く、下手すればアンチテーゼですらある描き方だと思われます。
そして、やはりその通りに、無印とは違って、彼女達の自分がやりたくてやっていく活動が世界を変えたり何かを動かしたりすることはないのでしょう。
特別な何かになることを選ばないということは、つまり彼女達はどこまでも普通で凡庸なままということになります。
でも、それでもいいんです。「普通」の女の子が、どこまでも「普通」なままで、何を動かす力もない「普通」のアイドルをやっていたっていい。
それこそがアニガクがその物語の中で描いていこうとしていることなんじゃないかなと三話までを見たことで自分が感じたことでした(そして、この先これが全くの思い違いである展開になってしまった時は羞恥心と共に腹を掻っ捌くと思います)。
そして、ストーリーで描いていくものがそうであるからこそ、それを踏まえて作品全体のクオリティも敢えて凡庸にしてあるのではないでしょうか。……いや、かなりの無理筋に近い説であることはわかっていますが!
いや、自分にとっては本当にただただ普通なんですよアニガク! 曲から何から全てに「おおっ、これは……!?」という可能性というか、腕力のようなものが全くない、全部が測ったように凡庸な出来なんですよ!
じゃあ、これはもうわざとそうしているんだと考えるしかないじゃないですか!? いや、でも結局これはどこまでも個人的な感性に基づくものであって、そうでないと感じている人も勿論多くいるはずである以上かなり破綻した理論なんですけども!!
でも、この凡庸さがそうやって「普通のどこにでもいる女の子が自分のためだけに普通のどこにでもいるスクールアイドルをやっていたっていい」というテーマを補強するためなのだとしたら、そこにかなり構造的な面白さを感じられはしないでしょうか。
楽曲面において、これまでのシリーズに多くあったエモーショナルさモリモリの大作感に溢れたような曲ではなく、どことなく垢抜けていなくて手作り感の強い楽曲が多いことにも、そうであるとしたら納得がいく気がします。
いや、再三言いますけども本当にディスってるわけじゃないんです。ただ、それが全て意図されて設計されているものなのだとしたら面白いよねと思っているだけなんです。
けれどまあ、本当にそうであるかそうでないかはともかくとして、アニガクにはやはり明確にこれまでのシリーズと違って「至って普通であること」を意識した部分が存在していると思います。
そして、何より自分はそれを本当に素晴らしいことだと思っているのです。
シリーズとしてずっと「特別な何かを目指す女の子」を描いていって、特別な何かである説得力に満ちたギラギラとした作品を作り続けなければいけないわけじゃない。
ニジガクにはそれが意図的かどうかはともかくとしてやはりどこか凡庸な部分が存在しており、そしてその凡庸さはシリーズから今のところ許されている。
ラブライブかくあるべしという基準を固めたりしない、「特別」じゃない「普通」のままであってもラブライブであるという前例を作れるのだとしたら、それはシリーズとしてとても健全なことだと思います。
なので、もしも本当にアニガクがこの先「特別でない、ありふれた普通のスクールアイドル」を描く物語になっていくのだとしたら、かなりこの作品を好きになってしまうんじゃないかなと思っております。
しかし、それでもやはり自分にとってはこの作品を見てまず感じることは「凡庸さ」であることにも変わりがないように思います。
けれど、それだからいいんです。アニガクは凡庸であるからこそ素晴らしいんです。
全てが「普通」だからこそ、「特別ではない普通を描く物語」であることに説得力が増している。
自分が今のところアニガクに対して感じていることはまあそんなところです、というお話でした。
けれどまあ、正直三話時点でもしかしたらこうなんじゃないかと断定してしまうのは終わってみると全部的外れだったという危険性もかなり高いので避けたいところではあったのですが、もしそうだったとしたらこんな「普通のアイドル、いいよね……」論も思ってはいても書かずに封印してしまっていたと思うので、今回勢いに任せて断行してしまったという側面もあります。
蓋を最後まで開けたら結局アニガクもこれまでのシリーズの慣例通りにデカいことを成そうとする物語になっていくかもしれない、それもまあいいんじゃないかとも思います。
でも、もしもアニガクがシリーズにかけられた「特別になる」という今や呪いに近いものを本当に解いてくれるのだとしたら、どんな結果になるのであれ自分はそれを手放しで褒め称えたいです。
普通の女の子が普通じゃなくなってしまう物語でも、普通の女の子が普通じゃなくなりたいと願う物語でもなく、普通の女の子が普通のままでも許される物語。
勝手な期待かもしれませんが、アニガクにはそういうもしかしたらを求めてしまう自分がいたりするのでした。